2. 銀座ステレーション
「なんと、やはりか……」
絞り出すようにジシェはつぶやいた。上野広小路駅を発車した電車はレールを軋ませながら急カーブを曲がっていく。
「その人、〈追憶のカケラ〉を残した人だよね?」
ハルは質問する——が、モジャコは、いや、と遮った。「ここだとあれだし、そのカケラのひとつって浅草あたりじゃなかったか?」
あれとはなんぞや? とアレはきょとんとする。ハルはそんなソレを見てスマホの画面を切り替えた。(ほかのインパクトが強過ぎて、モモンガもどきがしゃべってるの、なんとも思わなくなってたかも)
画面には、六キロメートル四方を収める地図が表示されていて、現在位置のほか、三つの点が明滅を繰り返していた。中心付近に一つ、下端やや左に一つ、そのほぼ点対称となる上端、右寄りに一つ。
現在位置は上野駅に近づきつつあり、地図上では上端中央付近。銀座線は上野駅から東へ九〇度向きを変えて浅草駅へ向かうので、そのまま乗っていれば上端右寄りの光点に接近できることになる。
モジャコはドアの上の路線図を見上げた。駅は順に上野、稲荷町、田原町、そして浅草。「とりあえず稲荷町で降りるか」
上野駅は乗り降りする人が多くドアの前を開ける。駅を出発すると電車はまた急カーブを曲がっていく。稲荷町駅はほどなく、末広町駅と同じように、改札口を抜けて階段を上れば地上はすぐだった。
リグナは自動改札をそのまま通ろうとしてまたチャイムを鳴らす。
背後には大きく、なんじゃらほーい? の文字が浮かぶ。
明朝体。
「降りるときもタッチするの」
ハルに教えられ、ぎこちなくタッチして通過。
3番出口の前でハルは画面を確認した。地図は自動で拡大され〈追憶のカケラ〉を示す点はずっとはっきりしていた。
東京メトロ銀座線の稲荷町駅は、東西方向の浅草通りと南北方向の清洲橋通りが交わるところにあった。銀座線は浅草通りの地下を走っていて、光点は田原町駅のほうが若干近そうだが、通り一本分くらいの差で困るほどではない。
周辺はいわゆる下町と呼ばれる地域で、通りの名前になっている浅草も目と鼻の先。
とはいえ、大きな通りとなれば都内のどこでも見られるように、両側にはマンションや中規模の商業ビルがありきたりにずっと立ち並び、平凡で日常な風景だ。
ただ、目に付くのは仏壇や仏具を扱う店で、大通りから一歩入ればやたら寺社も多く、そこが古い寺町であることを物語っていた。
「いまは二つに分かれたテヴェとルジェも、もとは“ロート”という一族であったという。そのロートの遺産として伝えられるのが〈ロートの追憶〉。しかし、もっとも古い記録でさえ伝承の伝承で、実際のところ、それがどのようなものであるのかさえわかっていない。究極の至宝ともありふれた取るに足らないものともいわれる。ただ、ひとつはっきりしているのは、それを手にしたものには絶大な力が与えられるとされること。物理的な特徴から、古代の強力な兵器か莫大なエネルギーを蓄積したなにかであると、ルジェは考えているようでござる」
広い歩道をハルたちは光点の場所に向かって歩いていく。
「それが東京の地下にある……?」自分の頭の上に向かってモジャコは質問する。
「そしてルジェが〈ロートの追憶〉を強奪するために使ったのが円環?」ハルも続ける。「それってどういうものなの?」
「その内に封じることによって対象を転移させる、環状の装置でござる。〈ロートの追憶〉の実際の大きさがどのようなものであれ、観測される質量と予測されるポテンシャルから、円環のためにルジェが構築した環状地下空間は、真円であると仮定するのなら、この星の単位で直径一〇キロメートルほどになるであろうか」
「ちょ、ちょっと待って」ハルは驚いて目を見開く。
「すごい大きさだね」モジャコも続けるが、「まるでぴんとこないけど」
「円環の原理そのものは、拙者がこの星にやってくるために利用したイクリューエル・ヴォラント・クアトエーシュ転移と基本的に同じでござる」
「イクリューエル・ヴォラント・クアトエーシュ転移?」
聞き返したハルにジシェは頷く。そのジシェを頭に乗せているモジャコは口をヘの字に曲げた。(イクリュ……。一回聞いただけでよくいい返せるな……)
「簡単にいうなれば——」
ジシェが解説したところによれば、イクリューエル・ヴォラント・クアトエーシュ転移または単にイクリューエル転移とはヴォーユ・ア・ヴォエレの点と呼ばれる一種の無限遠点を利用した射影によって二地点の座標を入れ替える方法でありごく単純化して説明すると二地点が数学的な意味でいう点であればヴォーユ・ア・ヴォエレ座標系における単調で収束しない非線形変換に過ぎない——とのことである。
簡単という言葉の意味はいつから変わったのだろうか? モジャコは思い悩む。
「へえー! 面白いねっ!!」
そしてこの目をキラキラさせた数ヲタ。少なくとも面白くはない。
「しかし物体には大きさや形があるゆえ単純ではない。変換後の二つの座標には変換前の相関関係が維持されず、しかも転移させる対象の質量と二地点間の距離に等比級数的に不安定化し、かつ緩慢になるのでござる」
「要するにすごくリスキーだってことねっ☆」
「さようでござる。特にミコ殿が設定したような暫定的な像への転移はまこと不安定。かの秋葉原の地は、ヴォーユ・ア・ヴォエレ座標系上、抜群に安定しているところではあるが、この星までの距離は六一〇〇万光年。かくて時空の乱れなどものともしない、星々を渡る眷族ムナたる拙者がまず参ったのでござる」
ばばーん、とモジャコの頭の上で立ち上がってジシェは胸を張った。
六一〇〇万光年。想像もつかない距離だが、地球から観測可能なもっとも遠い天体は一三四億光年とか先にあるらしいので、それよりはずっと近い。
「あれ?」とモジャコは首を傾げた。「まずって?」
「ぬぬ!? そうであった、急がねば! まずは拙者がこの星に転移し、それからパルノー殿を迎える算段だったのでござる!」
「誰それ?」
「パルノー・ヴァエッスラ殿——拙者の古くからの友人でござる」
「ヴァエッスラって、オーラ・ヴァエッスラさんの“ヴァエッスラ”だよね?」
「さよう、パルノー殿の祖母がオーラ殿でござる。しかし……うーむ、やはり時空の背反でござるか……」
ジシェはひとり考え込む。ハルとモジャコは顔を見合わせるしかない。
(登録抹消済み……)
ハルはスマホの画面に見た文字を思い出す。(リグナちゃんはそのオーラ・ヴァエッスラさんに助けられ、わたしたちの味方になってくれている……。オーラさんはリグナちゃんにどんな想いを預けたんだろ……)
「——このあたりだった」リグナが指摘した。
「あ、そうかも」ハルはスマホの画面を確認した。
歩いてきた浅草通りと南北の別の広い通りが交わる場所だ。見上げれば、北西の角、五階建てのビルの上には口髭をたくわえたコックの巨大な顔(これを含めるとビルは八階建て相当もあったりする)。
食器や調理器具の問屋が集まるかっぱ橋道具街、その入口のシンボルである……。
「ここから向こう、言問通りまでじゃなかったっけ?」とモジャコ。
交差点からずっと向こうまで両側にお店がずらりと並んでいる。
巨大コックの正式名称はそのまんま“ジャンボコック”。
変わりかけた信号を渡ってハルはもう一度ジャンボコックを見上げた。コックであるからには白いコック帽をかぶっているわけだが——。
その上に、コルヴェナとデッサが立っていた。
「見つけましてよ!!」コルヴェナは、ずばーん、と人さし指を向けた。
(出た……)ハルとモジャコの感想。
デッサはコックのオブジェから真下の歩道に飛び降り、間髪をいれず一直線に向かってきた。リグナが身構え応戦する。
一方、コルヴェナのほうは巨大コック帽の縁に体を預けながら、おっかなびっくり足がかりを探していた。どうやら普通に降りてくるらしい——が、まずオブジェが設置されている屋上に到達できるのかも怪しい。
(じゃあ、なんであんなとこに登ったんだろ?)とモジャコ。
(そもそもどうやってあそこに?)とハル。
謎。
リグナとデッサは激しくぶつかり合った。
「貴様、どういうことだ! なぜ寝返った!?」頭突きを喰らわしデッサは詰問する。「クローズした通信チャンネルをいますぐ再オープンしろ!」
「……」リグナは答えない。
「ふん、回答したくなければそれでよい!」
デッサはリグナの脚をつかみ、回転しながら投げ飛ばした。
リグナは通りの反対側のビルに背中から激突する。
そこへ、さらにデッサは突進し、リグナを壁から引き剥がして地面に叩きつけた。
「それとも答えられないのか? しょせんは半世紀も前のモデル、しかもプロトタイプ。なるほど廃棄されたわけだ!」デッサは鼻で笑う。「貴様などもはや不要だ、このまま破壊してやる!!」
リグナは抵抗さえできない。
「まずいね」とモジャコは両足を屈伸させた。「加勢する。ミコは〈追憶のカケラ〉を探せ!」
「え、あ、わかった!」と、ハルはスマホの画面上の地図を拡大する。光点は交差点の南東の角で点滅していた。急いで浅草通りを渡る。ふと、信号機の標識がハルの視界に入った。
(菊屋橋……)
目標の点と現在位置が地図の上で完全に重なった。たぶん、と巾着から携帯大幣を見つけて広げれば、白い和紙の部分がほんのり輝き出した。
ハルは大幣を高く掲げた。
すると、足下の地面がまばゆく光って、虹色に輝く透明な何かが回転しながらゆっくりと浮かび上がってくるのだった。
ちょうど視線の高さで上昇をやめる。
それは立体化した星形ともいえる複雑な形の多面体で、回転を続けながら不思議に光彩を放っていた。
(小星形十二面体……)
説明すると(説明されてわかるかどうかは知らんけど)、小星形十二面体とはケプラーの多面体の一つで、正十二面体を星形化した立体のこと。正五角形一二枚からなる正十二面体の各面に五角錐のでっぱりを付けてもらえば、その想像はだいたい正しい。
交差点の真ん中では、デッサを相手にリグナとモジャコが格闘していた。
モジャコの動きは相変わらず速く、ヒト型機械兵であるデッサ相手に引けを取らない。
力をいなし、流れのままに重心を移動させただけでデッサを投げ飛ばす。
悲惨なのはモジャコの頭の上に乗っているジシェだが。
「ぬわあ、モ、モジャコ殿〜!!」
着地したところへリグナが速攻を仕掛ける。
しかし能力の差は圧倒的で、デッサはすぐに反撃に転じた。
「ふふっ、それがデッサの実力よ!!」
振り仰げばコルヴェナがビルの屋上に立っていた。片足を何かに乗せて人さし指を、ずばびーん、と得意げに。
背後はジャンボコック。どうにか降りられたらしい——が、残った手でお尻をさすっているところからすると滑り落ちただけかも。
「モ……なんちゃらさんもそこで待ってなさい!!」
コルヴェナの姿はいったん見えなくなる。回り込んできちんと階段を降りてくるようだ。
常識的なんだか、非常識なんだか。
その後ろ姿を唖然と見送って、いかんいかん——とハルは首を振った。
不思議に光彩を振りまく立体——それはやにわに粒子状に弾けた。カードのようなものだけが残ってハルの手に落ちてくる。徐々に光が失われていく。
大きさはちょうどパスモと同じくらい。プラスチックなのか金属なのかよくわからない材質は軽く、しかしセラミックのように堅い。
全体的には艶のない表面には滑らかな部分があって、傾けるとそこがきらりと輝き、リグナの額の装身具も同時に碧く閃いた。
リグナのスピードが急激に上がった。一瞬の間にモジャコとアイコンタクトをかわす。
モジャコがデッサのバランスを崩す。そのデッサの懐に死角から潜り込むと、リグナは腕を取って全力で投げ飛ばした。
「なっ!!」
デッサは一直線にジャンボコックに突っ込んだ。ものすごい音とともにオブジェの一部に大きな穴が空いて、飛び散った破片がパラパラと落ちてくる。
「え゙え゙っ!?」ようやく地上に降りてきたらしいコルヴェナは上を見上げて仰天した。
「このカードが出現した瞬間にリグナちゃんのスピードが上がったみたいっ!」
「ともかくここを離れたほうがよさそうだっ!」
ハルとモジャコは顔を見合わせた。リグナを促して浅草方向へ。
振り返ればコルヴェナは店の人に捕まっていた。何度も頭を下げているところからすると素直に叱られるつもりらしい。目が合って恨み顔で視線を返すコルヴェナにモジャコは思った。(あんがい、いいヤツかも)
あとコックさん、ごめんなさい。
ほどなく左手の建物に東京メトロのハートマークが見えてきた。田原町駅のエレベーターだけの出口で、降りれば目の前は小さな改札口、その向こうはすぐ浅草方面のホーム。ただし反対方面のホームには行けないのでご注意を(誰に?)。
リグナはまた自動改札のチャイムを鳴らして、なんじゃらほーい? とパスモをじぃっと見つめてからタッチ。
古の幻獣。
アプリの地図上に示された残りの光点は銀座付近と神田付近だった。
このうち銀座付近のほうは現在位置から見ると南南西、直線距離では五キロくらいで、銀座エリアでも少し東寄り。駅でいうと銀座駅でも東銀座駅でも変わらないくらいだ。
モジャコは路線図を指で追う。「次の浅草駅で乗り換えて、浅草線で東銀座駅まで行ける。そのあと回り込んで神田のかな」
電車はすぐにやってきた。行先表示は「浅草」と「浅草1番線着」を交互にスクロールする。なんのこっちゃ、と不思議に思いながら三人と一匹(手荷物)は乗り込んだ。
「これなんだけど」ハルは虹色の立体から出現したカードを見せた。「なにか知ってる、ジシェ?」
「初見でござる」ジシェはモジャコの頭の上から覗き込んだ。
「リグナちゃんは?」
リグナは受け取ったカードを見つめる。碧く透明な瞳に不安と焦燥が映る。
——わからない。
このカードの出現によって失われていたスピードが解放された。
でも、なぜなのかはわからない。そもそもどうして封じられていたのか覚えていない。
自分であるのに自分がわからない。
自分が自分であることに確信を持てない。
私は私なのだろうか……? 私は……!!
——と勝手にアテレコしてから、うーん、どうだろ? とハルは思い悩んだ。
カードを両手で持って、リグナはその匂いを鼻でくんくん嗅いでいた。
背後に、なんじゃらほーい? という文字が浮かぶ。
(嗅覚も実装されてるのかな……?)とハルは思う。
(ていうか、匂いでなにかわかるのか……?)とモジャコは思う。
「知らない」SDリグナから戻った(?)リグナは無感動にカードを返した。「わたしの装備には拡張機能も含めてこれに対応するものはない」
わからんもーん。
モジャコは、ん? と首を傾げた。「この光沢の部分、なにかの絵みたいだよ」
傾けると、カードの表面には光の加減で何かが浮かび上がる。それは一輪の朝顔を図案化したものだった。
銀座線の電車はカーブを曲がって終点の浅草駅に到着した。案内に従い、ホームの上野寄りから続く狭い通路を歩いて階段を下る。駒形橋方面と表示された小さな改札口を通り、連絡通路を抜ければ、都営浅草線の改札口はすぐそこだった。
自動改札機でリグナはまたシャットアウト。パスモをじぃっと見つめ、なんじゃら……おおっ、とタッチして通過。
ちょっと慣れてきたのかなー、とハルは思う。
なお駅の構造上、2番線に到着した場合、浅草線へ乗り換えようとするとけっこう遠回りになるので、1番線に到着する電車がお勧め。電車の行先表示でもわざわざ案内しているのはそういう理由。
浅草線の改札口は雷門方面改札。名前のとおりに都営浅草線では雷門にいちばん近い改札口で、これから浅草観光に向かう人たちと羽田空港へ向かうらしいキャリーバッグを転がす人たちが行き交っていた。
ホームに入ってきた電車はほどほどの混み具合で、ハルとモジャコ、そしてリグナはちょうど空いていた席に並んで座った。
「——実のところ〈追憶のカケラ〉に関してはわからないことが多いのでござる」
「あ、ちょい待ち」
神妙な雰囲気で話しはじめたジシェをモジャコは頭の上で持ち上げた。前後をひっくり返してから、おでこに垂れ下がった尻尾をお腹の下にしまう。
「ぬ?」
「気にしないで続けてくれ」
大量のハテナマークが浮かび上がったものの、ともかく窓に向かってジシェは話を続けた。
「——はっきりしているのは、もしも予期しない事態に陥ったのなら次の可能性のために〈追憶のカケラ〉を残すだろう、とオーラ殿がいい残したこと。五〇年前、異変を察知したオーラ殿は急ぎ、この星にやってきたのだ。だがおそらくそのときにはもう、ルジェによって円環は形成されようとしていたのであろう。オーラ殿はコアを強制停止させたのだ。結果として転移がはじまる寸前に円環を消滅させることには成功したが、強引に止めたがために、次元が不安定になって、時間と空間に矛盾が生じた……」
「それが時空の背反……?」ハルは独り言のように聞き返す。
「さよう」ジシェは頷く。「自身の存在がこの空間から失われていくなかで、オーラ殿は〈追憶のカケラ〉を残したのだ。おそらくは円環コアの暗号化されたセキュリティ解除コードと復号キー。コアにアクセスできれば、機能を完全に停止できるのだ」
「逆にいえば、それがあればコアをもう一度、動かすことができる、だから、コルヴェナたちも探しているってことか……。何個あるのかもわかってないの?」
モジャコの質問にジシェは黙って頷いた。
(時空の背反)ハルはもう一度繰り返した。(存在が失われていくなかで、そのオーラさんはどんなことを思ったんだろ……)
想像すら及ばない。
だしぬけに、なんじゃらほーい、と熱心にカードを裏返したり傾けたりしていたリグナが口を開いた。「2/3だ」
「はい?」
「ここに書いてある」
覗き込めば、朝顔がデザインされている面の裏、まったくの無地と思っていた面には、右下に記号のようなものが三つ小さく刻まれていた。そのうちの二つにはハルにも見覚えがある。リグナの言語設定で見た数字の「2」と「3」だ。残りの楕円が重なったものがスラッシュに相当するのだろう。
「三枚のうちの二枚目ってことじゃないのか?」とモジャコ。
(拙者も見たいでござる……)ジシェは窓に映る自分とにらめっこするしかない。
「残りの二か所、銀座と神田に1/3と3/3のカードがある……?」ハルが言葉を引き取る。
「いくつあるのかわからないけど、まずはリグナの本来の能力を解放しろってことだ、きっと」モジャコは頷いた。
当のリグナは無関心で、背後には、わからんもーん、という文字が浮かんでいる……。
モジャコはハルの耳元でつぶやいた。
「なんか面白いな、リグナ」
ハルの返答は「そうかもねー」
一〇分ほどで東銀座駅。ホームからすぐの改札口を抜けてハルはアプリを立ち上げた。リグナはチャイムを鳴らしかけながらもすぐにパスモをタッチして通過。
横の階段を降りて浅草線をくぐり反対側へ。そしてA1出口から地上に出た。
駅の名前が東銀座であるとおり、銀座とはいっても繁華街や高級ブランド店が集まるエリアからは東へ外れたあたりで、周辺にあまりそれらしい雰囲気はない。駅は直交する昭和通りと晴海通りの交点にあって、昭和通りの地下を南北に都営浅草線、晴海通りの地下を東西に日比谷線が通っている。晴海通りを西方向へ進めば有楽町や日比谷、東方向へ進めば築地。
ゆっくりと明滅を繰り返す光点は、歩道をいくらも歩かないうちに、現在位置を示す光点とぴったり重なった。
和光本館の時計台が象徴的な銀座四丁目交差点と、東銀座駅のある交差点の間の、これといった特徴もない何でもない場所だ。敢えていえば、どういった理由か、その周囲だけ起伏があって少しだけ高くなっていた。
それほど広くない歩道を余所行きの買い物客や観光客が行き交う。
振り返れば、交差点の向こうに威風堂々とした歌舞伎座の建物が見える。特徴的なのは破風と呼ばれる様式の大きな三角屋根。
そのてっぺんに——コルヴェナが仁王立ちしていた。
人さし指を、ばっすーん、と突きつけて啖呵を切っているらしいが、交差点を挟んで距離があるので何をいっているんだか。
(なんで高いトコに登りたがるかな……)とモジャコ。
(聞こえないし……)とハル。
困ったものである。
それにしてもあんなところにいて大丈夫なのだろうか——と心配するまでもなく、コルヴェナは警備員に捕まった。何がしたかったのだろう……。
「デッサがいない」リグナが無表情につぶやいた。
確かに——とモジャコも気を取り直して周囲を警戒した。「ミコ、いまのうちに急げ!」
ハルは頷いて携帯大幣を両手に構えた。直前に信号機の標識が視線に重なる。
(三原橋……)
携帯大幣はすでに淡い光を帯びていた。
「斬新だね」初めてそれを見たモジャコは感心した。
「じじいを褒めてあげてください」ハルは眉間に皺を寄せた。
称賛なんかいりません。
同時にリグナは身構えた。「来た」
「どこだ!?」
上方から一直線に突っ込んできたデッサがリグナと衝突した。
弾き飛ばされたリグナとの間にモジャコは割って入り、相手の力を殺ぎにいく。
その流れを捩じ曲げるようにデッサは強引に重心を入れ替えた。「ふん!!」
(潰される……!!)たまらずモジャコは間合いから逃れた。デッサの戦い方は明らかに変化していた。(こいつ、スピードを捨てた!!)
「わざわざお前たちが有利になるように動く必要はないのだ!」
デッサはパワー重視でひたすら攻め立てる。
外れとはいってもそこは銀座で人も車も格段に多い。コルヴェナの話ではデッサは仕様上、人になるべく危害を与えないようになっているらしいが、モジャコやリグナに比べれば無責任だ。
リグナは周囲に気を配りながら防御する。
ハルの足下からは、透明にきらめく虹色の立体が回転しながらゆっくり昇ってきた。
ちょうど視線の高さで上昇をやめる。
(大星形十二面体……)
説明すると、大星形十二面体とはケプラーの多面体の一つで、小星形十二面体と同様、正十二面体を星形化した立体のこと。正二十面体を星形化してもかまわない(といわれても困るだろうけど)。正三角形二〇枚からなる正二十面体の各面に三角錐のツノを生やしてもらえば、だいたい合っている。
小星形十二面体が柔らかに仄めく星であるのなら、大星形十二面体は激しく燃えさかる星を思わせる。
立体は粒子状に弾け、ハルの手の中にはカードが落ちてきた。小星形十二面体から出現したものと同じだ。そして全体としては艶のない表面に光沢のある部分があって、傾ければその部分がきらめいた。
ハイキックがリグナの頭部を強打した。
リグナの動きがごく一瞬だけ止まる。
デッサはほくそ笑んだ。「それでじゅうぶんだ!」
猛烈な攻撃を浴びせかける。リグナは守ることもできずにどんどん後退していく。あまりの激しさにモジャコも手の出しようがない。
「モ、モジャコ殿! リグナが……!!」
頭の上でジシェが悲鳴を上げる。モジャコは視線の端できらめくカードを捉えた。
(潮目が変わる瞬間を見逃すな……)口許でつぶやく。「頭かがめろ、ジシェッ!」
「ぬお!?」
それまで圧倒されるばかりだったリグナがデッサのパンチを両手で受け止めた。金属と金属がぶつかる重い音が響く。
「な、防御力が上昇した!?」
しかしデッサはすぐに鼻を鳴らす。「だが、止めただけではどうにもなるまい!!」
その間合いにモジャコは滑り込んだ。「それでじゅうぶんだっ!」
リグナは次の一撃をさっとよける。モジャコはデッサの腕に軽く触れ、力の流れを変えた。
「な……!?」
そのままの勢いでデッサは吹っ飛ばされた。どうにか片手で受け身をとろうとする——が。
「なにっ!!」
疾風のように追いついたリグナはその腕を取り、さらに自分の勢いも加えて放り投げた。
歌舞伎座の三角屋根の上。
事務所へ来るようにと説得する警備の人に、話ならここで聞くとか云々、コルヴェナはわめき散らし駄々をこねていた。
擬音化すれば、ギャーギャー。
そこへ、放物線を描いて飛んできたデッサが直撃した。「ふぎゃ」
ハルたちはそのまま急いで地下へ降りた。A5と書かれた階段で、降りたところは銀座線の銀座駅、その改札口の前。階段を下ってホームへ。
リグナはまたチャイムを鳴らしかけながらも、すぐにパスモをタッチして通過。
スマホの画面上に表示されていた三つの光点の残り一つは、現在地から見ると、北から北北東の方向に直線距離で二キロほどの地点だった。再びの銀座線で北上すれば、三つ先の三越前駅とその次の神田駅との間くらい。ちなみに神田駅から秋葉原の地下を北上したところが末広町駅で、最初に駆け込んだ駅。
銀座駅は両方向の線路の間にホームがある構造で、ちょうど浅草方面の電車が入ってきたところだった。ハルは「ラッキー」と手を叩いて喜んだが、モジャコは黙って時刻表を指さした。「わ、昼間なのに三分に一本……」
銀座線をなめてはいけない。
三人と一匹はドアの近くに固まって、新しく出現したカードを覗き込んだ。光沢部分にデザインされているのは桜の花で、裏返せば、最初のカードと同じように右下に記号が刻まれていた。
「1/3でござる」
「三枚のうちの一枚目か。これが現れたことでリグナの防御力が解放された?」
ハルはうなずく。「2/3のカードで素早さが解放されていて、いま1/3のカードで防御力が解放されたのだから、たぶん最後の3/3のカードで攻撃力が解放されるはず……」
モジャコとハルはリグナを見つめた——が、当人は、なんじゃらほーい? と首を傾げる。
他人事……。
代わりにリグナは「共鳴」とつぶやいた。「あのスティック状のデバイスがターゲットに近づいたときに起こっていた」
携帯大幣が〈追憶のカケラ〉に接近するとある種の共鳴が起こる、ということ。
「それを信号として捕捉している……」ハルはモジャコからカードを受け取った。「でも、そうとう早く見つけられてる印象だけど」
「フォルトヴ」とリグナ。「中距離間を直線的に移動できる装備。ピンポイントだし、連続で使用したり短距離を移動するのは無理だけど」
なるほど、とハルは納得する。
逆にいえばそれしかできないから、目標とする位置が中途半端だと身動きが取れなくなるのだろう。しかしハルにしろモジャコにしろ思うのは——。
それならどうして高いところに登りたがるんだろう……?
銀座線は銀座駅から先、上野駅の手前まで、南北にのびる中央通りの下を走っている。当然ながら三越前駅も中央通りの下にあって、北側で交差するJR総武線の新日本橋駅と南側で交差する地下鉄半蔵門線の三越前駅とを、アルファベットのZを左右にひっくり返したような形でつなげていた。
室町三丁目方面と表示された北側の改札を抜け、JR新日本橋駅へ続く連絡通路を歩いていく。
「……」モジャコは自分の頭の上のジシェを見上げた。
「ぬ? なんでござるか?」ジシェは首を傾げた。
「腹減ったのか?」
「ぬ、ぬぬっ、どうしてわかるのでござるか!?」
「いや、腹がものすごく鳴ってたし」
頭の上に乗っている小動物(?)の腹が鳴れば、それはわかるというものである。「むう」
モジャコはポケットの中を探った。「ボンタンアメ、食う?」
ボンタンアメ。
それは都こんぶと双璧をなす、メジャーではないがマイナーでもなく、流行るでもなく廃れるでもない、なんだかよくわからない定番の駄菓子。そのクラシックな藍色の箱には黄色いボンタンが描かれている。
「またレトロなものを」ハルは苦笑した。
「地下鉄に乗ってる巫女さんよりはポピュラーじゃないかな」モジャコは指摘する。
「ぐうの音も出ません、ハイ」
突き当たりの4番出口からハルたちは地上へ出た。
「芳醇でありながら爽快な香り、モチモチとしていながら溶けゆく食感。あれは至高の食べ物に違いあるまい」
ボンタンアメを食したジシェの感想である。喜んでもらえるのはいいことだが、モジャコは複雑な気分になった。
地上に出たところが室町三丁目交差点——改札口でも案内されていたところ。周辺はオフィスビルが立ち並ぶ純然たるビジネス街で、休日のこの日、銀座からは打って変わって人通りはまばらだった。お店もほとんど営業していない。
広い中央通りの右手の歩道を北方向、神田駅のほうへ歩いていく。
〈追憶のカケラ〉を示す光点は次の信号を渡った先で点滅していた。とりたてて何も無さそうな場所だ。ハルはスマホの画面を確認しながら歩いていく。それをモジャコが手で制止した。
「なんか来る……!」
いい終わるまえにコルヴェナが出現した。いきなり目の前といった感じだ。間を置いてデッサが隣に降り立つ。
「ふふ」コルヴェナは、ででんっ、と指を突きつけた。「建物の上ではなく目の前に出現するなんて、驚いたかしら! 同じ手には二度と乗らなくてよ!」
決まった、と悦に入る。
(こっちが仕掛けたもんじゃないし)
(仮にそうだとしても、同じ手に二度、乗ってるし)
疲れる……。
コルヴェナは続ける。「しかも、今回は〈追憶のカケラ〉の実体化は阻止させてもらうわ! ルドゥフレーデの急激な能力アップのからくり、解き明かしてよ!」
同時に、周囲から粒子が集まってバリバリとスパークしたかと思えば、コルヴェナの右腕と左脚を何かが覆った。ガーネット色の電撃をまとった半透明のガントレットとブーツだ。両目には同じ色のゴーグルが装着された。
(なんか出した……)
(うわ……)
モジャコとハルは素直に驚いた。
二人の表情にコルヴェナは満足する。「腕力と速力と動体視力アップ! ちなみにブーツは触れたらビリビリ痺れる効果付き! 切り札は隠し持っておくものね!」
(いわなきゃいいのに……)
(切り札は隠し持っておくもの……至言かも)
それはともかく、嬉々として向かってきたコルヴェナの攻撃をモジャコはかわす。左脚のブーツは紅い電撃をまとって火花を散らす。なるほど触れられたら厄介そうだ。
リグナもデッサと戦闘をはじめていた。すでに歩道も車道もお構いなしに激しくぶつかり合う。
「くく、スピードとディフェンスを上げたところでどうか?」デッサは不敵に笑った。「逃げ回って守ってばかりでは勝てるわけがないだろう。しかも他者の助けを受けてばかりで、貴様は単体ではけっきょく役立たずではないか? 今度こそ破壊してくれる!!」
「……」
リグナは答えない。攻撃を弾き返して跳び退く。デッサは駐車車両を足場に強引に反転し、すぐさま攻め込む。
(早くしなくちゃ……!)とハルは信号を渡って目標地点へ急いだ。(2/3のカードが素早さ、1/3のカードが防御力を解放したのなら、最後の3/3のカードは攻撃力を解放するはず!)
ハルは巾着袋から携帯大幣を取り出し、ボタンを押した。
それを、接近したコルヴェナが右脚で蹴り上げた。「もらったっ!」
「きゃっ!」ハルは身をすくめて悲鳴を上げた。
携帯大幣は空中で回転する。コルヴェナは手を伸ばす。モジャコはコルヴェナを真後ろから引き倒し、携帯大幣を手で弾く。
コルヴェナは顔面から思い切り倒れた。「もぎゃ!!」
「ミコ、取れ!」
「わっ、わっ、わっ……」
お手玉をしながらどうにか携帯大幣をつかみ取り、ハルは「あれ?」と首を傾げた。
よくよく見れば、大幣をフルサイズに戻すボタンとは別に、小型のスライド式スイッチがものすごくわかりづらく取り付けられていた。ハルは高嶺の有難いお言葉を思い出す。すなわち、形が大幣であるのは特に意味はない。
もしかして、とスイッチをずらせば上半分、つまり大幣の部分だけが分離した。明らかに、残った部分にいろいろな機能がギュギュッと詰まっていて大幣の部分はスカスカである。(そういうことか……)
モジャコは勢い余ってつんのめった。どうにか立て直してすぐに身を翻す。コルヴェナは万歳したまま、ぴくりともせずにうつぶせに倒れていた。モジャコは何だか悪いことをした気分になった……。
「ん?」
ハルと視線が合う。ジェスチャーで何か訴えているようだが、そう深く考えるまでもなく、彼女の手許で携帯大幣は分離していて、そして張り付いた笑顔がほぼすべてを語っていた。
(クソじじいがね、わかるよね?)
ああそう——とモジャコは頷いた。
コルヴェナは、ぱっと立ち上がってハルの手許を再び蹴り上げた。「油断したわねっ!」
携帯大幣の大幣っぽい部分が空中を舞う。
「させるかっ!」
モジャコも飛びつき、携帯大幣の大幣っぽい部分の争奪戦がはじまった。
ハルはそろそろと後ずさって目標地点にたどり着いた。喫茶店が入る雑居ビルと建設中の大きなビルの間で、車がぎりぎり通れそうな細い小路がずっと向こうまで続いていた。携帯大幣の大幣っぽくない部分を頭上に掲げる。
(うーん、いまいち気分が乗らないかも……)
いやいや、と首を振る。哄笑する「クソじじい」を容易に想像できる。
「かっかっかっ! カムフラージュにも役立ったであろう!」
「くー」
脳内イメージ版クソじじいの高笑いに反論できない。できたところで本体(?)には届かない。
「本質を見たければ思い込みを取り払うべし! かっかっかっ!」
(なんか問題をすり替えられてる気がする)
七色のきらめきを振りまく立体がゆっくりと昇ってくる。
(大十二面体……)
説明すると(ついてきてね)、大十二面体とはポアンソの多面体の一つで、小星形十二面体や大星形十二面体と同じように正十二面体を星形化した立体のこと。とはいっても、正十二面体から想像しようとすると心のどこか大事な部分が折れるので、正三角形二〇枚からなる正二十面体の各面を三角錐状にへこませて、もとのどの頂点のまわりにも、底面が星形の角錐ができるようにした立体を想像してもらったほうが手っ取り早い——が、これでわかるのなら、はじめから大十二面体を知っている……。
シルエットは正二十面体そのものなのに、その内には星のきらめきを秘めている。
「ああっ!」
コルヴェナが気がついて叫んだ。モジャコと格闘しながら左手の指を、びびーん、と突き立てる。「いつの間に!」
が、誰かと闘っている最中に余所見はしないほうがよく、無防備に腕を伸ばすようなことは避けたほうが好ましい。
モジャコはその腕を取って投げ飛ばし、すかさず自分の脚を絡めて関節を固めた。コルヴェナは悲鳴を上げた。「ふんぎゃ〜!!」
「降参しろっ!」
腕ひしぎ十字固め。
大十二面体は弾けるように分散して大気に溶け込み、残ったカードが回転しながらハルの手の中に降りてきた。刻まれた記号は3/3、つまり三枚のうちの三枚目ということになる。
カードの表面が輝き、描かれた銀杏の葉がきらめく。
リグナはデッサから強烈なキックを受けた。成す術もなく高速に一直線に飛ばされる——が、ビルの外壁に激突する寸前で重心を入れ替えると空中で身を翻した。ぶつかるはずだった壁を蹴り飛ばす。
ああそうか——とハルは納得した。
2/3のカードが素早さを、1/3のカードが防御力を解放した——と解釈していたが、それはかならずしもリグナから賛同を得られたものではない。彼女は肯定も否定もしなかった。
ほわほわほわわ〜ん、と思い出し映像。
無関心・我関せずなSDリグナの後ろ、無地の背景には、わからんも〜ん、の文字が浮かんでいた。
……。
賛同を得るとか肯定・否定の問題でもなかったような気がするものの。
ハルはリグナの動きを思い起こした。1/3のカードが出現したとき、リグナはさらに加速した。つまりどのカードもスピードをブーストさせている。だから3/3のカードもスピードのリミッターを外した……。
(あれ……? でも1/3のカードで守備力が上がったのも確かなような……)
「ふん!」デッサは鼻を鳴らした。「はね返してくれる!!」
リグナの姿は残像だけを残して消えた。
真後ろに現れる。
「な……!?」声を漏らすしかない。「くっ! しかしそんな無理な体勢で——!!」
リグナは肯定も否定もしなかったのだ。
つまり——攻撃力も同時に上がる。リグナは左脚を飛ばした。
「こ、こんな攻撃で……!!」
ガードしたままデッサは弾き飛ばされ、建設中のビルの高層階に突っ込んだ。
ガラガラと轟音を立てて建材の一部が崩落する。
「あ……っ!!」
バランスを崩した鉄骨がそのまま歩道の親子に向かって落ちてくる。
それを、リグナは軽やかに跳躍して——しかし力強く蹴り飛ばした。
「すごい……」ハルは目を丸くした。
ところで——。
どうやら大騒ぎになりそうだ。たいていの場合、面倒なことは誰かに押し付けたほうが楽で、まして、そもそもの原因がその誰かにあるのなら、なおさらに。
ハルはモジャコとジシェに視線を送った。
素直に降参したらしく、コルヴェナは、悔しそうに地面をパーで叩いていた。そのコルヴェナを「いっせーのせ」で指さした——リグナも一緒に。
コルヴェナは周囲の視線を感じて立ち上がり、胸を反らした。「あら! みなさん、このコルヴェナ・クレンになにか御用がありまして!?」
(あとはよろしく……)
ハルたちはスタコラ退散した。
「あ、新しい反応だ」
地下に降りたところで、ハルは、スマホの地図が自動で切り替わり、新たな光点が現れていることに気がついた。
「どこだ?」
モジャコも覗き込む。
地図の範囲はおおむね一・五キロ四方。現在位置は左端近くの上寄りにあって、右端やや下寄りに新しい光点が出現していた。東南東の方向へ一・三キロほどで隅田川も近く、対岸は深川めしで有名な深川。
「人形町のあたりだね」とモジャコ。
目標地点の周辺には東京メトロの日比谷線と半蔵門線、都営地下鉄の浅草線と新宿線が複雑な曲線を描きながら絡み合っていて、人形町、水天宮前、そして浜町の三つの駅があった。
北北東の方向へ距離を置いて並走してきた都営浅草線と日比谷線が地図の左下から現れ、左側の浅草線が右へ、右側の日比谷線が左へカーブしてクロスするのが人形町駅。名前のとおり人形焼きでおなじみ人形町エリアの中心駅で、地図の上でもほぼ中央。
一方、左からやってくる半蔵門線は、いったん浅草線と重なって人形町駅へ向かうものの、まるで避けるかのように手前で曲がってしまう。
人形焼きが嫌いなのだろうか?
ほぼ直角に、右下へ向かって曲がり切ったところあるのが、安産祈願で有名な水天宮最寄りの水天宮前駅。
都営新宿線にいたっては、上端中央付近から現れるものの一体をかすめるように緩やかな左カーブを描き、東の方向、地図でいうと右へ向かって消える。その地図から見えなくなる寸前、右端上寄りにあるのが浜町駅。明治座の最寄り駅で、浜町公園の地下に駅の施設がある。
明滅を繰り返す光点は、どの駅からも似たり寄ったりの距離。強いていえば半蔵門線の水天宮前駅がいちばん近く、現在位置から直接向かえるのも水天宮前駅で、三越前駅から一駅。
路線図を確認してモジャコはスマホをハルに返した。
「モジャコってば、二つ折りだったっけ?」
「おう。画面が割れても電話できるし」
「画面が割れるほど乱暴に扱わないでください……」
ハルは苦笑いするしかない。
地下コンコースは銀座線の改札口を過ぎると広くなり、実用本位なそこまでと比べてぐっと華やかになった。左手がコレド室町、右手が駅名にもなっている日本橋三越。
パスモをタッチして半蔵門線の自動改札を抜ける。リグナも今度はチャイムを鳴らさずにクリア——だいぶぎこちなかったものの。
ホームは一つで両側に上下線の線路がある。天井はドーム状になっていて高く、同じ三越前駅でも銀座線と違って明るい。
電車が来るまでまだ時間があったので、乗車位置案内を見てホームをさらに歩いていく。
リグナはずっと、新しいカードを両手で持って子細に観察していた。
なんじゃらほーい。
いろいろな向きから眺めてみたり、照明に透かしてみたり、匂いをくんくん嗅いでみたり。
銀杏の葉が珍しいのかな——とハルは人さし指で頬をぽんぽんと叩いて(まあ、そりゃそうか)と納得する。
(朝顔の花、桜の花、それに銀杏の葉……)
整理すると、浅草の〈追憶のカケラ〉からは2/3のカード、銀座の〈追憶のカケラ〉からは1/3のカード、そして神田の〈追憶のカケラ〉からは3/3のカードが出現している。それぞれにデザインされていたのが朝顔の花、桜の花、それに銀杏の葉だ。
(秋葉原、浅草、銀座、神田……あれ?)
これまでたどってきた場所を繰り返して、ハルはどこかしっくりしないものを感じた。
コルヴェナたちは何を手がかりに秋葉原に現れたのだろうか?
携帯大幣が〈追憶のカケラ〉に接近すると、ある種の共鳴が起こる、とリグナはいった。コルヴェナたちはそれを察知して出現した——はずだ。
しかしこのロジックは、秋葉原にコルヴェナたちが現れたことを説明していない。
もし四か所に共通する要素があるとすれば、それはむしろ——。
(リグナ……?)
ハルは胸の内がざわめくのを感じた。