〜29〜団長登場しました。
視線を光の中から現れた巨大な影に目を向ける。
だだっ広い王座の間に現れたのは、25mをゆうに越す巨大な傷ついたボロボロの鮫だった。
鮫にしてはだいぶピンクや黄緑色のファンシーな色合いをしているが、いたるところの肉が抉れ、黒く酸化した骨が覗き見えている。
鰭や尾びれは今にも千切れてしまいそうだ。
「さっ鮫!?」
「ラヤウェヌ団長!?」
現れた捕食者に身構える私の耳に、オルカリンドの酷く焦った声が聞こえる。
団長呼ばれた鮫にもしかしてと思う。
目の前の鮫はオルカリンドの方へ頭を向けると、そっと目を閉じて体をぶるぶると震わせる。
そのままその場で回転するように体を回すと、鮫の周りに激しい渦が生まれた。
鮫の体が見えなくなるほどの渦はすぐに勢いを失っていき、小さく細くなっていく。
同時に、あれほどの巨体が見る影もなく消え失せた。
代わりに現れたのは一つの人影。
私は思わず目を見開いて立ち上がってしまった。
はじめてみる光景に言葉が出ないし、喉がカラカラと渇いていき全身から血の気が引いて背筋が凍る。
さっきの鮫には驚いただけなのに、人の形になっただけでこうも感じるものが変わるのか。
けど、こんな光景、前世ではまじかで見る機会は無かったし、あったとしてもそれは画面の向こう側か、関係ない知らないところでの話し。
もしくは作り話の他人事でしかなかった。
「ご無事ですか、ラヤウェヌ団長!?」
かろうじて原形を留めてるボロボロの軍服から覗き見える、ぐじゅぐじゅに焼き爛れて抉れた肌。
黒い酸化した穴あきの骨。片足はあらぬ方向へと折れ曲がり、手の指先は爪が剥がれ肉が裂けている。
体のいたるところにある大小様々な切り傷に、千切れる寸前の左耳。
顔だけでなく首や肩まで真っ赤に染め上げるほど頭から流れている血は、きつく巻かれているであろう布でも意味を成さない。
滲み出る血はどんどん周囲を赤く染め上げていく。
オルカリンドが今にも息絶えそうな男性に駆け寄って、崩れ落ちそうな体を支えようとする。
けど、男性は瀕死の重傷を負ってもなお意識ははっきりとして、呼吸も安定しているように見える。
オルカリンドを手で制して、あろうことか折れている足など気にしていないかのようにその場に立っている。
あまりにも怪我をなんとも思っていないような素振りに、私は一周回って落ち着きを取り戻した。
その途端、力が抜けたように腰を下ろす。
「大丈夫だ、オルカリンド」
「ですが団長、そのお怪我は一体……」
「これは俺の未熟の証、お前が気にする必要は無い。
それに、いついかなる時であろうと我ら騎士の最優先事項は主たる皇帝陛下だ」
いやいや、私のことよりも酷い傷をしている自分を労わってほしいのだが。
思わず心の中でツッコミを入れてしまうが、私を貫く鋭い眼力に小さく悲鳴を上げる。
そんな私を他所に、ラヤウェヌと呼ばれた男は慣れた動作でその場に跪いた。
その際にボキりと嫌な音が聞こえてきたのだが、絶対気にするななんて無理だろう。
オルカリンドの顔がどんどん青ざめていく。
「このような醜い姿を御身の御前に晒すことをどうかお許しください。
俺は溟海帝国海皇近衛騎士団団長、ラヤウェヌ・ピストリークスと申します。
溟海を照らす煌光、新たなる皇帝にご挨拶を」
「っ、オルカリンド。
彼を医務室に連れて行ってくれ」
「ご心配には及びません、皇帝陛下。
見た目は酷いですが痛みはございませんし、このように問題なく動かせます」
そう言いながら片手をぐるぐると回しているのだが、避けている肉が今にも千切れそうだ。
それに、さっき跪いたときもう片方の足も折れたよね。
全然問題ないわけないだろう。
私はこんなにも酷い傷を負った負傷者をそのままに会話を進める度胸は無い。
なにより、これ以上放置して悪化してほしくない。
だから医務室に連れて行くように頼んだのだが、笑顔で断られた。
なぜというのが顔に出ていたのだろうか、そっと困ったように眉をひそませる。
「それに、この傷はどんな高級なポーションを用意ても、どれほど高等な回復魔法をかけても治すことは叶いません」
「治らない?」
「俺の傷の全てに呪いがかけられているのです。
傷を負わせた相手でなければ治せないという呪いが」
治せなくても悪化しないようにするとかは出来ないの?
心からそう思ったのだが、呪いの内容に心当たりがあった。
確か、書庫で読んだ呪いに関する本にあったはず。
「...…もしかして”禁治の呪い”か」
「!、はい。
ご存知でしたか」
すぐに出てきたのはきっと印象が最悪だったからだろう。
……まぁ、他にも知りたくなかった呪いは山のようにあったけど、趣味の悪さや嫌がらせ目的ならトップをはれる。
嫌がれせの次元を超えているように思えるけどね。
”禁治の呪い”。
その名の通り、呪いを受けた相手の傷を治せなくしてしまう呪いだ。
切り傷や刺し傷なら塞がれないし血も止まらない。
骨折ならくっつかないし、火傷はずっと焼かれたときのまま。
絶対にかかりたくない呪いだ。
しかも、この呪いには解呪方法が無い。
書庫にあった呪いに関する全ての本にこの呪いを解く方法は無いとあり、その答えが、呪いをかけた者が治療するということだろう。
「書庫にある本に呪いについての本があった。
誰に呪いをかけられたの?」
そう問題はそこだ。
誰が団長に呪いをかけたのか。
「……忌々しい邪神の配下の一人、フィリタという名の男です」
「......…………フィリタ?」
どこかで聞いたことがあるような名前が出てきたと同時に、ものすごく嫌な予感がする。
頭に思い浮かんだのはあの顔面兵器なのだが、すぐにサッと消し去る。
きっと名前が似ているだけだろう。
うん、そうに違いない。
にしても邪神か。
物凄く関わりたくないのだが、今の状況から考えるに不干渉はどうやっても避けられないだろうね。
瀕死の傷を負った団長と、怒りから顔を歪ましているオルカリンドを見るに、この帝国を滅ぼしたのはその邪神に間違いない。
帝国の、憎むべき敵。
私が皇帝としてこの座に座ると決めた以上、いずれ戦わなければならない予感のする相手。
「フィリタはこの世の悪という悪の頂点たる邪神に仕える天使の一柱にして、かつての俺の友でもありました。
……フィリタが愛用している武器には”禁治の呪い”が染み込んでおります。
この傷のほとんどがその武器にやられました」
ん?
邪神に仕える天使?
確かに天使といえば神に仕えている印象強いけど、邪神にまで仕える天使もいるのか。
……にしても、話を聞いているとさっきの嫌な予感がどんどん確信へと変わっていくのだが。
「治らない……俺をずっと痛め続ける傷。
……ハハ、ハハハ」
うわ……。
え、あーー、これは……もしかして。
「申し訳ありません。
こんな団長で申し訳ありません」
「オイ、こんな団長とはどういうことだ?」
「申し訳ありません」
「大丈夫」
いや、大丈夫じゃない気がしてきた。
団長は謝るオルカリンドに心外という顔を向けながらも、一つ一つの傷を確かめるように、裂けて骨が覗き見える指先でゆったりとなぞる。
まるで愛おしい恋人に触れるような、なんて言葉がつきそうだ。
まじかでそれを目の当たりにしたオルカリンドの目は汚物を見るように冷め切っており、もはや心配などしていなかった。
かくいう私も、初めてそういう嗜好を持っている者に会ってどうすればいいのかと困惑している。
そっとオルカリンドに目線を向けると、無言で首を振られた。
「団長、せめて包帯を巻きましょう」
「必要ないな。
巻いたところで血が止まるわけでもないし、包帯を無駄にするだけだ」
「いえ、そういう訳ではなく……はぁ」
諦めないでくれ、オルカリンド。
他に誰が団長に物申すというの?
「皇帝陛下。
もう団長の傷については置いておきましょう」
「え!?」
「気にするだけ無駄です」
確かに、治せない傷のことについて話していてもどうすることも出来ない。
けど、本当にそのままでいいのだろうか。
あぁ、今頃楽しそうに泳いでいるであろうコクヨが羨ましい。
……仕方ない、このまま話を始めよう。
「それで、団長は私に挨拶しに来ただけのか?」
「!、申し訳ありません!
俺としたことが、傷にかまけて大切な本題を忘れておりました」
「本題?」
「皇帝陛下、伏してお願い申し上げます。
どうか我らが溟海帝国に住まう民をお救いくださいませ」
折れた足がさらにボキボキと鳴るのも気にせずにその場で正座して、深く深く、床に着くくらい頭を下げた団長。
それはまさに土下座だった。
さっきまでのお茶らけた雰囲気から一転、張り詰めたような空気に変わった。
私もオルカリンドも困惑した顔を隠せない。
一体どういうことなのだろうか。
帝国の民を救ってほしいとは、決して穏やかな内容ではない。
ひとまず顔を上げてと頼むと、素直に従ってもらえた。
立つのは正直、さっきの音が怖いのでやめてもらった。
事情を聞きたいと問うと、一瞬の迷いと共に決意したように口を開いた。
「皇帝陛下は、なぜ帝国が滅んだのかご存知でしょうか?」
そう団長が私に聞くと、オルカリンドが息を呑んで眉をひそめた。
その様子に知らないと判断したのだろう、団長は言っていないのかという顔を向けた。
「言っていなかったのか」
「それは、」
「私があえて聞かなかったんだ。
オルカリンドは悪くない」
「皇帝陛下……」
そう、聞く機会は沢山あったけど、私はあえて聞かなかった。
この話題はむやみやたらに、何も考えずに聞いてはだめだと思ったから。
けど、それもここまでだ。
「話してもいいのなら教えてほしい。
何があったのかを」
「分かりました」
楽しい過去だけでなく、辛い過去も知らなければ、帝国の全てを背負うなんて夢のまた夢だ。




