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マトリョーシカのネズミ  作者: 相葉俊貴
15/23

―15― ***一寸先は――

 ――一寸、と言われても、この現代ではどれぐらいの距離かすぐには分からない。尺貫法で表された数字を見かけることがほぼないからだ。ところが連綿と続く「言葉」にはその残影がある。特にことわざなんかでは、語感やその本来の意味を残すために、時代の感覚を含んだままに語られる。例えば、「千里の道も一歩から」が、「およそ4000kmの道も一歩から」と言い換えなくてはならないのであれば、言葉が本来持っていた奥ゆかしさが失われてしまう。正しいことや、分かり易いこと、安全なこと、低コストなこと……そういった合理性だけがこの世の中を構成する全てではない。そしてだから人は道を簡単に逸れてしまう。合理性は本能を抑えつける、ただの鎖にすぎない――。


 凛は闇の森に手をかざしていた。闇は深すぎると物理的な溶解性を持つようだった。一寸先の闇に溶かされた掌はもう目視できない。ヘッドライトも消しているので、ここから先は懐中電灯だけが頼りになる。凛は闇を恐れない。暗の世界の安らぎを知っているから。

 トランクに手をかけ、トランクの中にこそ本当の闇が待っていることが憂鬱だった。そこにあるのは友也の秘め事、それを秘めるための凛の行動。

 取手に力を加えると、ぐわぁぁ……と答えるトランクの扉。何度見ても大げさな仕草だった。

 次に起きたことは、あまりにも唐突すぎて、一瞬凛は車内からびゅうっと秋風がふいたのかと思った。

 黒の世界に黒い何かが飛び出した。

 土が跳ねる音がザクッと響く。何だ、何が起きた。

 〝音〟は森に向かってスピーディーに移動する。

 凛は慌てて懐中電灯を音に向けた。音と光が交錯する。

 長い髪が照らし出された。

 すぐさま照射範囲から姿を消し、音に戻る。

 トランクの中を照らす。もぬけの殻。

 像と死体がようやく連結し、あの髪が死体だったものであることに気がついた。

 咄嗟に死体だった物の音に向かって凛は駆け出した――。生きていたのか。

 本能を抑えつける鎖が軋み出す。


――――――――――――だよ!》

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