―12― ***溺れる者は――
車の鍵を手に取る。抜き足も差し足もしない。生活範囲の内にいるように振舞わねばならないのだから。夜中にトイレに行くことでいちいち抜き足も差し足もしないだろう?
それでも音は殺さなければならない。生活範囲の内にいるなら、妻を起こさないようにするのも普通の配慮だろ? 誰にいいきかせるでもない、自己暗示。
友也は熟睡している世界に、十分心遣いをしながら行動を開始した。深い夜に行動する生命体は、夜が好きというわけではない。夜というファクターがもたらす生命の体勢変化を必要としているのだ。明るみを必要とする生命体は闇を恐れ活動を停止し、眠りにて恐怖を回避する。時間と物理数が鈍化したような今、この夜だからやることがある。
急がず、そして静かに靴を履く。このタイミングで妻に声をかけられても、ちょっと散歩、ぐらいの言葉で済むような自然さで。
こんなにドアとは重かったか――、これではまるでドアが開くのを拒否しているみたいだ。ドアまでも眠りついているように感じる。
――いつまで寝ているんだ、起きろよ。人工的な自然さを繕うそのひずみで、知らず知らずに弱い力でドアを開けただけだとしても、ドアに悪態をつかずにいられなかった。
蝶番がギィ……と啼く。ちくしょう、うちのドアはこんなにもうるさい音がするのか。
少しずつ、慎重に慎重を重ねドアの開閉作業を推し進め、ついに友也は〝外〟に出た。恐らくその姿を見られていたら、散歩の言い訳は通用しなかったであろう。いつの間にか必死な顔つきになっていたからだ。
けれども、そんな心配はただの杞憂であったことをすぐに知ることになった。
どこを見渡しても、我が家の車は見当たらなかったのだ。
友也はどことなくおかしくなり、一人くすっと笑った。




