初恋2
幼稚園児に本気の恋をするとは思わなかった。
十年後には好きになっていてもらうと宣言したものの、接点はゼロに等しい。ーー現実は厳しいのだ。
時々、悠が幼稚部のお迎えに行くのに付き合わせてもらったり、
「悩めるゆきお兄ちゃまと、さっちゃんの接点を作ってあげようか」
悠のからかいの言葉が、なぜかちびっこたちのお泊まり会の日に合わせて大きなオトモダチも悠の家で泊まったりすることで叶ったりしたのだけれど。
その度に弘幸が沙矢に構うので、気がつけば膝の上が沙矢の定位置になっていたり、それが羨ましかったのか柚李が高槻の膝の上に座りはじめたり(実の兄の安定感のなさは柚李もわかっているからか、こんな時は絶対にしてほしがらない)した。ちなみに和己は男の子たちによじ登られていたりする。
「俺だけ扱い雑じゃないか⁉︎」
「身長高くて、昨年まではバスケやってて体格もいいから、ちょうどいいでしょ。適材適所だよ」
「俺の使いどころ……!」
バスケやってたのなんか高槻も一緒だとか言いながら、子供たちが怪我をしないように振り回してみたり投げてみたりと中々に忙しく遊んでいる。
夏休みになれば、悠の家が所有するクルーザーでの花火鑑賞が毎年の恒例行事になっていき、冬はクリスマス会だとか、とにかく悠が弘幸に、沙矢との接点を増やしてくれたのだ。
おかげでバレンタインには「ゆきおにいちゃまだけとくべつ」な物を貰えたり、なんだかんだで意識されるようになったのは間違いない。
◇◇◇
青蘭学院は以前は中等部と高等部は男女別の校舎で、学校行事さえも別に行われていたのだが、理事長の孫の双子の姉弟が中等部に進学するタイミングで共学校になった。
双子の「同じ学校に通いたい」が、決定打となったという都市伝説がまことしやかに噂されているが、少子化対策としての学院の在り方が議論されたというのが事実である。
従来と変わらず、良家の子女が多く通っている学院に中途入学するには、ハイレベルな入試を突破する必要があり、エスカレーター式とはいえ、内部進学者も成績が維持できない時には容赦なく追い出される。
高等部の校風は自由で、唯一の校則が『人に迷惑をかけないこと』である。学生らしさを損なうと判断されなければ、髪型なども自由である。
夏休み明けの初日、教室の窓際の席に座っている少女は、物憂げな表情で窓の外を見ている。
ショートカットにした黒髪は彼女をとても活発に魅力的に見せていて、僅かに吊り上がって見える大きな瞳は大きくてネコのようとは、幼稚園の頃から大好きな友人の言葉である。
「沙矢」
鈴を転がすような声が届き、高橋沙矢は意識を教室の中へ戻す。
腰まで届きそうな長い黒髪を今日はおさげの三つ編みにしているのは、沙矢の友人の広瀬柚李である。
「柚李。おはよう」
柔らかな笑みを浮かべる沙矢に柚李も笑いかける。
彼女のことを『柚李』『ゆり』と呼ぶことを許容されている同級生は、沙矢の他には三人だけであり、他の生徒たちからは生粋のお嬢様でもある彼女への憧れから、『姫』などと呼ばれているのを本人は知っていて放置している。
「おはよう。……朝から浮かない顔してるのね。せっかくの可愛い顔が台無しじゃない」
沙矢を覗きこむようにして笑いかける柚李が、揶揄うように言う。
「麗しのお姫様の笑顔が見られるなら、浮かない顔してるのも悪くないかもね」
「沙矢にだったら笑顔くらいいつでも見せてあげるわよ」
沙矢の髪に柚李が触れる。
「まだショートカットにしておくの?」
綺麗な髪なのに伸ばさないのは勿体ないと、柚李は事あるごとに沙矢に言う。
「ゆき兄さまに貰ったアクセサリー、いつまで経っても使えないわよ」
周囲の誰にも聞こえないようにと、柚李の潜めた声に、沙矢が笑う。
ちいさなピンク色の胡蝶蘭をかたどった上品なデザインのバレッタを昨年の誕生日に「さっちゃんの卒業式に、つけてほしい」という言葉と共に大好きな人から貰った。
沙矢の初恋の人は年上の人で、高等部の三年になった今年は担任の教師でもある。柚李と双子の弟の祐稀の兄の友人で、幼稚部の年長の時に初めて出会った人だ。
今考えると、とても不自然なくらいに、柚李の家でお泊まり会をすると、兄の友人たちも勉強会だなんだと理由をつけてその場にいたし、花火大会やクリスマスなど、季節ごとに集まることも多かった。
そうやって、接点を作っていてくれたのは、甘えさせてくれていたのは、彼らだ。
「……卒業式まで半年あるから。今からでも間に合うでしょう?」
頬を染めて答える沙矢に、柚李は嬉しそうに笑う。
「ピンクの胡蝶蘭の花言葉を知って、ゆりまで嬉しくなっちゃったわ……!」
胸の前で両手を合わせて頬を染める柚李が、自分の事のように喜んでくれるのがなんとも幸せだと感じる。
教室に入って、一目散に沙矢の元へ向かっていった柚李に声をかけ損ねた藤原斎が話の内容は聞いていなかったものの、
「なんだあの二人!かわいいかよ!」
うっかり口走るくらいには、沙矢と柚李が笑みを浮かべているだけでもかわいらしい、絵になる二人なのである。
「かわいい彼女で良かったね〜。……折角だからゆりちゃんと同じ顔してる僕の顔でも見てる?」
「いや、ゆりの方がかわいいから。ゆきの顔なんかどうでもいい」
笑いながらの祐稀の言葉をばっさりと切り捨てて、
「昔はともかく、お前らもう全然似てないだろ」
割り込んできた宮本槻也の言葉に頷いた。
付き合いの長い友人たちは最近はあまり似てないと言うけれど、それでもそっくりと言われることの方が多い姉と幼なじみに祐稀は視線を向ける。
「いつも側にいる斎でさえゆりちゃんに見惚れちゃうことがあるんだから、そうはいかないゆき兄は気が気じゃないだろうねぇ」
沙矢の気持ちが他に向けられる可能性だって否定できないのだ。況してや担任教師が生徒と付き合うなど、真面目な二人だからこそできない。
「だからこそ、俺たちが虫除けな訳だ」
槻也の言葉にくすくすと笑ったところで予鈴が鳴ると、まだ本鈴も鳴っていないのに、沙矢の表情が華やかなものになった。
◇◇◇
卒業式の当日
肩まで伸びた沙矢のハーフアップにした髪を飾っていたのは、ピンクの胡蝶蘭のバレッタだった。
お暇があればピンクの胡蝶蘭の花言葉調べてみてください。定番のアレ以外を使いたかったので、勉強になりました。