その3
「う~、おいしかったぁ。おなかいっぱいなの」
「そりゃあ良かったな。反対に俺の腹と財布の中身は空っぽだよ。腹に至っては、獣のように吠えているけどな。まさに『ハウリン・ウルフ』だよ……」
そう、俺の腹の状態だけは、偉大なブルースマンと同じだった……。
結局、このままファミレスにいては余計な出費が増えるだけだと判断した俺は、メルがパフェを食い終わったのを見計らって店を出た。今はファミレスの駐車場の隅、目立たない場所へと移動している。
そもそも、あの不思議な現象の種明かしをしてもらうだけなら、警官の目が届かなくなった場所で、自販機のジュースでも買ってやれば良かっただけのことだ。痛い出費となったが、今さら気付いても仕方ない。どうしても好奇心には勝てなかったのだ。
目の前で旨そうにドリアを食うメルの姿を見せつけられたせいで、俺の腹はとにかく限界だ。炭酸ゲップも出尽くし、もはや空腹を誤魔化すのは不可能となっている。さっさと帰って、一人寂しくカップラーメンを食おう。
「で、いい加減さっきの種明かしをだな……」
「うるさい奴じゃな。だったら自分で体験すればよかろう」
「は?」
言うが早いか、メルは俺の腹の辺りに小さな手をかざす。だが、何かが不満なようで、むっすりとした顔で俺を見上げる。
「しゃがんで!」
「え?」
一瞬、メルの言葉の意味が理解できなかった。
「お顔にとどかないでしょ!しゃがんで!」
「あ?ああ……」
どうやら俺の顔の前に手をかざしたかったらしい。だが、俺の腹のあたりに頭があるメルの身長では、どうやったって無理だろう。俺は言われるがままに、メルの顔と同じ高さにまでしゃがみ込む。
「へぇ……」
思わず声が出てしまった。あらためて間近で見ると、幼い顔つきだが外国人特有の彫りの深さもあり、テレビに出てくる子役タレントなど足元にも及ばないほどの可愛さである。深い蒼色をした目は、ジッと見ていると吸い込まれそうに感じる。
もっとも、実際に生で子役タレントを見たことは無いので、おそらくとしか言えないのだが。
だが、メルは若さゆえの肌のきめ細かさが手に取るようにわかるし、このまま成長すれば、おそらくは絶世の美女になるだろう。
いや、これは一般論であって、もちろん俺にロリ趣味はないし、一瞬だが光源氏計画が頭に浮かんだなんてことは、断じて無い。
俺がそんなことを思っているなど、つゆ知らずであろう。メルは俺の顔の前に小さな手のひらをかざす。すると……。
「うおっ!」
相変わらず仕組みがわからないが、俺の目の前の空間がぼやけたように揺れ始めた。
「さあ、そこに顔を突っ込むが良い」
「え?でも、大丈夫なんか、これ……。突っ込んだ瞬間に顔がグチャグチャ……、なんてことは無いよな?」
俺は恐る恐る、うねる空間に顔を突っ込んだ。次の瞬間……。
「うごぼぁぁぁっっっっ!!」
俺は自分でも聞いたことがないほどの奇妙な叫び声をあげ、その空間から2メートルは後ろに飛びのいていた。ギターケースがガシャリと音を立てて地面に落ちるが、とてもそんなことに気が回る状態ではなかった。もっとも、ハードケースにしっかりとしまわれているのだ。少しくらいの衝撃は大丈夫なはずだ。
「おっ、おいぃぃぃぃっ!なんか……、なんかいたぞぉぉぉぉ!」
俺はみっともないほどにうろたえ、あまつさえ叫んでいた。いや、あれを見れば誰だって同じような状態になるはずだ。
俺がもやもやの中で見た見た光景とは、それは例えるなら『深海』だった。深く暗い海の中に、深海魚が漂う風景。ただしそれは、テレビで見るような幻想的な光景ではなかった。
漆黒の闇の中でもなぜかはっきりと見える『そいつら』は、人の頭を持つ蛇のような生き物であったり、同じく人の顔を持つ昆虫のようなもの、はたまた虎のような動物の頭に、人の体が付いているものなど様々だった。
そんな奇怪な生き物達が、暗闇の中を所狭しと漂っているのだ。俺が腰を抜かしたのも仕方ないだろう。
「なな、なんだこれ……。まさか、お前の国で開発された最新のVRなのか?そ、そうか!海外じゃそっちの分野が進んでるっていうしな。な、なぁ~んだ……」
言いながらも、絶対にそうではないと確信していた。なぜなら、俺の頬には顔を突っ込んだ時に、目の前でニヤリと笑った猿のような女に撫でられた感触が、しっかりと残っていたからだ。あの感触は、絶対に疑似的なものではない。どう考えても、本物の感触だったからである。
「ぶいあーる?良くわからぬが、我はその魔界から来たのだし、そこにいるのは我の仲間達じゃ」
不思議そうに首を傾げるメルを見て、俺は確信する。決して認めたくないし、そんなことを信じるなんてどうかしている。けれど、今までの数々の言動を考えれば信じざるを得ないのだ。そう、目の前の幼女の正体を……。
「お、お前……。本物の、あ……、悪魔……?」
そんな俺の様子を、メルは呆れたように眺める。
「何を言っておるのじゃ?初めからそう言っておるだろう」
その言葉に、俺の全身から冷や汗が流れ出る。同時に、いかにしてこの場から逃げ出そうかということに頭を切り替える。さすがにまだ死にたく無いし、ましてや地獄になんか行きたくないからだ。
「ド、ドリアとパフェ旨かったろ?いや~、お前も初めて食べたみたいだし、貴重な体験が出来て良かったな。あ、家はその空間を通ってすぐに帰れるんだろ?だったら送って行く必要もないな。気をつけて帰るんだぞ。んじゃ、俺はこれで」
「うん、おいしかったよ。またふぁみれすにつれてきてね。それじゃあ、バイバーイ……。って、ちがうでしょ!」
さり気ない体で俺はその場を離れようとするが、残念ながら幼女のツッコミが入る。ちくしょう!あと少しだったのに。
「フ、フフフ……。お前はすでに我と契約を交わしているのだ。逃げられると思うなよ。我と契約を交わした証拠に……、その手を見よ」
「え……?」
メルの指差す先には、俺の左手がある。何事かとそこを見れば、普段とは明らかに違う違和感がある。
「なっ!何だコレ!?」
俺の左手の薬指には、見たこともない黄金色のリングが光っていた。いつの間に嵌めたのかと、今日の己の行動を思い返してみるが、そんなことをした記憶は全く無い。そもそも、俺は指輪なんぞ買ったことはないし、貰う相手もいない。良く見れば、かなり細かな装飾がなされた高級そうなものだ。
しかも、慌てて引っ張っても指に張り付いたようにピクリとも動かない。
「わかったであろう。それこそが、この『メフィストメルネーゼ』様との契約の証じゃ。お前はこれから、その生涯を我に捧げるのじゃ!」
「てか、左手薬指って、エンゲージリングじゃねえか!」
『悪魔の花嫁』。俺の脳裏に、一瞬そんな言葉が浮かぶ。いや、この場合は悪魔の花婿か?
自らの運命を悟った俺は、絶望に襲われる。脳裏には、『SEE THAT MY GRAVE IS KEPT CLEAN(俺の墓は綺麗にしてくれ)』の歌が浮かぶ。ああ、俺の人生はここまでなのか……。
だが、そんな中にも一筋の光を見出していた。そうだ、悪魔と契約したということは、俺の人生は短期間とはいえ大成功するはずだ。
ロバート・ジョンソンが亡くなったと言われるのが27歳。そこまで寿命が持つとすれば、あと7年ある。ならば、残りあと7年。むしろ老後のことを考えなくていい分、刹那的にに生きて楽しめば……。
それに、たとえ悪魔といえど、メルは信じられないくらいの美幼女だ。そいつと結婚するってことは、この先……。
俺は必死に思考をポジティブ回路に切り替えて、目の前の美幼女を眺める。しかし……。
「いや、無いわ。さすがに無いわー!絶対無理だって……」
目の前の幼児体型を眺めるが、さすがに無理だ。7年で成長したとしても、14歳である。俺が死ぬまでに手を出すのは不可能だろう。本人が1007歳って言い張ってるのも、どうせ閣下算式なんだろうし……。
「いや、まてよ……」
そうだ、俺はそもそもの根本的なことに気付く。そうだ、こいつはそもそも悪魔なんだ。悪魔といえば、欲望のかぎりを尽くし、酒池肉林というのが(たぶん)基本のはずだ。つまり、こいつもそっち方面には寛容なんじゃね?
俺はさり気ない体を装いながら、メルへ質問する。
「な、なあ、悪魔って、契約は一人としか出来ないのか?例えば、浮気OKってことは……」
わずかな期待を込めてメルに尋ねる。そうだ、音楽で成功し、大金も入ってくるだろう俺には、きっとたくさんの女が寄ってくるはずだ。どうせ長くは生きられないのなら、金を残す必要も無い。つまり、元気なうちに遊んでおいたほうがいいということだ。
だが、俺の質問をメルはうまく理解できないようだった。
「うき……わ……?なっ!なんでメルがおよげないことしってるの!?ちっ……、ちがうもん!メルのおともだちでも、ほかにもうきわつかってる子だっているもん。そっ、それに、お水にお顔つけれるようになったから、『スライム』クラスはそつぎょうして、『スケルトン』クラスにしんきゅうしたもん!」
「落ち着け!浮き輪じゃねーよ。浮気だよ、う・わ・き!」
とりあえず得られた情報は、こいつが泳げないということだった。てか、魔界にも海とかプールとかあんのかよ……。しかもお友達とかレベルによって進級とかって、魔界小学校みたいなもんがあんのか?じゃあなんだよ、バタフライとか出来るようになったら、サタンクラスとかになんのかよ?
ちょっとばかり気になったが、今はそれよりも聞き出すべきことがある。
「うわ……き?」
俺の質問は少々難しかったようだった。大人ぶってはいるが、素の状態を見りゃ7歳相応だし、こっちの世界を知らない分、むしろこちらの同年代の子供よりも、精神的には幼いのかもしれない。
「えーっとだな、浮気ってのはつまり、契約してるやつ以外とも、ちょっと遊んだり、契約みたいなことをしていいのかな~ってことで……。ほら、ちょこっとだけだよ」
幼児には少し難しい話だろうし、ちょっと他のお友達とも遊んでいい?みたいな軽い感じを出してみる。
だが、メルの反応は意外なものだった。
「だっ、ダメなんだからね!いっかいけいやくしたら、ほかの人とけいやくしたらダメなんだから!パパがいってたもん!」
「うっ……、そうか……。やっぱそうだよな……」
俺の淡い期待は、粉々に打ち砕かれた。バレないようにこっそり浮気すればとも思ったが、メルの口ぶりから察するに、悪魔との契約を破るのは相当のリスクが伴いそうだ。下手をすれば、その場で即地獄行きかもしれない。
「だって、ママがなんかいもほかの人と『けいやく』したとき、パパとってもかなしそうだったもん。だからけいやくは、ひとりとしかしちゃダメなんだよ!」
「おいぃぃっ!お前の母ちゃん、どんだけビッチなんだよ!」
「びっち?」
「あ……。いや、すまん。今のは忘れてくれ」
メルの母親の奔放っぷりに少しばかり驚いたが、さすがに幼い娘に言って良い言葉ではないだろう。少しばかり反省する。しかし……。
「てことは……」
俺は絶望のため息を付く。その理由は、俺と同じ夢見る男達ならわかってくれるだろう。そう、俺が一生童貞であることが確定した瞬間であった……。
「い、嫌だ……、それだけは嫌だ。悪魔と契約したんだ。せめて欲望に忠実な、酒池肉林の生活を送りたい!」
俺だって健康な男だ。エッチに対する憧れは人並み……、いや、人一倍ある。皆も味わったことがあるだろう。同志だと思っていた親友が、ある日突然彼女と歩いているのを見かけた時の衝撃を。それを見ながら、いつか俺だって……と、悔し涙で枕を濡らした日々を!
ならば、残る手段はやはり一つしかない。さっきは諦めかけたが、そうだ、契約したってことは、こいつは俺の嫁みたいなもんだ。だったら……。
俺は舐めるようにメルの全身を見る。今は何の凹凸も無い幼児体型だが、かなりの美幼女であるうえに、こいつの母ちゃんの話を聞くかぎり悪魔は性に奔放なはずだ。4年……は無理でも、せめて5年経てば、もしかしたらナイスバディの美少女に……。
「あほかーっ!」
あまりに馬鹿げたことを考える自分に、思わずツッコミを入れる。いや、やっぱダメだろ!YESロリータ、NOタッチである。
もちろん倫理観もあるが、それ以前に俺はロリコンではない(はずだ)し、メルの姿は雨蘭とダブる。やっぱ、どう考えても無理だろ……。
だが、俺はふと思い付く。悪魔ってことは、こいつはもしかして……。
「な、なあメル。お前って、もしかして変身とか出来るのか?もしかしたら、ハタチくらいのナイスバディのお姉さんになれるとか……」
一縷の望みをかけ、メルに尋ねる。そうだ、この見た目さえクリアできれば、こいつはとんでもない美女になるはずだ。ならば……、ならば!
「え?」
「いや、だからナイスバディに変身……」
「なに言ってるの?メルはへんしんなんかできないよ?あ!プリキュンにはへんしんできるけどね!」
ペッタンコの胸を張り、得意げに言うメルだったが、残念ながらそんなものは求めていない。言動も、完全に幼女のソレである。くそっ!こんなことなら、いっそ可憐でもいいから、頼み込んででも童貞を卒業しておくべきだった。
もっとも、アイツにそんなことを頼んだら、その場でぶん殴られそうだが……。
「まあいいか、金は稼げる(予定だ)し……」
取らぬ狸の皮算用だが、唯一の希望を胸に、この先の暗い未来から必死で目を背ける。いや、こんな悲しい結末、せめて大金稼いで好きなもん食って、好きなものを買えることができるって思わなきゃ、やってられないだろ!
そうだな、まず、気になってたビンテージギターを買おう。俺の持ってない、ラウンドショルダーとジャンボタイプのギターもいいな。それから、田舎暮らしには必須の車もいいかも。いや、待てよ。売れるってことは都会に出た後か。なら、車は必要ないか。じゃあ、お洒落な高級マンションなんかいいんじゃないか?
だが、その時俺の脳裏に両親や姉、雨蘭の顔が浮かぶ。そうだ、やっぱなんだかんだ家族なんだし、親父や姉貴達のために残してやる分も必要か。特に姉貴は実家住まいとはいえ、女手一つで雨蘭を育てて行くのも大変だろうし……。
そんなことを考えているうちに、死というものが現実味を帯びてくる。そっか、俺、何年かしたら死んじゃうかもしれないんだ……。
だが、考えてもどうにもならない。すでに左手薬指の指輪が、悪魔との契約という現実を物語っている。
とにかく今日は疲れたし、帰ってカップラーメンを食って寝よう。問題はメルをどうするかだが、とりあえずは魔界へ帰ってもらうのがいいだろう。
「わかったよ。契約のことは理解したから、今日はとりあえず家に帰ろう。ほら、お前もその空間からすぐ魔界に帰れるんだろ?今日は疲れたし、また明日な」
もしかしたら、明日には現れないかも。そんな淡い期待を胸に抱きながら、俺はメルに手を振ると自分のアパートへと向かい歩き出す。しかし……。
「あの……、メル……さん?」
「なんじゃ?」
「いや、帰れって言ったのに、何で付いて来るんだよ!」
メルは俺の後ろを、ちょこちょこと当然のごとく付いて歩いてくるのであった。
「え?だってけいやくしたんだし、いっしょに住むのはとうぜんでしょ?」
不思議そうな顔で、メルは首を傾げる。だが、俺の頭は想定外の言葉に真っ白になる。
「ばっ、馬鹿言うな!俺にお前を食わせる余裕はないし、そもそも悪魔ったって、お前の外見は小学生なんだぞ。そんなのが突然俺ん家に住み着いてみろ。確実に通報案件じゃねーか!」
よく考えてほしい。いかにも純日本人の学生風(学生ではないが)の男(彼女なし&童貞)のむさ苦しいアパートに、金髪の美幼女がいる風景を。普通だったら、確実に通報するか疑いの目を向けるでしょ?『お巡りさーん、ここに幼女誘拐犯がいまぁーす!』ってね。
それに、時々姉貴が雨蘭を預けにくる(主に自分が遊びに行くためだが)こともあるし、可憐が俺の母親に頼まれて、届け物を持ってくることだってあるのだ。そんな時に部屋に見知らぬ幼女を発見でもしたら、あの二人はたとえ身内であろうとも容赦はしない。いや、むしろ他人の方が優しいと思えるくらい、あの二人は直接的な暴力に訴えてくる。どっちにしろ、俺の人生は終了である。
「そういうわけだ。とにかく、契約はちゃんと履行するから、お前は自分の家に帰れ。じゃあな」
これ以上付きまとわれてはかなわない。俺はそそくさとその場を後にする。
「うえぇぇーーーーん!メル、けいやく終わるまでかえれないのにぃぃぃぃ!おうちなくなっちゃうぅぅぅぅ!うわぁぁぁぁーーーん!」
遅かった……。いや、さすがにノンストップで炸裂した幼女の必殺技だ。どうあがいても止めることなど出来なかったろう。
「ちょっ……!ばっ、馬鹿!落ち着け」
深夜とはいえ、俺達が店を出た後もちょこちょこと客の出入りはある。車から降りたばかりのカップルが、こちらを見て何やらヒソヒソと会話をしているし、深夜まで明かりの点いている近所の家の窓が、ガラリと開く音がする。
おまけにファミレスのガラス窓越しには、電話機を握り締めてこちらを伺うウエイターの姿が見える。
くっ……、こうなってはやむをえん。
「ほっ、ほらメル!わがままばっかり言ってると、お兄ちゃん置いてっちゃうぞ。だから、もうわがままは言っちゃダメだぞ。さあ、兄ちゃんと一緒にお家に帰ろうな!」
俺は再びメルを小脇に抱えると、脱兎のごとくその場を走り去ったのだった。