―16― ***鬼が出るか――
鬼になるのか。
暗黒の森を舞台にした鬼ごっこが始まった。
鬼は凛。逃げる死体だった物の発する音を頼りに、光を向けながら必死に追いかける。
懐中電灯を持つ凛ですら、この険しい森を駆け抜けることは容易ではない。逃げる側には頼る光はない。次第に両者の間は詰まっていく。
凛は正体を失くしつつあり、かけるべき言葉を胸の中で反芻させていた。
――待って。事情をきかせて。危ないよ。何もしないから。待って。待って、待って、待て。咄嗟ということもあり、凛は右手に懐中電灯、左手にシャベルを持ったまま駆けていた。それが災いする。左手のシャベルが何か硬い物に衝突する。走行エネルギーが左手を伝って凛に響く。凛は弾き飛ばされた。もんどり打った凛は一瞬意識を手放していた。
すぐにハッとすると、余響の残るシャベルを持っていたことに気づく。
前方を照らす。音が見当たらない。しまった、見失った――。
凛は立ち尽くした。葉と木と草を駆け抜く、迫る風がふく。風による音の幕のせいで見失ったのか、死体だった物が停止しているのか分からなかった。そこでようやく、自分には〝声〟という手段があることを思い出した。
「お願い出てきて! 何もしないから! 話をききたいだけ!」
出来る限りの大きな声を出した。
……………………。どれだけ耳を澄ませても、リターンは何もなかった。
シャベルを強く握った。足元や周囲を照らしてみると、大きな岩石があった。なるほど、さっきぶつかったのはこれか。そこで凛は閃き、キッと岩石を睨みつけた。
有機物が占める森に、無機物同士の衝突する音が貫いた。その音はまるで骨を直接叩いてくるようだ。来る、と想定していなければ、否が応でも何かしらの反応をしてしまう音。
「ひっ」
――聞こえた。
凛はシャベルから伝わった衝撃に腕ごと震わせながら、何とかそこを照らし出す。太い幹に隠れた髪を見た。また影は走り出した。凛もまた走り出した。
鬼ごっこは終わらないのか、そう凛が懸念したところで、唐突に終わりが訪れた。
ドバサッという派手な音を伴って影が跳ねて、そして――ころんだ?
息を切らせながら、凛はようやく影に追いついた。
まじまじと影に光をあてる。ついに影はその正体を現した。女……いや、少女。高校生ぐらいか。怯えた目を凛に向けている。腕や足にいくつもの細かい傷がある。この森を無闇に走り抜けば、仮に昼間であってもどこかしら傷つくであろう。
そういった意味では追いかけるべきでなかったのかもしれない。しかし放っておくこともまたできなかった。
「大丈夫?」最大限、優しさを込めて凛は言った。
「…………」
「追いかけるような真似してごめんね」
「…………」
「あの、えっと……うちの車で何してたのかな?」
「…………」
凛は次第に感情が荒立ってきた。これでは何も分からない。
「こわがらないで。何もしないから。車に戻りましょう?」そこで凛は気がついた。何の標もなく走りまったこの状況で、果たして戻れるのか? しかし今それを口にしたところで、現状が好転するとは思えない。結果として方便となった。
「ねえ? あなたは誰なの? うちの車で何してたの?」ダメか。どうしたらこの少女から言葉を引き出せるのだろう……何か考えなければならないと凛が思い直した時だった。
「――あ……たの」
「……え?」
「あんたのダンナとヤってたんだよ!」
一寸先の闇が迫り来る――。




