一茜の歌集(にのまえあかねのうたノート) えあわせ
如月に変わりける頃、友の病めるを聞きて、赤き薄様を梅に引き結びて送りける歌
春の夜に
かほれる梅の
枝を折り
月影たぐへ
贈りてしがな
返し
梅に残る
月のかほりを
先遊ぶ
照るる梅をば
のちに眺めむ
《真面目な訳》
3月に変わった頃、友達の病気になったのを聞いて、赤い薄様を梅に結んで贈った歌
春の夜に
香る梅の
枝を折り
月の光を伴わせて
贈りたい
返し
梅に残る
月の匂いを
先に楽しみました
(月に)照らされる梅は
後で(一緒に)眺めましょう
《つぶやき》
・参考にさせていただいた和歌(一部紹介)
闇ならば
うべも来まさじ
梅の花
咲ける月夜に
出でまさじとや
(新月ならば、なるほど来ないのもわかります。しかし、梅の花が咲く月光の明るい夜においでにならないとは)
万葉集に掲載されている作品です。「うべも」はこのあと「むべ」になります。月に照らされる梅の花といえば思い出すのは私だけでしょうか?
春の夜は
軒端の梅を
もる月の
光も薫る
心地こそすれ
(春の夜に軒端から月の光が洩れている。その光も薫るようだ)
返歌における「月の光が香る」という表現につながる歌
今回は月と梅の組み合わせで詠んでいますが、
・月と梅が視覚的に似ている
・梅の花の匂いが強い
というものが多いと思います。
それらを基に今回は、「月に照らされる庭の梅の花の様子はとても美しいのでそれを贈りたいのだけれど……。梅の花だけでも贈ります。(一緒に見たいな)」「月の匂いがする梅の花が届きましたよ」という歌を(どちらも作者は私ですが)詠んでみました。
今回は完全に贈るものとしての和歌なのですが、もちろんメールなどは存在せず紙に書いて贈っていました。その送り方も今回はしっかりと踏まえてみました。
少し蛇足かもしれませんが、この和歌の投稿日はお月見の日です。なぜ中秋の名月を見ながら春の月を詠んでいたのかを少し説明していきます。
まずこの和歌を作り始めたのは9時半ぐらいからです。昨日の夕方にお月見団子をどうするか考えてきたときに月の和歌を詠みたいと思っていたのですが、いろいろ思いがありまして。そしてこの投稿時間です。
ということで1つ目の理由は、本物の月を見てから書いていると絶対に間に合いません。
2つ目の理由は、表現を変えるとバーチャルな詩的空間で和歌を詠むのも1つの形態だと思っているからです。
和歌の役割は
①恋の気持ちを伝える
②お友達への招待状
③別れるときに一緒にいられない悲しさを伝える
④仕事の内容
などなどいろいろありますが、少しづつ歌会というものが成立してきました。始めはお酒を飲みながらその場の状況を和歌を一緒に詠んで楽しんだり、それ以外の綺麗なものを見せ合ったりなど、和歌がメインではないパーティーに近いものでした。
それが少しづつ和歌に特化していき、和歌の題はあらかじめ決められ、自宅で和歌を書いてくるようになりました。受け売りですが、フォーマルな文芸という表現をしたいです。
もちろん、風景の写真をLINEのグループに貼ってそれを……みたいなことは出来ませんから、共通した景色は持っていません。そのようなときには、これまで詠まれた和歌を踏まえるということが重要になってきます。
ある意味、非難されそうなところですが、ある程度決まった褒め方などが存在し、それをどう表現するかが重要になってきます。
ということで、秋の月ではなく春の月でのアイデアが思い浮かんだのでそちらにさせて頂きました。でも、お月見団子について考えていたのが初まりです。
今回はレトリックというより、古歌を踏まえた掛け合いを頑張ってみました!気に入っていただけると幸いです。
皆様に31文字の魔法がかからむことを。
いつも色々な方々に支えられています。ありがとうございます(。-_-。)