表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私を選ばなかったせいで破滅とかざまぁ、おかげで悪役令嬢だった私は国外追放されたけど改心して、素敵な恋人できちゃった

作者: 高岩 唯丑

「おーほほほっ」


 私は扇子で口を隠しながら、同級生で平民の彼女、エリィをいびっていた。と言っても、自分では手をくださない。取り巻き達に、やらせている。今日はなんだかとても、苛立ったから、中庭でエリィが食べていたお弁当をひっくり返してやった。なんとも気分がはれる。こうしてイジメているととても。


 エリィはすこぶる優秀な生徒だった。この魔法学園で、貴族の私を差し置いて、魔法の成績はトップ。私は、二位に甘んじた。しかも、一度ではなく何度もだ。こんな事あってはならない。私はそれを思い、またイラついてくる。


「生意気なのよ」


 私はエリィの顔を扇子で思いっきり、叩いた。うずくまったエリィの鼻から血が垂れる。一瞬、胸がキュッとして。すぐに私は高笑いをする。エリィは泣いていない様だった。いつもそうだ。にらみつけるでもなく、泣くわけでもなく、ただ、感情のこもらない目で、私を見るだけ。


「何よ!」


 イラ立ちが一層、増して、エリィを扇子で何度もたたく。


「さすがにやりすぎじゃあ、ナナ様」


 エリィの顔に傷がつき、痣がつきさすがに取り巻きが慌てだす。今日は感情が止まらなかった。止められなかった。いつもは程よく痛めつけるだけが、今日は明らかにやりすぎている。私の頭にそんな事が過る。誰かに見られでもしたら。


「やめろ!」


 私の体はビクリと強張った。聞きなれた声。私の婚約者のマージルの声。見られてしまった。


 マージルはすぐさま、エリィの元に駆け寄って庇う様に、位置取る。マージルの手が愛おしそうに、エリィの肩に置かれているのを見て、怒りが沸き上がった。イラ立ちではなく、怒り。止められない怒りが、そのままマージルへと扇子で殴打させた。当たった瞬間に、怒りは恐怖へと切り替わる。やってしまった。彼は。


「無礼者! 私はこの国の王子だぞ!」


 どこからか、湧いて出たのか、マージル王子を守る兵士が現れて、私は一瞬で拘束される。地面に押し付けられ、それでも抵抗して、マージルとエリィを見やる。エリィはマージルの腕の中で、怯えるように体を震わせていた。無感情の視線をこちらに向けていた彼女が。どういう事かと、頭が混乱した。それでも待ってくれないマージルは私に向かって、宣言する様に、仰々しく、言葉を投げかける。


「私は、ナナとの婚約を破棄する! 加えて、反逆の罪によって、ナナを国外追放とする!」


「まっ、そんな!」


「命を奪わないのは、せめてもの情けだ、抵抗するならそれも撤回せざる負えないが」


 マージルの冷たい声が私の体を冷やし、震えさせる。本気だと感じる。体が抵抗してはダメだと、訴えてくる。私はガクリと力を抜いた。その時、私の影が映る床に、もう一つの影が伸びて、誰かが近づいてきた事を悟る。そして聞こえる声。


「王子は私の物、ざまぁ」


 私にだけ聞こえる声。ただ確かにエリィから発せられた声だった。コイツ。私はエリィを見つめる。とても険しい視線にしたかった、でもおそらく怯えるような視線になっていた。心の中はこのエリィという女の恐ろしさで、一杯だった。しかしエリィは怯えるようにマージルの胸の中に飛び込む。私はそのまま兵士に引きずられるように、その場から移動するしかなかった。







 恐ろしく手際良く、私の国外追放は実行された。たった数日の間に、私は流刑の地に立っていた。陽の降り注ぐ何もない草原。もしかしたら、すべて計画されていたのかもしれない。エリィという女。あいつは正直、悪女だ。私なんかより、よっぽど。知らない間に、マージルに取り入り、計画して、私の追放を実行したのではないかと思う。それだけの事をやる女と、声をかけられた時に感じた。だから心の中は恐ろしさで一杯になったのだ。敵わないという動物的本能の様な物。それが働いた感覚。私なんかあの女の前にではただのウサギで、あの女はライオンだったのだ。


「愚かだったわ」


 悪役を気取っていたけど、私なんかそんなの向いていない。何であんなことをしてしまったんだろう。自分が恥ずかしくなる。


「私なんかはこれから、地道に人の迷惑にならないように生きよう、私はその辺に転がってる石と同じよ」


 私はひとしきり、言葉を吐き出すと、のろのろと歩き出す。これからの生き方は重要だけど、まずは今の事を考えなければいけない。


「ここはどこだろう」


 温情ととるべきか、周りを見回しても、危険そうな感じはしない。


「途中で転移魔法の感触があったし、経過した日数はあてにならない」


 ずっと目隠しされていて、全く手掛かりもない。数日で来れるだけの場所というわけでもない。本当にどこなんだ。私は広がる草原を見渡す。歩いていると感じる草の柔らかさを感じる。それだけ。見える範囲に何もない。歩いて移動して、どこかにたどり着けるかどうかも分からない。


 私はあてもなく歩き続けた。無限に続くかと思った草原も終わって、次は花畑が続いた。咲き乱れる花を見て、少しは癒されたけど、それだけ。依然としてここがどこなのかわからない。


「本当にどうすればいいのか」


 私は一旦立ち止まると、しゃがみ込んで花を見つめる。花の事なんて、全く興味を抱いた事がないから、なんて言う花なのか見当もつかない。よく見ると、それぞれ違う花だ。当たり前か。じっと眺めていると、花が風に揺れる。白い花もあれば、ピンクの物も、黄色もある。


「よく見ていれば、癒されるかも」


 さっきは少しだけ癒された気になってたけど、今は違う。なんだか心地が良い。花は良い物だな。私はそう思って、しばらく花を見つめていた……すると、その先に何かが動いている。何だと思って立ち上がると、男の人がうずくまって、何かをしていた。


 誰もいないかと思っていたけど、花に紛れて見えていなかっただけだ。思わず私は声を出してしまう。その声に反応して、勢いよく男の人が顔をあげてこちらを見る。


「こっ、こんにちは」


「こん……にちは」


 男の人が挨拶をして来て、私も戸惑いつつ挨拶を返す。変な人かと思ったら、なかなかイケメンだ。少し長めのライムグリーンの髪に、濃いブルーの瞳。ズレてしまった眼鏡を戻して、男の人は座った姿勢から立ち上がる。思ったより身長は高くなく、私より少し高いくらいだ。簡素な茶色の作業着に妙に釣り合いがない、学者然とした雰囲気。


「こんな所で何を? しかもその恰好」


 私は男の人にそう問われて初めて自分の格好に気を向ける。一度牢屋に入れられて、すべての服と持ち物を取り上げられて、布の袋に穴を開けたような服を着せられた。その中は下着さえつける事を許されず、裸状態。靴も履いていないから、明らかにおかしな格好だった。


「これは!」


 一気に恥ずかしくなる。布一枚でほとんど裸なのだ。透けて見えていないか、不安になり、服を撫でる。厚手で恐ろしくごわついた布。おかげで透けてはいないだろう。


「……助けてほしいです、今まで捕まってて、突然ここに放り出されて、困ってて」


 よくもスラスラと嘘が出てくる。でも罪人というのはバレたくない。バレてしまえば、助けてもらえない。私の中で罪悪感が広がる。私の様な石ころはどっかで野垂れ死んだ方が良いのかな。そう考えてから、自分で驚く。さっきもそうだけど、驚くほど、毒気が抜けてしまったと思う。ある意味、あの悪女のおかげで改心出来てしまったらしい。


「そんな事が……わかりました、とりあえず僕の家に行きましょう」


「ありがとうございます!」


 助かった。私は男の人に駆け寄る。


「私はナナです、本当にありがとうございます」


「いえ、僕はファーリスです……行きましょうか」


 ファーリスは私を安心させようとしているのか、微笑んでそう言うと、エスコートする様に私の手を優しく持ち上げる。ドキリ、として顔が熱くなるのを感じた。そして、エスコートされるように歩き出す。


「そうか……気付かなくて、ごめんなさい」


 少しだけ歩いたところで、ファーリスが気づいたように声をあげて立ち止まる。私は何だろうと思ってファーリスを見ると、いきなり体がフワリと持ち上げられた。


「ふぁぁっ」


「……裸足なのに歩かせようとしてしまいました」


 お姫様抱っこの形。そのせいでファーリスの顔がすこぶる近い。私はあごを引いて、縮こまる様になってしまう。そんなんで体重は変わらないのだけど。


「面白い方ですね、そんな風にしても重みは変わらないのに」


 笑顔でファーリスはそう言った。私が考えた事をファーリスも考えた。そんな事で私は体が軽くなった様に嬉しくなる。


「近くに馬を待たせています、そこまで辛抱してください」


 そう言いながらファーリスが歩き出す。辛抱なんてそんな。むしろ幸せ。でも案外近くにいた馬にたどり着いてしまって、幸せはすぐに終わり。見える範囲なのに気付いていなかった。ファーリスは私を馬に横乗り状態にして、自分も馬に乗る。ファーリスの足と腕に挟まれた状態で、私はまた幸せを感じていた。


「僕も気をつけますけど、落ちないように捕まっていてくださいね」


「……はい」


 必要以上に私はファーリスの胸に体を預け、抱き着く様に腰に手を回す。花のいい匂いがした。


「じゃあ行きます」


 馬が走り出す。少し遅めのスピード。私に気を使ってくれている様だ。優しい方。しばらくそんな幸せな時間が続いた。







 ファーリスの家に到着すると、中へと案内された。想像していたよりだいぶ違う家だった。いや、家というより店だ。花が沢山並んでいる店。


「ファーリス様、これって」


「様はやめてくださいよ……僕は花屋なんですよ」


 ファーリスは少し照れたようにそう言うと、そのまま続ける。


「男なのに花屋って変ですよね」


「そんな! 全然変じゃないです! むしろ素敵で」


 私の言葉に照れた笑みを浮かべるとファーリスは「こっちです」と店になっている所から奥へ入り、居住スペースに案内してくれた。


 居住スペースはとても整理されていて綺麗だった。だけどそれよりも私は別の部分に目がいってしまって、部屋の感想があまり出てこなかった。


「行きますか?」


 ファーリスは嬉しそうにそう聞いてくる。私の視線に気づいたんだろう。部屋の窓から見えている、とても広い花壇。私はそれが気になっていたのだ。


「ぜひ」


 私はファーリスの誘いに乗って、花壇に案内してもらう。


「スゴイ、キレイそれに……良い香り」


「売るために栽培してますが、趣味も入っています」


 満足げにファーリスが言う。本当に素晴らしい。花とはこんなに良い物なんだ。知らなかった。


「あそこで……ナナさんと出会った場所で、花を分けてもらい、ここで栽培しています……他の所からももらってきますが、あそこは特に気に入ってて」


「あぁ、だから、あそこに」


 あんなところで、何をしていたんだろうとは思っていたけど、そういう事だったらしい。そういえばあの花畑で見かけた花がある。私は最初に見た花があったので見つめる。紫色の細かい花が沢山ついた物。私はそれに手を伸ばした。なんだか可愛い花。私は自然に笑っていた。


「恋の……芽生え」


 ファーリスが呟くように言った。何だろう。私はファーリスに視線を向ける。少しボーっとしているような。


「あっ、すみません! 花言葉です、その花の」


「……花言葉?」


「花にはそれぞれ言葉があるんです」


 そう言いながらファーリスがこちらに歩いてきて、私が見ていた花に優しく触れる。


「この花はライラック、紫のライラックの花言葉は……恋の芽生え」


「恋の……芽生え」


 心臓が跳ねる。ただ教えてくれただけの言葉。なのにとても、甘美な響きを感じる。私は耐えられなくなって、別の花を指差す。


「これは?」


 指したのは小さめの青い花。


「それはネモフィラ、どこでも成功、可憐、あなたを許す、そういう感じです」


 私は次々と花を指差して聞いてみる。それに淀みなく、ファーリスは答えていった。


「すごい、本当に好きなんですね」


「はい、花はいいですよ、とても」


 花を見つめるファーリスの横顔を私は伺い見る。とても嬉しそうな顔。いつまでも見てられそうだ。


「あっ、すみません、そういえば服を」


 思い出したようにファーリスが言った。私も自分の格好を思い出す。慌てたようにファーリスが居住スペースに入って行くと、バタバタと部屋の中走り回って、一着の服を持ってきた。


「服を買いに行くにしても、それじゃあ良くないでしょうから、とりあえずこれを着てもらって」


 ファーリスが差し出したのは、絹の白い簡素な服と、作業着のような服。でもファーリスが着ている作業着とは少し構造が違う。


「オーバーオールと言います」


「オーバーオール……ですか」


 私はオーバーオールを受け取ると、ファーリスに連れられ、居住スペースの奥まった場所に移動する。ファーリスがその場を離れていくと、私はオーバーオールに着替えてみた。足は少し長くて、折りたたむ。それ以外は特にブカブカという訳でもなかった。ファーリスはどちらかと言うと、線が細い。たぶんそのおかげだろう。なんだかうれしくなる。贈り物と言えるかわからないけど。


「着替え終わりました」


 私が居住スペースの中心の方に戻っていくと、ファーリスがこちらを見て、少し驚く。


「可愛い……お似合いです、作業着なので、淑女に使う言葉として正しいかわかりませんが」


「いえ」


 体が軽くなった様に感じた。嬉しさが止まらない。


「出来れば、このオーバーオール、頂けませんか? とても気に入りました」


 初めての贈り物。可愛い……と言ってもらえた物。これを着ていたい。少し驚いたようにするとファーリスが「そんなものでよければ」と微笑む。


「ありがとうございます」







 とりあえずという事で私はお金を渡され、下着を買いに行く。さすがに裸にオーバーオールでは落ち着かない。ついでに足に合う靴を買い、ファーリスの家に戻った。


「ありがとうございました!」


 私はファーリスに精いっぱいのお辞儀をする。


「そんな! いいですよ!」


 ファーリスは綺麗な所作で私に椅子を薦める。私が座ると、ファーリスも向かい合う様に座った。


「とりあえず……捕まっていたという事ですけど」


 その言葉で一気に重苦しい空気になる。捕まっていたなんて、異常な状況だ。いやでも重苦しい空気になる。


「憲兵への連絡すれば……そのまま元の場所へ戻れるはずですので、安心してください」


「まって! ……ください」


 思いのほか大きい声になってしまい、尻すぼみに声が小さくなる。あの場所へは帰れない。帰りたくもない。ここに居たい。どうか。


「ここで……働かせてもらえませんか?」


「え?」


「元の場所はひどい所で……帰りたくありません、ここに居たい、憲兵には連絡しないでほしいです」


 私の言葉にファーリスは驚いた表情になる。そして、そのまま思案する表情に。何とかここに居たい。どうかお願いだから。ファーリスと離れたくない。そう思う。


「そう……ですか」


 その言葉の後、すぐにファーリスが微笑みを見せた。


「むしろ僕の方から、お願いしたかったくらいです」


「本当ですか?! 嬉しい! 頑張ります!」


 私はガッツポーズに力が入りすぎて、体を縮こまる。その様子を見て、ファーリスが可笑しそうに笑った。私は少し恥ずかしくなり、顔を赤くしながらも、笑い返す。次第に二人の笑い声は大きくなる。あぁ、幸せだ。とても。


 二人の楽しい時間が少し落ち着いた頃、ファーリスがさて、と立ち上がる。


「店を開けます、少し開店時間が遅れてしまいましたが」


「あっ、すみません! 私のせいで」


「そんな事ありませんよ、元々流行っていない店なので、いつ開けても同じです」


 苦笑してファーリスが言う。私は言葉に困り、黙ってしまう。そうしているとそれに気づいたファーリスが「困りますよね、すみません」と苦笑を続けたまま言った。


「あっ、お詫びと記念に花を」


 思いついたようにファーリスが花壇に移動して、花を一つ持ってくる。白い花で先だけが赤くなっている。


「フッキソウと言います、花言葉は良き門出」


「ありがとうございます!」


 良き門出。今日を表す花にぴったりだった。受け取ったフッキソウもなんだか生き生きしている気がして。私は嬉しくなる。


「行きましょう」


 店の方に移動して行くファーリスに私は続く。受け取った花はオーバーオールの前面についたポケットに、見えるように差し込んで。







 店を開けて、ひと段落しても、お客さんは現れない。流行っていないというのは、否定できない状態。


「とりあえず、いろいろと説明しないといけないので、暇な方が都合がいいですよ」


 気にしていない風にファーリスが笑う。それもどうなんだろうと思いつつ、私はファーリスに体を向ける。


「ここは見ての通り花屋です」


「はい」


「それともう一つ、僕は魔法使いです」


「そう……なんですか」


 魔法の才能というのは貴族に多く現れる。平民には滅多に現れないのが世の常だ。ファーリスは貴族には見えないし、平民でありながら魔法の才能を持って生まれたという事だ。ただ花屋と関係ある話に思えない。


「唐突に思えるかもしれませんが、ちゃんと関係ある話ですよ」


 少しいたずらっぽく笑うファーリス。そのまま言葉を続ける。


「ここにある花は本来、咲く季節がバラバラなんです」


「そうなんですか」


 つまりありえない事が起こっているという事。私は納得する。魔法が関係ある話だった。


「察しがついたみたいですね、つまりここの花は僕の魔法で、咲くタイミングを変えている訳です」


「スゴイですね」


「スゴクはないですよ……そういう事で、少し特殊な花屋というのは理解をしていてほしいという事です」


 とても花に詳しくなければ、たぶん気付かない部分だろう。私は言われるまで、この花たちが、咲く季節が違うと気付かなかった。お客さんはほとんどそうなんじゃないだろうか。


「ところで」


 話を変えるようにファーリスがそう言う。


「なんでしょう」


「花の香は好きですか?」


「はい、好きです、最近まで気にした事がなかったけど、好きになりました」


 私の言葉に少し嬉しそうにしたファーリスが「よかった」と呟く。


「今ですね、花の香り袋を作ろうと思っていまして」


「香り袋?」


「はい、簡単に言うと、袋に花弁を入れて、いつでも香りを楽しめる物を作りたいのです」


「あぁ! 素敵ですね! いつでも香りが楽しめるなんて」


「そうなんです! 良いと思うんです」


 嬉しくなって、私とファーリスの顔が近づいてしまう。気付いた二人は赤くなって、すぐに離れた。


「女性が主に欲しがると思いまして、出来ればナナさんに手伝ってもらいたいんです」


「はい! ぜひやってみたいです!」


 そんなに素敵な物を、作る手伝いをさせてもらえるなんて、とても嬉しい。


「よかった! 僕みたいな男の感性では不安だったんですよ」


「そんな事ないですよ、ファーリスさん一人でも、きっと素敵な香り袋を作れたはずですよ」


「いや、そんな事は」


 謙遜するファーリスの手を私はしっかりとつかんで見つめながら言う。


「素敵ですよ、とっても!」


 ファーリスはとても素敵な男性だ。優しくて、花が好きな所もなんだかとっても。


「ナナさん」


 困った様に声をあげるファーリス。私も近づ行き過ぎていた事に気付いて、また距離を取る。顔が熱い。ファーリスもまた顔を赤くしている様だった。私達はしばらく、ドギマギとしてしまう。


「……とりあえず、落ち着くまでは、香り袋の研究はやめておきましょう」


 少し普通に戻ったファーリスの言葉に、私は「お気遣いありがとうございます」と返す。気持ちとしてはすぐにでも、香り袋を作ってみたいと思うけど、その楽しみは取っておこうと思う。







 数日がたって、私は新しい生活に慣れてきていた。今日も朝日が上がるくらいに起きて、ファーリスと一緒に花に水をやり、朝ごはんを食べる。少し違ったのはポストに入っていた新聞を取り出した時、偶然目に入った内容だった。すぐに新聞を開く。


「! ソール国王、不可解な死」


 私が生まれ育ったあの国の王が、不可解に死んだらしい。読み進めると、マージル王子が即位と書いてある。そして、結婚とも。その相手はエリィ。私の頭に浮かぶ可能性。エリィが王を殺したのでは。私は身震いする。あの悪女ならあり得る。


 それにしても、マージルは馬鹿な事をしたと思う。あの悪女を選ぶなんて。これから地獄の日々があの人に待っているのではないかと思うと、少し溜飲が下がった気がした。


「ざまぁみろですね」


 汚い言葉使いを誰にも聞かれていないか、周りを確認する。誰もいない。私は新聞を綺麗に折りたたむと、家に急いで戻った。




×××




 私が心を操る魔法と出会ったのは、市場の一角だった。おばあさんが訳の分からない物を売っていて、その中に魔導書があったのだ。裕福でもない平民だった私は、買えないのは分かっていながら市場を見て回っていた。その時、ふと一冊の本に目が止まった。私はすぐにその本を手に取り、開いてみた。


 中には文字がびっしりと書かれていた。でもその意味をすぐに理解できた。その時、高い魔力とこの魔導書に書かれた魔法への適性が恐ろしく高い事も。


「読めるらしいね」


 しわがれた声で店主のおばあさんが言う。


「他の人はそれを見ても何も書かれていないと言うんだよ」


「そう」


 私はそこに書いてある魔法、一番簡単で今すぐにもできそうな基本の物を使った。


「ねぇ、おばあさん、この本貰っていい? もちろん無料で」


「いいよ」


 ほとんど、ためらいもなくおばあさんはそう返す。満足げな笑顔をしたような気がしたけど、私は気にせず、本を持ってその場を離れた。




 それからはとても順調だった。手に入れた魔導書の魔法を勉強して、理解して、実践する。そうすれば誰もが、私の言う事を聞いてくれる。そうやって魔法使いに家庭教師をお願いして、魔法を学ぶこともした。そのおかげで、貴族が通う魔法学校にも入学できた。


 私は常に学年トップ。これは自分の実力で勝ち取った。わざわざ、試験官の心を操るほどでもないぐらい簡単だったから。そうしていると、いつも二位にいるナナというご令嬢の嫉妬心に気付いた。しかも彼女は次期国王であるマージルの婚約者。これは使えると直感した。


 ナナの嫉妬心を操って、少し背中を押してやる。それだけで、思い通り私をイジメるようになった。同時にマージルにも近づいて、魅惑を使った。王子という重責に抱える物も多いらしく、簡単に操る事ができた。


 そして、頃合いを見て、ナナにやりすぎてもらう。マージルにそれを目撃させて。上手くいきすぎて吹き出しそうになってしまった。つい私はナナに耳打ちをしてしまったけど、国外追放の手筈はマージルに整えさせていたから問題ない。すべてが思い通り、私とマージルは婚約した。







「ねぇマージル様」


 薄暗い部屋で、私はマージルにまとわりつく。


「何だい? エリィ」


 甘ったるい声で、マージルが返してくる。私は一度、マージルと唇を重ねてから、耳元で囁く。


「邪魔なお義父様を消して、あなたが一番になりましょう」


 私の体が仄かに光り、一瞬だけ、部屋が照らされる。おかげで、マージルの表情が強張っているのが見えたけど、すぐに微笑みに変わるのも見えた。




×××




「ナナさん」


「はい?」


 私は店番をしていた時、ファーリスから声をかけられて、振り向く。なんだろう。


「だいぶ慣れてきましたね」


 微笑みながらファーリスは言った。私は嬉しくなる。早く役に立てるようになりたくて、一生懸命頑張った。それを認めてもらえるのは嬉しくて仕方がない。それに加えてそれを言ったのがファーリスならなおさら、浮かれてしまう。


「という事で、一つ課題を出します」


「え! 課題ですか」


 私は背筋をピンと伸ばして、姿勢を正した。それを見てファーリスは吹き出す。


「なんですかぁ」


 少し拗ねたように私は抗議した。真面目にやっただけに、そう言う反応はなんか恥ずかしい。


「いえ……すみません」


 笑が少し落ち着いたファーリスがコホンと咳ばらいをすると言葉を続ける。


「そんなに硬くならなくてもいいですよ、気軽に取り組んでもらえば、期限も設けませんし」


「そうですか、わかりました」


 私の言葉を聞くと、ファーリスが頷いて、隠していたらしい花束を見せる。綺麗な花束だ。色は種類があるけど、花自体はすべて同じ種類に見える。私は花束を受け取ると、ファーリスを見つめた。


「それが課題です、花の名前と……花言葉を自分で調べて報告してください」


 なぜだかファーリスが赤くなってモジモジとする。どうしたんだろう。私は首を傾げつつ、花に目をやる。一本の茎にランダムに小さな花が沢山ついている。花弁をよく見ると、上と下で形が違って、ちょっとウサギに見えなくもない感じ。やっぱり、全部、同じ種類の花で色だけが何種類かある。赤、ピンク、白、紫、黄色だ。花言葉はきっと色は関係ないというのを伝えるためだろう。葉っぱは平たい感じの物。香りはする気がするけど、よくわからない。


 ある程度の分析を終えると、私はファーリスを見る。


「一応、聞きますけど、答えはわかりましたか?」


「いえ、全然」


「……そうですよね」


 一瞬だけ残念そうな表情をしたファーリスが、微笑んで言葉を続ける。


「図鑑を使って調べてみてください、その時、きっと他の花の事も目に入ると思うので、覚えやすくなると思いますよ、それと僕の魔法で萎びてしまうのを遅らせていますが、それでも枯れてしまったら、またお見せします」


「わかりました」


 ファーリスが花瓶を用意してくれて、私は貰った花束を活ける。さっそく調べてみようかと気合を入れて、図鑑がある居住スペースの方に行こうとすると、それをファーリスに止められた。


「お店の仕事優先です」


「そんなぁ」


 クスリといじわるな笑みを浮かべるファーリス。そのまま店の方に押し戻される。意地悪だ。言っちゃあなんだけど、どうせ暇なんだからいいじゃない。


「今、どうせ暇なんだからいいじゃないとか思いました?」


 ファーリスが鋭く指摘する。私は目を泳がせてしまって、そう思った事がバレてしまった。ファーリスは私の両頬をつねって引っ張る。


「ごめんなひゃーいー」


 少しの間、そうやって謝ってやっと解放される。私は両頬を擦って、痛みを和らげようとした。


「まぁこれぐらいで許しましょう」


「自分で、流行らないとか言ってたくせに」


 私は苦し紛れに反撃の言葉を口にすると、ファーリスが大げさなしぐさで、つねる様な動作をして言った。


「まだ足りませんかねぇ」


「いえ! 充分反省しました!」


 少しふざけるように私は背筋をピンと伸ばして、敬礼をして見せる。満足げに頷いたファーリスはつねるような動作をやめた。私はなんだかおかしくなって、吹き出してしまう。それを見たファーリスも同じように笑った。なんて幸せな時間だろうか。私は心がとても温かくなるのを感じた。


 ひとしきり笑うとファーリスが手を一度叩き、それから話を始める。


「ところで、花の香り袋の件を覚えていますか?」


「はい! 覚えています、私が仕事に慣れるまでは、やめておくって話になった」


「はい……ナナさんの仕事ぶりに余裕が出てきたので、そろそろ手をつけようかと思いまして」


 余裕が出てきたけど、結局、課題を与えられて、その余裕は消えてしまう気がするけど。意外とこのお方は人使いが荒いかもしれない。私が心の中で少し毒づいていると、ファーリスは気づかない様子で、話を続ける。


「とりあえず、どういうコンセプトにするか、そこを決めようかと思いますが」


「そうですね! 方向性が決まらない事にはなんとも」


 私の言葉にファーリスが頷く。コンセプト。どういう物が良いだろうか。私は腕組みをして考え始める。


「はは、それもなかなか難しいですよね……ナナさんはどんな香りが好きですか?」


「香り……ですか」


 どんな香りが好きか、そんな事考えた事がない。香りに触れる機会なんて、食事の時くらいだった気がする。ご飯の匂いなんで言ったら笑われてしまうし。そう考えているうちに、食べ物関係で私はふと思いつく事があった。果物の香り。甘い匂いとか、酸味のある匂いとか。花でもできそうな物は何だろう。


「甘い匂いとか……ですかね」


「あぁ……もしかして食べ物から連想しました? 食いしん坊ですね」


 少し意地悪な笑みを零すファーリス。私は「もうっ」とファーリスの背中をバチンと平手打ちする。「そうですよ! 食べ物から連想しました!」


 私は頬を膨らませて、ファーリスに背中を向ける。


「すみません! 機嫌直してください」


 ファーリスが大げさに謝ってくるのを少し振り返って見て、私は吹き出してしまう。


「もぉ、しょうがないなぁ」


 笑わせてもらったのに免じて、私は許しの言葉を伝える。ファーリスは「よかった」と微笑んだ。


「なんか最近、意地悪です」


 体をファーリスの方に向きなおしながら、私は苦言を呈す。最初の頃はかなり優しくて、ちょっと心配しすぎではというくらい、私の事をずっと見ていた。まぁ、打ち解けてきたという事なんだろうか。


「でも、よく考えたら、甘い香りはありきたいと言うか、もう少し、捻った感じの方がいいですかね」


 私は真面目な顔に変わって、仕事の話を再開する。


「あぁ、確かに」


 ファーリスは腕を組んで深く考え始める。私もそれに倣って、考えを深めた。甘い香りだけなら、極端な話、誰でも作れる。花屋が売るなら、家庭で出来ない事をしなければ。花屋らしく、いろんな花をブレンドする。合わせる。私は閃く物を感じた。その勢いでほとんど勝手に言葉が出てくる。


「いろんな花のブレンドです! その名も花束香り袋! どうですか?!」


 言い終わって、気付くと私の勢いに圧倒されて、ファーリスが呆気にとられた表情で私を見つめていた。私は顔が熱くなるのを感じる。なんと、はしたない事をしてしまったんだろう。穴があったら入りたい。私は体を小さくして俯く。恥ずかしくてファーリスの顔を直視できない。


「いや、ちょっとびっくりしてしまって、すみません、花束香り袋いいですね! とってもいい考えです!」


「本当ですか?」


 俯きを解除して私はファーリスの顔を見つめる。はしたない事をしてしまったけど、自分の案を認めてもらえるのは単純に嬉しい。


「本当です! 面白いと思います」


「……よかった」


 恥ずかしさの熱さから、次第に嬉しくて興奮する熱さに変わっていく。仕事と呼べるほどの事をしていないけど、なんだか仕事を褒められたような、そんな嬉しさだった。そのおかげでさらに考えが浮かんでくる。


「じゃあ、花言葉でまとめた香り袋はどうですか?」


「というと?」


「パッと思いついたものですけど、例えば、恋の花言葉の花を集めた香り袋とか……恋の香りという名前で」


「それ! いいですね! 恋の香りがする花束香り袋、ありかもしれませんよ!」


 先ほどよりも興奮した様子で、ファーリスが言葉を発する。興奮したのかファーリスは私の手を掴んで少し踊る様に跳ねる。私も嬉しくなって、一緒に飛び跳ねた。


「あっ、すみません」


 ファーリスが自分と私のつないだ手を見て、ハッとし、離れた。顔を赤くしている。私も冷静になって顔が熱くなるのを感じる。心臓の音がうるさい。


「つい興奮してしまって」


「いえ……私も同じですから、謝る事じゃあ」


 二人でもじもじしていると、ファーリスが空気を変えるように言葉を発する。


「とにかくいい案が出ました、ありがとうございます……やっぱりナナさんに出会えてよかった」


 何気ない一言を放ったファーリスは、そのまま居住スペースの方に入って行く。私は顔が熱くなっているのを感じて、しばらく立ち尽くす。出会えてよかっただなんて、嬉しい。それって好きって事なのかな、考えすぎなのかな。私はすでに彼の事が。


 私は少し遅れてファーリスを追って、居住スペースの方へ移動する。そこには図鑑を広げて、思案するファーリスの姿。


「恋の花言葉でもいろいろあるので、そこもテーマを絞らないと」


 そんな事をブツブツと言っているファーリス。私は我慢しきれなくなって、声をかける。


「さっきの……こと……ばって」


「え?」


 勢いはどこに行ってしまったのか。私の言葉は途中で聞こえないくらいにまで小さくなってしまった。私の事、好きって事でいいですか。そんな質問をしようとした。こんな事いきなり言われて、迷惑だろうし、もし好きじゃないなんて言われたら、とてもじゃないけど、私は恥ずかしくて、ここに居られない。気まずくて、ここに居られない。


 私は顔を横に振る。勘違い発言をしない様にしないと。自惚れるんじゃないわよ。私はその辺の石ころよ。私なんかじゃ。


「どうしました?」


「いえ! すみません、仕事に戻ります」


 体を店の方に向けて、歩く。ここに置いてもらってるだけで、幸せなのだから、あまり、調子に乗ってはいけないわ。私は店の中の定位置にたどり着くと、そこに置いてある椅子に腰かけた。


「つい夢中になってしまって、すみません」


 私を心配してくれたのか、店の方に戻ってきたファーリスがそう言う。


「いえ、大丈夫ですよ」


「でも、ナナさんに仕事優先って言っておいて、僕が仕事を放り出してたら、いけませんでした」


 イタズラがバレた時の様に笑うファーリス。私もつられて笑う。


「そうですね……気を付けてくださいね」


「はは、手厳しいですね、今後気をつけます」


 そう言ったファーリスを見て、私は弾けるように笑顔がこぼれる。ファーリスも同じだったようで二人で笑い合った。幸せな時間。今は好きか嫌いか、そんなのどうでもいいかな。







 夜になって、閉店作業が終わると私はさっそく、図鑑を開いて、今日出された課題の花を探した。それがとても大変である。とんでもなく分厚い図鑑が、本棚一杯に並んでいて、ここからあの花を見つけ出さないといけない。イラスト付きで花の特徴もしっかり書かれているので、見れば気付くと思うけど。問題はそれだけじゃなかった。花言葉は別の書籍を探さないといけない。元々花言葉は吟遊詩人がつけたのが定着したらしい。だからというべきか、学術的な図鑑には花言葉は載っていない。花言葉の詩集から探し出さないといけないのだ。しかもこちらはイラストが無いから、花の名前の文字を探す作業。


「はぁー」


 私は思わずため息をついた。まずは図鑑で花の名前を調べるところから。それが見つかったら、詩集から、その花の名前で花言葉を探す作業。途方もない。


「最初はそうなりますよね」


 ファーリスが夕食を作りながらそう言った。とてもいい匂いが部屋中に充満している。集中力が持っていかれそう。


「ファーリスさんは全部覚えているんですか?」


「さすがにそれは」


 ファーリスは頭を横に振って、続ける。


「どこにどの花の事が書かれているかぐらいを、なんとなくしか把握していませんよ」


 余裕な感じでファーリスは言った。それもすごい事だと思う。ファーリスが花について調べる時、図鑑を何冊も開いている所を見た事がない。本当にだいたい把握しているという事だ。


「それより、もうすぐご飯が出来ますよぉ」


 ファーリスがクスクスと笑いながら、軽い風の魔法で私に料理の匂いを当てて邪魔をしてくる。お腹の虫が空腹を訴えた。


「もぉ、邪魔しないでください!」


「はは、ご飯作らなくてもいいのですか?」


 意地悪な笑みでファーリスがそう問いかけてくる。


「それは……ダメです」


 怒るに怒れず、私は観念したように唸った。ファーリスは私の姿を見て「食いしん坊ですもんね」と笑う。悔しいけど、ファーリスの作る料理は美味しい。私は今までこれほど食に対して執着はなかったけど、それを変えてしまうほど、ファーリスは料理が上手いのだ。


「いけない、いけない」


 私は誘惑を振り払うため、頭を横に振ると、図鑑に手をかけようする。少しでも図鑑を開いて、調べを進めていかないといけない。途方もなく時間がかかってしまうから。


「ほらほら」


 相変わらず風魔法で私に料理の匂いを流してくる。とてもいい匂いだ。ついついその匂いをずっと嗅いでいたくなる。


「むぅ!」


 私は抗議の声をあげた。ファーリスは嬉しそうに微笑んだ。







 食事を終えて、私はやっと落ち着いて図鑑を開いていた。やっと始まったけど終わりが見えない。花瓶に活けられた花を前にして、ページを開いては似てる花を見つけて、見比べる。そうやって、ページを進んでいく。


「休憩も大事ですよ?」


 ファーリスの優しさのこもった声が聞こえてくる。


「はい、大丈夫ですよ」


 図鑑のページから目を離さず、私は声だけで返した。早く出来るようになりたい。そう言う気持ちがあって、課題に取り組んでいる。足手まといになりたくないのだ。


 するとふいに、肩に温かみを感じて、ビクリと驚いて、私は振り返った。そこにはファーリスが立っていて、私の肩に手を添えていた。


「肩に力が入っていますよ、マッサージしましょう」


 そう言って、有無を言わさず、ファーリスは肩のマッサージを始めた。どうも肩に力が入っていたようだ。初めて私はそれを認識する。


「頑張るのもいいですが、もっと力を抜いて」


「……ありがとうございます」


 優しく揉まれる肩がとても心地いい。だいぶ肩に力が入っていた様だった。これはもしかしたら、ずっとそうだったのかもしれない。図鑑を開く前からずっと。


「ありがとうございます、もっと役に立ちたくて、足手まといになりたくなくて」


「……足手まといなんて全然、役にも立っています、香り袋の件、僕じゃ思いつきませんでしたよ」


 ファーリスの心遣いがとても温かかった。嬉しさが込み上げてくる。思えば、私はあまりいい令嬢と言えなかった。裕福な家庭で何不自由なく育った。ほしい物は何でも手に入った。たぶん、酷いというほどではないけど、あまり好まれてもいなかったのではないか。


「……こんなに頑張るなら、申し訳ないから、ヒントをあげましょう」


 私はファーリスを見る。何が申し訳ないのかわからないけど、ヒントは大変助かる。


「ありがとうございます!」


 私がお礼を言うとファーリスがなんだか一度苦笑して、ヒントを告げてくれた。


「春の草花です、それからこの図鑑は季節でまとめられていますので、それでだいたい、どこからどこまで調べればいいかわかります」


「わかりました!」


 私が立ち上がって、ファーリスに体を向ける。そのまま頭を下げ「ありがとうございます」と伝えた。なぜだかファーリスは顔を赤らめている。


「い、急がなくていいですから、ゆっくり」


 微妙な動揺に私は首を傾げつつさっそく、図鑑を確認する。季節ごとになっているなら、調べる量は四分の一になる。大幅な時間短縮だ。




×××




「マージル殿下」


「ッ! なんだ?」


 俺は今何をしていた。臣下の声はほとんど聞こえていなかった。合わせるように言葉を取り繕い、俺はその場を離れる。最近、無意識になってしまう事が多くなってきた。何も考えられない状態。そんな状態がふいに訪れ、俺は支配される。お父様を毒殺した時も、そんな状態になっていた。あれは俺の意思ではなかった。


「はぁ」


 ため息が漏れる。実際はなんとなく想像はついている。エリィがおそらく元凶だ。俺はなぜかエリィの言葉に逆らえない時がある。そういう時は決まって、エリィの体が仄かに光っていた。あれはきっと何かの魔法だ。俺は操られている。


「思えばあの時も」


 まだ、魔法学校に通っていた時、エリィと出会い、なぜか仲良くなっていた。友情や愛情という物は一朝一夕で出来上がる物ではない。そうではないはずだが、俺はあの時、出会って間もないエリィを深く愛していた。そして、ナナからのイジメの話を聞いて。


「……ナナ」


 俺はナナの事を思い出す。あまりお人好しという感じではなかったが、人をイジメるような人柄でもなかった。良い所もあったし、ダメな所もあった。普通の娘。


「ナナ」


 なんで俺はエリィを選んでしまったのか。


「あなたが、私に気があったのよ」


 突然、声が聞こえて、俺はハッとする。いつの間にかエリィが目の前に立っていた。場所もエリィの部屋だ。


「なっ」


「私はあの時、あなたの心をくすぐっただけ、私に気があったから、愛が芽生えたの」


「何で考えた事を!」


「愚かな人……今全部、思った事を口に出していたよ……まぁ私がそうしたんだけど」


 恐ろしいほど、悪意に満ちた笑顔をエリィは向けてくる。俺は腰が抜けていまい、その場に座り込んだ。


「すまない! 違うんだ」


「いいの、いいのよ……私は怒っていない」


 腰を下ろし目線を合わせて微笑んだエリィが、優しく俺の頬に手を当てる。


「私は人形を愛する趣味なんてないもの」


「っ!」


 俺は人形。この女にとって、権力をほしいままにするための道具。俺の体に悪寒が駆け抜ける。体の震えが止まらない。


「怖いのぉ? じゃあ、その恐怖、消してあげようか」


「い、いやだ、もうやめてくれ」


 自然と俺の口から懇願の声が漏れ出てくる。


「だぁめ、まだあなたには壊れてもらったら困るの」


 エリィの体が仄かに光る。俺の中で恐怖が消えていく。人としての尊厳も一緒に。ナナ。俺は愚かだったよ。君を選ぶべきだった。君に会いたい。


「おやすみ、マージル様」


 最後に見えたのはナナではなく、悪意に満ちたエリィの笑顔だった。




×××




「あっ」


 私は自然と声をあげてしまった。ファーリスが私の方を見て不思議そうな顔をする。


「ナナさん、どうしました?」


「いえ、大丈夫です」


 隠す必要もないのになぜか私は隠してしまう。かなり日数が経過して、やっと図鑑で課題に出された花を見つけた。やっと見つけた。でもそれを隠す理由があった。たまたま花言葉の詩集を見ていた時、この花の花言葉を読んでいた。本当に偶然の出来事。その時は花の名前しか書かれていない詩集だったから、課題の花という事に気付いていなかったけど、今花の名前が分かって、繋がった。この花の名前と花言葉が。


「ふぅ」


 私は落ち着くために一度大きく息を吐く。ファーリスは相変わらず、不審そうにこちらをチラチラと見ていた。私は何気ないしぐさで、図鑑を置いて、詩集に手を伸ばす。もしかしたら勘違いの可能性もある。確かめないといけない。確か載っていたと思われる詩集をパラパラとめくっていくと、該当する花の名前が目に飛び込んできた。やっぱり花言葉はこれだ。


「ッ!」


 私は途端に体がびっくりするぐらいに熱くなった。そういう事なんだよね、そういう事で良いんだよね。私は自分に問いかける。課題の花の花言葉はそう言う類のものだ。


「本当にどうしました?」


 ファーリスが心配する様に声をかけてくる。


「あ、ぁの~、課題の件で」


 声が裏返ってしまう。とりあえず無理やりにでも言葉を続けた。


「課題の答えが、わかりました」


 私がしどろもどろに伝えると、それを受けてファーリスの顔が真っ赤になる。この反応は本当に。


「き、聞きま、しょう」


 ファーリスが私の前に立つと、そう言った。なんて伝えよう。いや、答えを言えばいい。ただそれだけの事。


「花の名前は……」


 少し自信が揺らいで声が小さくなった私の言葉にファーリスは少し震える。ちゃんと当たっているらしかった。私も継ぐ言葉を躊躇してしまう。恥ずかしすぎる。


「……花言葉は」


 ファーリスが急かすようにそう問いかけてきた。私は頭が爆発しそうになる。苦し紛れに訳の分からない事を口走ってしまった。


「こ、こういう言葉を! 女性から言わせるなんて卑怯ですわ!」


「そ、それは……」


 面食らったようにたじろぐファーリス。取り繕う様に反論してくる。


「そういう事を言うのが苦手だから、こういう……形に、したんですよ」


「わからなくもないですが、殿方はもっとシャキッとしてくださいませ!」


 もう何が何だかわからず、言葉使いもおかしくなっている。それでも私の言葉でファーリスの目に決意が灯る。


「ナナさん! 僕は」


 言葉が一度途切れる。逡巡するファーリス。でもすぐに言葉の続きを言った。


「僕は、ナナさんが好きです、付き合ってください」


 私は待ちに待った言葉を受け取った。同じ思いだった。私は天にも昇る思いだ。


「私もファーリスさんが、好き……です」


 とんでもなく体が熱い。火がついてるのかと思うほどに。ファーリスは私の言葉を受け取って、そのまま顔を近づけてくる。私はいきなりなの、と思いつつ、不器用なこの人をとても愛おしく思った。




 渡された花の名前はリナリア。花言葉は、この恋に、気付いて。

最後までありがとうございます!

現在、他の恋愛物を連載中です。

そちらもよかったら、読んでいただけると嬉しいです!


「あら残念でしたね、足手まといと思って私を見捨てたのに、私の方が高待遇、ざまぁ」


https://ncode.syosetu.com/n3724hn/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして 王族等が下級貴族や平民に入れ上げて、諫言を信じて婚約破棄を宣言、悪役の立場の令嬢が無実を立証し、逆転するという所謂「テンプレ」とは違いますね テンプレで、なくとも断罪後のスト…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ