不遇
あれは大体今から半年前の事だった。
中学二年の春、多くの人にとって新たな始まりとなるであろう新学期の初日に、僕、日野翔は、一年前に始まったいじめも、もう二年生な訳だし終わるかな、なんて淡い期待を抱いていた。
中学二年ともなれば小学生の頃のような幼さはほとんど抜け、心身共に成長し出す時期だ。
その区切りとしていじめというものから足を洗ってくれればなぁと、全く信用できないクラスメイト達にそんな期待を抱いていたのだ。
が、あのクラスメイト達がそう簡単に変わるはずもなく、新しくなった教室、そして新しくなった僕の机に早速油性ペンで落書きされているのを見つけ、深いため息が口から飛び出た事を覚えている。
まぁ、クラス替えが無かった時点で察してはいたけど……。
しかし、唯一の救いとして僕に身体的被害は及ばなかった。
ただ、油性インクで書くのはヤスリなどで削らないと上手く消せないのでやめてもらいたい。
言っても無駄だろうから心の内にしまっておくことにするが。
兎にも角にも、ほんの少し前まで抱いていた淡い期待は早々に打ち砕かれ、どうやら僕はまた一年の時と同じような、変わりのない生活を続けなければならないらしい。
そう思うと少し憂鬱な気分になってしまう。
こんな生活も慣れたものだし、今更どうと言うことも無いのかもしれないんだけどね。
さて、ここまで僕の不幸について色々と考えてはみたけれど、一番不幸なのはこの学校に配属されることになった新人教師さんだろう。
この学校に入っただけでも十分不幸だが、よりによって僕のいるクラスに配属されてしまったのだ。
なぜ僕のクラスに配属されたのが不幸かと言うと、端的に言えば僕のいるクラスは二年生のいじめっ子達が集められている。
しかも、それだけに留まらず、このいじめっ子達は妙な団結感によってか、一般的ないじめっ子から特殊ないじめっ子へと昇華してしまったのだ。
具体的に彼らの狂気具合を述べると、一人に対して大勢でいじめたり、学校中を巻き込んで問題を起こしたり……できると判断すれば教師ですら彼らの標的にしてしまう。
そんな彼らにとって新人教師なんてものは格好の獲物か何かなのだろう。
と、まぁそんなこともあって僕のいるクラスはこの学校では有名なクラスなのだ。
――もちろん悪い意味でね。
さて、こんなにもいじめが蔓延っているのに学校側は何の対策もしないのかと疑問に思うかもしれない。
その疑問は尤もだ、普通ならば何か対策を講じるはずはずなのだ。
そう、普通なら。
なぜこんな事になっているのか結論から話すと、学校側はいじめに対し黙認するスタンスでいる。
では何故黙認しているのか。
それは、いじめの主犯達が学校に対し影響力を持っているからだ。
部活で県内トップに近い人、親がPTA会長の人――は、まだマシな方で、学校に寄付金を大量に出す大手企業の社長や重職の子供や、巨大資産家の子供や、政治家を親に持つ子供など……この学校は超進学校と言われるような学校などでは無いにも関わらず、影響力を持つ人ばかりが入ってくるのだ。
どうせ学校側が手引きしてるのが原因なのだろうが。
校風だとか、特徴として自由を謳うのは大層な事だが、こうもいじめが蔓延るようではどうかと思う。
とにかく、学校側がいじめに不干渉なので当然不満が募り反発する先生や親が出てくる。
しかし、学校側はどうすることもできない――いや、単純に面倒な事になるから何もしないだけなのだ。
そのせいで現状、学校全体にいじめは悪い事ではないという風潮が広まってしまっている。
だから僕は、新人教師がこのクラスに配属されたのが不幸、つまりはいじめられてしまうだろうと思ったわけだ。
これは僕の予想というよりも確信と言った方が正しいかもしれない。
いじめっ子達にある意味一番関わりのある僕だからこそ、彼らの狂気さを一番理解していると自負している。
そして、そんな僕だからこそ彼らの取るであろう行動には大方察しがつく。
彼らは居るだけで周りに不幸を撒き散らす。
できるならそれを辞めさせてやりたい。
でも、彼らの凶暴な心を改心させるのは僕にはどうしても手に余る事だ。
だから彼らの注意を引いたり策を全て潰してやることしかできない。
彼らの不幸を被るのは僕だけでいい。
できればこんな奴らとは無縁に学校生活を謳歌してくれればいい。
――だから僕は今日も偽善を貫く。
◇ ◇ ◇
「全く……彼奴らは加減ってものを知らないのかな」
椅子に倒れかかるように座った僕は小声でそんな事をぼやく。
新学期早々、彼らは春休みの間に溜まっていた欲求を解放するように理不尽を振りかざしていた。
それを止めるように僕が動く。
まぁいつもの事だ。
もう何回同じような事をしたのか分からない。
でも、やっぱり彼らの企みを阻止しているわけだから当然いじめっ子の主犯格に色々とされるのだ。
『お前、どうして毎回飽きもせず俺たちの邪魔ばっかしてくるんだ?』
と、今日はそんな事を言われてしまった。
全く……鏡で自分を見てみてほしい。
そして、映った自分に言ってみてはどうだろうか『どうしてお前は飽きもせず他人をいじめられるんだ?』と。
まぁ、僕は臆病なのでそんな事は彼らに言えないのだけれど。
しかしまぁ、今日も散々な目に遭った。
こんな愚痴が飛び出るだけまだ元気なんだけどさ。
しかし、いつも思うけれど、見た目は好青年な彼らはこんな非道な事をしていて印象が悪くなったりしないのだろうか?
――いや、答えは自分の中でとっくに出ている。
いじめる相手が僕だからいいんだ。
クラスのみんなからすれば、僕は今日みたくいつも彼らの娯楽に水を差すような事ばかりしている。
つまり、鬱陶しい奴を黙らせるのは称賛されるべきことなんだ。
彼らからすれば、邪魔な奴を暴力という刃で押さえつけているこの姿は、ヒーローが悪を懲らしめているのと同じようにでも見えるのだろう。
結局、物は言いようだ。
本質を見ようともせずに、彼らにとって物事がいいように見えるレンズを通して外見だけで捉える。
それが推奨されている事であり、そうすれば楽しく過ごせる。
だから、何も考えずに楽な方へと逃げていく。
けれど、そういうのも生き方の一つで批判されるべきことでは無いのかもしれない。
……少なくとも、僕には好きになれそうもない事だけど。
――いつの間にか変な方向に話を進めてしまっていたから、話を戻そう。
とにかく、僕は先生用に作られたトラップを壊したり引っかかってやったり……そのような事をしたのだ。
そして、そうしたら当然のごとくいじめっ子達に暴力を振るわれたので、今こうして椅子にもたれかかっている。
で、結局先生を守れたのかと言うと、もちろんそこに抜かりはなく先生は無事に教室へやってきてくれた。
彼らが先生を罠に嵌めようとしていた事、そして僕がそれの妨害をしている事を先生に気付かれなかったのは僕も成長したという事だろうか。
――こんな事ばかり成長しても何にもならないというのに。
だけど、やめられないのだ。
正義感からって言われるとそうなのかもしれないけれど……最近はこんな馬鹿げたことに少しだけ快感のようなものを覚えるようになってしまった。
彼らに狂わされて、僕も遂におかしくなってしまったという事だろう。
そう思うと思わず苦笑が漏れそうだ。
全く、こんな狂気が僕の内に秘められていたとは……本当に嫌になる。
でも、コレのおかげで病まずに済んでいるのかもしれない。
コレのおかげでまだ身代わりになっていられる。
そう思うと、なぜかあまり嫌な気はしなかった。
――さて、こんな風に休んでいられるのもそろそろ終わり。
一時間目はHR、内容は自己紹介とかだろう。
クラス替えは無かったので、ある意味一年間切磋琢磨していたこのクラスには不必要なことかもしれないが、担任も新しくなった事なので、形式的にやらなければならない。
でも自己紹介はあまりしたくないのが本心だ。
自分の番になり起立した時に、視線が一点に集まる。
そう、奴らの視線が。
何かを期待するような、自分を見下してくるようなあの視線と笑みが嫌いでしょうがない。
それに、喋ったら喋ったで拍手も何もなく、ただ、心を抉るような沈黙があるのを僕は知っている。
――――♪
その時、まだ心の準備のできていなかった僕の耳に無慈悲にもチャイムの音が飛び込んできた。
はは……。
これはもう、あまり悪くならないように祈るしかないかな。
「全員、席につけー」
教室に先生の声が響く。
不安因子であるいじめっ子達は意外にも先生の言葉を守り、席について黙っている。
――話を聞いている態度は置いておくとして。
しかし、先生を困らせていないのはいい事だ。
彼らに限って改心したなんてことは無いだろうけど。
というかあの短時間でそれは絶対にない。
あいつら、さっきまで嬉々として人を甚振ってたんだぞ。
物の数分で本当に改心していたらそれはもうホラーだ。
――いけない、ちゃんと先生の話を聞かないと。
「じゃあ、取り敢えず自己紹介から始めるぞー。司会は……そうだな、去年学級長を務めていた和田がやってくれ」
「はい」
やっぱり司会は彼女か。
彼女は先生の言った通り去年学級長だった。
彼女はいじめっ子ではないが、あまり強く出られない気質らしくよく彼らに振り回されていたな……。
と言っても暴力とかを受けていたわけではなく、彼女の持っている学級長という立場――力を利用したかった時に半ば脅しのような事をされていたくらいだ。
この学校では治安の悪いクラスをまとめるためにも、他校と比べて学級長などが持つ権限といったものが若干強い。
だが権力を持つというのも厄介なもので、こういう嫌な事に巻き込まれてしまう。
こんな事がなくてもクラスの為に動いている、人一倍大変な役柄だろう。
それ故に、楽を好むいじめっ子たちは学級長には立候補せず、代わりにいいように利用しようとする。
つまり何が言いたいかというと、彼女も苦労人だという事だ。
「では、先ずは名簿番号順に自分の名前と簡単な自己紹介をお願いします」
そう言う彼女は珍しく緊張していた。
◇ ◇ ◇
それから先は僕の順番が飛ばされた事以外は特に問題なく自己紹介は進行していった。
いや、僕の順番がとばされたのは些細な問題だろうから、全て問題なく進行したといった方がいいかもしれない。
正直なところ、僕としては話すことも無いので自己紹介する手間が省けてラッキー程度に受け取っている。
でも、和田さんはもしかしたらこの事を気に病んでいるかもしれない。
どうせ僕の自己紹介の順番が飛ばされたのもいじめっ子たちが彼女に圧力でもかけたからだろうし。
はぁ……本当にご苦労なことだよ。
それにしても、いじめっ子達は自己紹介で目立った事はしなかったな。
それは悪いことでは無いからいいんだけど。
さて、では肝心な自己紹介の内容の話をしよう。
彼らいじめっ子達の自己紹介を聞いて色々な事が分かった。
例えば彼らの趣味がいじめではない事、とか。
――いっその事『僕の趣味はいじめです』とでも言ってくれれば、少しは面白かったのに。
なんて、我ながら少し捻くれてるな。
まぁ、そんなどうでもいい事は放っておくとしてもこの自己紹介には意義があったと言える。
不必要だと思われた自己紹介をして得たもの、それは先生についての情報だ。
この先生は、とにかく凄い人だった。
まずは外見の特徴から話そう。
先生は黒髪黒目で、歳は30代前半くらいに見える。
そして、身長がおおよそ180に届くか届かないかくらいで少し怖そうな顔付きをしている。
でも意外にも第一印象は意外と優しそうな感じだった。
そして、自己紹介の時に黒板にチョークで書かれた『蔵住玲戸』という文字は、思わず引き込まれてしまいそうなほど達筆だった。
ただ、少し変わっていたのは先生の名前だ。
先程黒板に先生が『蔵住玲戸』と書いたと言ったが、変わっていたのはその読みだった。
普通に読もうとするなら『くらすみ』だろうが、どうやらこれは『グラス』と読むらしい。
つまり、フルネームで言うと『グラス レイド』
外国の名前っぽいなぁと、違和感を感じた。
また先生の凄いところだが、なんと先生は英語や中国語をはじめ、フランス語やドイツ語、更には聞いたこともないような言語まで、何故教師をしているのか分からないくらい多彩な言語を操る事ができるのだ。
まぁ、これまでの事を要約すると……先生スゲーーって感じである。
「よし、自己紹介も終わった事だし……俺から一つ話をしたい」
ちょうど僕が頬杖をついて考えに耽っていた時、先生はそう話を切り出した。
きっと『これからよろしく』とか、『進級おめでとう』とかの話だろうと、僕はこの時そう思っていたが
「異世界転移に興味はないか?」
先生は今までの明るそうな声色を変え、神妙な顔でそう言った。
今思えば、その考えは全く的外れもいいところだった。
――いや、僕ではなく先生の方が普通では考えられない事を言ったのだからしょうがないだろう。
全く想像もしていなかった話をいきなり切り出されたので、みんな口をポカンと開けていた。
人間、全く思いもよらなかった事に驚きすぎると言葉が出ないものだ。
まさかこんな所でそれを分からされるとは思いもしなかったけど。
だけど、いち早く硬直から抜け出した誰かが
「それって、異世界に行ってみないかって事ですか?」
と、そんな事を言った。
『誰か』となっているのは、僕が覚えていないからというよりも、あの時は驚きすぎていて誰の言葉だったか確認する余裕は無かったからだ。
あの時は、先生の言う『異世界転移に興味はないか?』と言う質問に、クラスの大半は最近よく聴くようになった小説やアニメのジャンルについて興味があるか?と聞かれているのだと思っていたのだけど、一部の夢みがちな中学生にはその言葉の本質が見えていたらしい。
いや、本人も冗談のつもりで言っていたのかもしれない。
いやきっとそうだろう。
異世界転移なんてものは本とかアニメの中の、創作物の中の世界だ。
それを現実に置き換えて考える奴なんて、流石にいないだろうから。
まぁとにかく、その『誰か』はみんなの聞きたかった事を代わりに質問してくれたのだ。
だから、今まさに先生の口から出ようとしている言葉を聞き漏らすまいと、自然と全員が静かになった。
「ああ、そうだ」
その言葉は、中学二年という一瞬の時の迷いが生んだ、所謂厨二心というやつを鷲掴みにした。
クラス中がその言葉に引き込まれたのだ。
「話が早くて助かる。じゃあ、早速説明をしよう」
多分これは楽な方へ、楽しい方へと逃げ続けてきた結果だ。
僕たちはまさにこの時甘い誘惑に隠された真実に気付く事なく、死神に連れ去られようとしていた。
だが、動揺の渦の中にいたこの時の僕は、それに気づけずにいた。
この後先生は僕たちに異世界についての話をしてくれた。
どうやら本当に物語の中の話のように魔王という悪に世界が脅かされているらしい。
そしてそれを止めるべく、先生がこちらの世界から人を送り込む為に『勇者になって異世界を救ってみませんか?』と、勧誘に来たのだ。
初めはみんな半信半疑で話を聞いていた。
が、先生の話を聞いているうちに僕を含めてみんなそれが嘘では無いと少し思うようになっていった。
それは、先生の必死さが伝わったからなのか……或いは異世界があってほしいとみんなが望んでいたからか。
みんなはいつになく熱心に人の話を聞いていた。
でも、そんなみんなには悪いけれど僕はあまり乗り気では無かった。
よく考えてみてほしい、僕たちが突然と消えたらどうなるかを。
学校だけに留まらず、社会全体が困惑するかもしれない。
両親や親戚が悲しむかもしれない。
僕はそこまでして、異世界へ行きたいとは思えない。
まぁ僕の場合、両親は既にこの世にいないのだけど。
でも、他のクラスメイトからすればこれは大きな問題なんじゃないかなと思う。
「僕は……行きたくありません」
だから思い切ってそう口に出した。
せめてこの一方的な流れを少しでも止めて、みんながちゃんとリスクについて考えられるように。
顔は上げれなかった。
今、周りが僕をみてどんな顔をしているのか、容易に想像がつくから。
そして、それを見たくはないから。
できる事なら逃げ出したいとも思う。
『地獄とは他人のことだ』という言葉があるが、まさにその通りだと身をもって実感した。
見ていなくても他人の視線が僕を刺しているのが嫌でも伝わってくる。
僕は思わず震える足を手で押さえた。
その時、ガタンと大きな音を立て誰かの椅子が跳ねて――
「でしゃばってんじゃねーよ。いつもいつも水をさしやがって! お前は黙っとけ」
「っ……!」
――クラスメイトの怒声が教室に響いた。
そうか、そうなのか。
どうやら、僕の味方はこのクラスに誰も居なかったようだ。
いじめっ子達は僕を見て笑い、傍観者達は何も言わずにただそれを見つめ……先生も動かない。
僕の意見に賛同する人はおろか、僕を嘲笑ったり憐れむ人はいても、少しでも助けようとする人すら居ないようだ。
ああ、そうだ、そうなのだ。
コイツらに何かを期待しようとしていたのが馬鹿だった。
――本当に、心底自分が嫌になる。