―01― ***臭いものに――
残虐描写が苦手な方はご遠慮ください。
フタをして、決して視線をそこに向けず、意識を意図的に脱離させる。しかしそうして自己と乖離させたはずのそれは、意識しない無意識という矛盾の上に存在する。だからいつの日かそれのフタは開く。いつの間にか開いたのか、突然目の前で開いたのかは分からない。
――それが秘め事。
三枝凛は幸せを噛み締めていた。絶対に幸せを手離さぬようにと、ひたすらに噛み締めていた。「幸せってなんだろう」というような、哲学的な疑問を口にする人もいるのは知っているが、凛にとっての幸せとは具体的に定義づけがなされているので、そのような疑問には無関心である。
凛にとっての幸せは、目の前に息づき、凛たちの築いた境界線の内側で生活を共にする友也のことだった。
三二歳の凛は、世間的にみればまだまだ若造に分類されるだろう。それでも、凛にとっての若かりし頃に出会った友也は、その頃からの色褪せぬ魅力と、凛を優しく包容できるキャパシティを携えていた。経済的な包容はもちろんだが、友也は凛の心も包容してくれた。
凛は友也との穏やかな生活を守るためならば、どんなことだってできると信じている。凛には、他人よりも贅沢したいという感情はほぼない。この家と、友也と、安定した生活があれば他に何もいらない。
しかし、凛の幸せに、初めて不協和音が響いた。
始めは些細な違和感だった。少しずつ凛と友也の織りなすメロディーに、異音が混じり始めた。やがて異音は確かな響きへ、確かな響きは本流のメロディーを圧迫し、圧迫は完全な不和をもたらした。いつの間にか黒鍵だけで奏でたピアノの演奏のような、捻れる音楽性を孕んだ狂気の音律となっていた。
そもそもこのメロディーは凛と友也の連弾で奏でられているのだから凛の意思だけで音律を正常化するのは困難の極みであった。もがけばもがくほど、捻れゆくメロディー。
どこにフタをすれば、何を秘め事にすればいいのか凛には分からなかった。




