その3
「ふんふん、ええと……。なるほど、こんな感じだな」
俺は先ほどの幼女の鼻歌に合わせ、キーとコード進行を確認する。細かい部分は違うかもしれないが、大まかなところでは間違ってはいないはずだ。
しかし、俺はなんとなく違和感を感じていた。その違和感の正体とは、初めて弾くはずの曲なのに、どこか体に馴染んだ音楽のような気がしたのだ。しかし、子供の頃ならともかく、このようなアイドルソングやアニメソングのような類を弾いたり、歌ったりした覚えは無い。
気のせいかと思い直し、幼女に向かい準備OKの合図を送る。それと同時に、幼女は見えない観客へ向かって、まるでアイドルのようにマイクアピールを始めた。
「みんな~。準備はいいかな?それじゃあ行くよ!愛と勇気が世界を救うの。レェッッツ、プリティ!」
右手を突き上げ、ステッキをかざす幼女と同時に、俺は伴奏を開始する。しかしなぜだ?妙に体に馴染んだこのタイミングは……?
だが、俺のそんな疑問などに当然気付くはずもなく、幼女は歌い始める。
「愛~と~、勇~気が~、世界~を~、救うの~♪」
俺は伴奏をしながらも、少しばかり驚いていた。なぜなら、幼女の歌声は澄みきっており、悪魔どころか、まるで天使のような歌声だったからだ。正直、もっと舌足らずな拙い歌声を想像していたのだが、ヘタなアイドルよりも歌唱力は数段上だろう。
「夢と~、希望~で~、未来へ~、向~か~うのぉ~~~~♪」
だが、俺のそんな驚きなど知る由も無い幼女は、ギターの伴奏を背にし、ステッキをマイク代わりに気持ち良さそうに歌い続ける。
だが、俺はまたしても違和感を感じていた。何がと言われれば、そもそもがおかしいのだ。俺はこの曲を、幼女の鼻歌で聞いただけだ。それなのに、次から次へとこの後の楽曲の進行が頭に浮かぶ。
例えばそうだ。この少し後に転調し、マイナーな少しばかり物悲しい感じになるはずだ。そんな俺の予想通りに、曲はクライマックスの一歩手前に差し掛かる。
「時には~、わ~た~しだって~、泣き~たい~夜もあ~るの~。だぁってぇ~、女~の子~だも~ん♪」
そう、そしてこの転調部から、一気にクライマックスへと差し掛かるのである。なぜかはわからぬが、俺の中の音楽の神がそう叫んでいる。いや、これこそが、悪魔との契約による、魂を捧げた効果なのか!?
「魔法~の呪文でドキドキ~♪」
『ハイハイ!』
そしてクライマックス部分。俺は、無意識のうちに幼女の歌に合いの手を入れていた。まるで、この曲はそうすることが当たり前だと、ずっと前から知っていたかのように。
「恋~の呪文でワクワク~♪」
『フゥーフゥー!』
もはや、時間帯がどうとか、住宅街がどうとかということは、俺の頭の中から抜け落ちていた。頭の中にあったのは、この幼女とのセッションを最高のモノとしたい、ただそれだけだった。
ギターのの音量はMAXまで跳ね上がり、俺のバックコーラスは叫ぶかのごときものになっていた。
「そうよプリティ~♪」
『プリティ~!!』
「私は魔法の~♪」
『マジカ~ル!!』
「私は魔法の~♪」
『プリンセ~ス!!』
「マジカ~ルプリンセス~、プリティ~キュンッキュンッ♪」
「「イエイ!!」」
クライマックスで、俺は幼女とともにこぶしを突き上げていた。なんだ?この爽快感は。そして、まるで心の奥から沸きあがってくるような高揚感は。もしかして俺には、ブルースなどではない、このようなポップな音楽こそが相応しいとでもいうのか?
こぶしを突き上げながら葛藤するが、事実として最後まで演奏した挙句、合いの手まで入れているのだ。これはもう、こういうジャンルこそが俺の天職……。
だが、俺の中のもう一人の冷静な俺は、思いっきりツッコミを入れずにはいられなかった、なぜなら……。
「ってこれ、プリキュンやないかーい!!」
気付けば、関西芸人のごとく叫んでいた……。2回言うけど、プリキュンやないかい!いや、まずは俺が叫んだ『プリキュン』とは何ぞやとの説明をせねばなるまい。
『魔法少女 プリティ☆キュンキュン』
タイトルからも想像できるとおり、女児向けのTVアニメである。日曜の午前に放送され、大ヒット御礼で全国の幼女を虜にし、今や何作もシリーズが続き、映画版も作られるほどの国民的アニメとなってる、もっとも、その経済的な背景を支えているのは、幼女ならぬ30歳を超えた中年男性層……、いわゆる、『大きなお友達』であるというのがもっぱらの噂であるが……。
いや、なぜ俺がプリキュンに詳しいのか、もしかして俺も、大きなお友達の一人なのではあるまいか。ひょっとして、薄い本なども買い漁っているのではないか。そんな疑念を抱かれる前に、きちんと説明しておかなければなるまい。
あれはそう、遡ること今年の正月のことだった。正月ということで、当然のごとく俺の家族は実家へと集まっていた。
そこには父親、母親のほかに、その家に暮らす俺の実姉である、『朝日 伊吹(24歳 現在独身)』と、その娘である『朝日 雨蘭(5歳 幼女)』がいた。
独身の姉に、なぜ娘がいるのかという疑問を持たれる方もいるかもしれないが、そこはそれ、『現在独身』という言葉で察してほしい。まあ、早い話がバツイチなのだ。だが、俺は相手の男を恨んでなどいない。いや、むしろ同情すらしている。あの姉と結婚し、あまつさえ4年も耐えたのだ。むしろ4年も姉を俺から遠ざけてくれて、感謝しているくらいだ。
まあ、姉のことやそのあたりの詳細は置いておくとして、問題はなぜ俺が正月の出来事を思い出したのかである。
☆ ☆ ☆
「ねーねーヨータ兄たん。つぎはなにしてあそぶぅ?」
「んー、そうだなあ。お兄ちゃん疲れちゃったから、ちょっと休憩したいかな」
「えー、やだぁ!もっとあそぶぅ!」
朝から姪っ子(5歳幼女)の相手をしていた俺は、いい加減疲れてきたこともあり、自由時間を貰うことを提案した。だが、人生の96%以上(当社比)を遊ぶことに費やす年頃の幼女には、当然のごとく俺の提案は通用しなかった。正月ということもあり、テレビはつまらない特番ばかりで、当然幼女の要求を満たせるものは無い。
とはいえ、5歳児相手に長時間遊び続けるのは結構辛い。なにせノンストップで動き続けるし、余程好きなものでもないかぎり、長時間一つの遊びに集中することは無いからだ。
頼みの綱の両親は、面倒を見てくれる生贄が見つかったことで、ここぞとばかりにダラダラと自由時間を謳歌している。孫は可愛いが、さすがに四六時中相手をするのは……、というところだろう。
まあ、幸いなことに雨蘭は俺に懐いてくれているし、たまに遊ぶ分には可愛いし悪い気はしない。
そんな時、今後の行動を悩んでいる俺達の前に、雨蘭の母親であり、俺の姉である伊吹がふらりと顔を出した。
茶色がかった長い髪をストレートに垂らした姉は、クッキリとした目鼻立ちで、家族の贔屓目を抜きにしても美人の類と言えるだろう。スタイルだって、出るところと引っ込むところがハッキリとしており、世間一般から見れば上位の部類に入るはずだ。そんな姉がなぜ離婚したのか。まあ、それはおいおいということで。
「なんだヨータ、もう雨蘭を飽きさせたのか?しっかりエスコートしろよ。ちっ!これだから女慣れしてない童貞はよ」
「ちょっ……、そっ、それは関係ないだろ!」
「だからさっさと、可憐ちゃんに頼まねえからだよ。あの子なら、お前が頼みゃあヤラせてくれんだろ」
「お、おま……。雨蘭の前でヤラせ……とか、何てこと言うんだよ!それに、俺と可憐はそんなんじゃねえよ!」
さすがに娘の前でする会話ではないと思うが、姉貴は平然とした顔をしている。そもそも、店長の話にも出てきた『可憐』とは誰かといえば、隣に住む俺の幼馴染である。腐れ縁とでもいうのか、小学校から高校までずっと一緒の学校だし、もちろん仲は悪く無い。中学校までは、一緒に学校へと通っていたくらいだ。
高校生になってからは、さすがに男女の意識を持ったこともあり、連れ立って登下校することはなくなった。だが、道すがら会えば一緒に登下校もしたし、仲は良かった。
そんなこともあり、周りからは夫婦扱いされて随分とからかわれたが、本人達にとっては兄妹……、いや、どちらかといえば姉弟のような感覚であり、そういった雰囲気になることはなかった。
それに、名前のイメージとは違って、可憐は髪も短く男勝りな性格である。小柄で顔立ちも可愛いと思うのだが、俺の知る限りでは、今までに付き合った男はいないはずだ。さっぱりした性格ゆえに男女問わず人気があり、告白されたという相談は何回か受けたことがある。ただ、どちらかと言うと、女子から告白されることのほうが多かったのではないだろうか。
しかし、頼めば……?まさか……?俺の頭に、一瞬可憐の顔が浮かぶ。だが、深く考える前に雨蘭の言葉で現実に戻される。
「ヨータ兄たん、ドーテーってなぁに?」
「ああ雨蘭、童貞ってのはな、こいつみたいに女にモテない寂しい男が……」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇい!5歳児相手に何を説明しようとしてんだよ!」
確かに指摘は事実だし、口惜しいが反論の余地は無い。だが、俺は姉の代わりに雨蘭の面倒を見てやっているのだ。理不尽な要求にさすがに反感を覚える。
だが、俺は文句を言いたいのをぐっと堪える。なぜなら、無駄に反論して大惨事を招きたくはないからだ。ここで反撃しようものなら、どのような理不尽な悲劇が起こるかわからない。経験が物語るが、ダテに離婚して戻ってくるまで、16年近くも一緒に暮らしてきたわけではないのだ。
「ちっ!うっせーヤツだな。これだから夢見る童貞は……。ああ、そうだ。お前、ギター持って来てんだろ?」
「は?あ、ああ。そりゃあ持ってきてるけど……」
「だったら、プリキュンの曲弾いてくれよ。最近雨蘭がハマってるんだ」
「はい?」
一瞬、唐突に話題を変える姉の言葉が理解できなかった。いや、さすがにプリキュンがどんなものかは知っているが、見てもいないものの演奏など出来るはずが無い。
「い、いや、そもそも俺、プリキュンの曲なんて知らな……」
「ええっ!すごいヨータ兄たん。プリキュンひけるんだ。じゃあ、うらんがおうたをうたってあげるね!」
「心配すんな、DVDセットも買ってあるから。まだまだ時間はあるんだし、今から頭に叩き込みゃいいだろ。ほれ、そこに積んであるから。んじゃアタシは、これからツレと新年会で飲みに行ってくるから。頼んだぜ」
「ちょっ……」
「ままー、いってらっしゃーい。おみやげかってきてねー」
さっさと踵を返す姉を呼び止めようとしたが、その手にワンカップが握られているのを見つけた俺は、全てを諦めた。ただでさえ理不尽な姉なのに、昼間っからアルコールを添加した時はまさに、触らぬ神に祟りなし状態なのである。さらには、隣では可愛い姪っ子が期待に胸を膨らませ、キラキラした瞳で俺を見つめている。
「……。えっと、とりあえずDVDを見て曲を覚えるから、ちょっと待っててくれるかな……?」
「うん!じゃあ、うらんがプリキュンのことおしえてあげるから、いっしょにみようね!」
俺は全てを諦め、姪っ子とともにプリキュン鑑賞をするハメになったのだった。