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ー前編ー なんだ 猫か

 ――百七十九じゃないから――


 幾多の失恋エピソードにおいて、かつてこれほど明確で正確なお断りをされた例があるのだろうか。


 文芸部の部室にひとり、人生の絶頂を謳歌する蝉たちの声に煽られながら俺は昨日の自分の行いを猛省していた。


 夏休みにも関わらず毎日登校して蒸し風呂のような部室で小説の執筆していたのは、ただあいつに会いたかったから。

 あいつがいつものように部室にひょっこりと顔を出して、いつものような軽口を叩いて、そしていつものように笑ってくれて。

 それで満足だったんだよ。それがなんで告白なんて流れに……


 重くなった頭がガクリ傾き、机上のノートPCのキーボード寸前で止まった。止まった反動で胸の奥から込み上がる深い溜め息が喉を伝って口から漏れ落ち、重い空気を潰して沈んでいった。


 あの時は確かにいつもとは雰囲気が違ってた。なんていうのか、変な空気に変わったというか……。

 いつものコントみたいな軽口と違って、ちょっとした沈黙なんてあって、お互い視線を合わせられなくてモジモジなんてあって、なんか気恥ずかしくて甘塩っぱいような感覚なんてあって。

 そのうち気がつくと、その妙な空気に完全に飲み込まれて理性が破綻、感情が急騰、空間認識が消滅して、自分が制御不能になった。

 クライマックス感が全身を駆け巡り、強制的に頭の中がピンクに塗り替えられるあの空気……。


 もしかするとあれが俗にいうラブコメ臭というシロモノだったんだろうか。

 彼女いない歴=年齢な俺にとって、そんなものは架空の話くらいに思っていた。


 恋愛ビギナーな俺は、いままで体験したことのないラブコメ臭に気が動転し、勢いで告白してあえなく討ち死にというわけか。


 百七十九ってのは身長のことだよな? たぶん。

 百六十四センチの俺にはあと十五センチもの不足があるわけで。

 これは友情や努力なんかで勝利できる条件ではないわけで……。


 はあ、もう俺なんて死んだほうがいいんじゃないか……。


「ナー」


 何か聞こえた。なんか同意されたような気がした。気のせいかな。


「俺ってなんの取り柄もない駄目なヤツだよなぁ?」

 確認のため、今度は声に出してみた。


「ナァー」


 より深く同意されたような気がした。


 「……」


 部室の窓に目をやると小さく風が流れ込み、蒸した部室の空気を緩やかにかき混ぜた。

 窓辺の机の上には黒い毛玉が鎮座していた。

 毛玉はそっぽを向いており、クァと小さく欠伸をいれた。


 黒白のハチワレ猫。学校付近に住み着いているのか、校舎裏やグラウンドなんかにちょくちょくと出没している。

 全体的に黒毛だが顔とお腹の辺りや前足の先が白毛になっており、見た目からのネーミングで『オテシロ』と呼ばれている。


 人前に現れて存在をアピールするにも関わらず、基本無愛想で警戒心は強い。触られるのが嫌なのか人とは一定の距離を開けて居座る。

 まあ、例外はあるんだけど。

 俺は触れはしないが手の届くところに近寄っても逃げられることはない。


「お前って人の言葉がわかったり、心の中が読めちゃう系のキャラなの?」

 相変わらずそっぽを向いたままお尻をぺたりとつけて座るハチワレに問う。


「ナー」


 肯定っぽい。マジかよ……。


 侵入しやすいからなのか、この場所が気に入っているのかは不明だが、オテシロは部室に結構な頻度で現れては俺と不毛なやり取りを繰り返している。


 昨日もそうだった。俺とオテシロがドッタンバッタンやってるとフラリとあいつがやってきて……。で、あんな事に。


 「お前も少しくらいは責任感じろよ」


 「……」

 オテシロは横柄に座ったまま、目の前をフラフラと飛ぶ小虫を熱心に目で追っていて話を聞いていなそうだった。


 「無視ですか。虫だけに……」

 言葉に出すと思っていたよりもずっと寒かった。きっと暑さと失恋で頭がおかしくなっているんだろう。


 沸騰した頭を冷やすため席を立ち、窓際に向かいオテシロの傍で風に当たる。

 オテシロが少し不機嫌そうな顔をしたが虫、無視することにした。


 あーあ。もう俺にはわからんよ。

 猫の考えとか、……あいつの気持ちとかも。


 十分楽しかったじゃないか。友達としての関係でも。

 気さくで明るくて、ちょっといい加減な所もあるけど、元気いっぱいでポジティブ全開。

 なんか知んないけど、お互い『お約束』とか『フラグ』話が大好きで、俺が目ざとく詰まんないフラグを見つけて指摘したときなんかには大笑いして。


 でもって、その笑顔がまたなんつーか可愛らしくて……。

 でもって、その笑顔を見たさに何度も、何回も仕掛けたりして……。

 でも、その笑顔を見るたびにどんどん気持ちが積み上がっていって……。


 あいつの特別な相手に、なりたくなっていた。


 ……。


 でも昨日の告白で、その関係はもう終わってしまったんだ。


 ――ヒャク、ナナジュウキュウじゃないから――

 俺の告白に、そう返事したあいつはこの部室から飛び出していってしまった。


 昨日あの後フラフラになりながら帰宅して、ベッドの上でバターになりかけるくらいに転がりまくって後悔した。

 後悔に限りがないことが分かるまで五時間かかったけれど、そのあと頭痛がするまで考えた。三回吐いた。

 で、わかってしまった。


 俺はどう頑張っても百七十九センチになんてなれない。

 もしも万が一、あいつのほうから今まで通りに接してきてくれたとしても距離を置こう。

 いや、あいつのことだから変に気を使って今まで通りに振る舞ってくれたりするんじゃないかな。

 ……でも俺はもう、あの笑顔を見ない。

 見ちゃいけない。


 あの笑顔を見てしまったら、きっと俺は彼女の事を諦めきれなくなるから……。

 解決できない問題と、容量を超えた気持ちは同居不可能だったから。


 だから俺は諦める。

 キッパリと、バッサリグッサリと諦めるんだ。


 ああダメだ。改めて考えたらまた気持ちがザワついてきてしまった。


 小説、小説の続きを書こう! 切り替えだ。切り替え!


 さっきはどこまで書いたっけな。

 たしか、気がつくと周りに誰もいなくなっていて一人になった女生徒が殺されるシーン。

 単純なネタだけど王道だ。でも単純故に確信的な効果を狙える。


 気合を入れるために両手で頬を張り勢い良く振り向くと、オテシロの白い右手がノートPCに向けて高々と振り上げられている。


「うわーっ!」

 思わず大声が出た。

 モニターには今日書きあげた分のテキストが表示されたまま映し出されている。

 もちろん、お約束どおりに今日はまだセーブをしていない。


「よ、よせ。バカなことはやめろ。そのままゆっくり武器(白手)を降ろせ。今なら大事にはならん」

 オテシロは説得に応じる気配がない。やばい、やつは本気だ。


「いいか、絶対に押すなよ? 絶対だぞ?」


 自然に口から出たセリフの危険度に気がついたのは、真顔のオテシロが少しこちらに顔を向け、鼻の穴をプクリと小さく膨らませた後だった。


 ッターン!


「お前の血は何色だーっ!」


 俺の絶叫など構いもせず、オテシロは第二射を放った。


「この人でなしー!」


――ぷぷっ――


 ん、笑い声? オテシロが?


「んっ ぷぷっ ふっふ」


 いや、その染み出すような小さな笑い声は廊下の方から聞こえてくる。 

 よくよく見ると教室のドアは丁度教室の中が覗ける程度に開いていた。


「っく~ ひっ」

 廊下からは堪えきれずに漏れ出す声が途切れ途切れに小さく聞こえる。


 ……なんで来るんだよ。おまえは俺を振ったんだろう?

 理解不能だよ。こんなのミステリーだろう。


 いつもの日常。オテシロにあしらわれる俺を見て笑うあいつ。


 ……でも今日は、

 ――聞こえなかった振りをしよう。


 きっともう、友達じゃだめだから。


 今ならまだ間に合うから。そのまま立ち去ってくれ。頼む。

 ドアの隙間から、小さくうずくまりながら小刻みに震えているる背中が見えた。

 また、笑ってるんだろう?

 いつものあの笑顔で。


 居ても立ってもいられなくなり、オテシロに助けを求める。

 すると、いつのまにかオテシロの姿はどこにもなかった。


 「オテシロ……?」

 やめろよ……。急にひとりにするのは……。

 これじゃまるで……。


 どれくらい時間が経ったのかはわからなかった。

 いつのまにか笑い声は聞こえなくなっていた。

 

――トン――

 沈黙の中、ドアに何かがぶつかって小さな物音を出した。


 ……。


――トン――

 少しの沈黙の後、再度ドアが鳴った。

 部室に響く不可解な物音。部室には俺一人。

 ただ、姿は見えないくせにオテシロの威圧感のようなものがジリジリと感じられた。


 知ってるってば。アレなんだろ?

 あいつの好きな、他愛のない、いつものアレ。

 全力で耐えてるんだから煽るなよ。


 このままやり過ごせば問題無い。

 これは、あいつの同情なんだろうか。それとも別の意味でもあるんだろうか。


 不意に都合のいい仮説が頭のなかに流れる。

 俺はよくても、あいつは?

 もしも無視されたことにあいつが悲しんだりしたら……?


 都合のいい言い訳は、瞬時に俺の決意を破砕した。


「だ、誰かいるのか?」

 わざとらしく警戒した声を出した。

 他愛のない、いつものアレだ。

 

 長めのタメのあと、

「にゃ~」

 とワザとらしい鳴き声がドアの裏から返ってきた。


「……なんだ猫か」

 そう言って教室のドアを勢い良く開ける。


「ぷふぅ あははははは」

 ドアの前に座り込んでいる女の子は背中を向けたまま、お腹を押さえて楽しげに笑っている。


「浦野、おまえほんと、コレ好きな」


 ずっと前から我慢していたのか、ようやく開放された笑い声は次々に溢れだし、明るい色の大きなポニーテールを可愛らしく左右に揺らせていた。


 ようやく笑いが収まりかけた頃に彼女は涙目を押さえながら満面の笑みで顔を上げた。

「うん 大好き」


 この笑顔を 『友達』 として見守り続ける。


 扉を開けてしまったことへの後悔なのか、変わらない日常への安堵なのか。

 この胸の高鳴りをうまく分類することができなかった。


 どちらにしろ、俺のこの後の役割は決まっている。

 オテシロのやつめ……


 ミステリーで急に一人にされるやつには、死亡フラグが立つんだよ……


 残酷な結末が予告されているにも関わらず、俺は浦野の幸せそうな笑顔からひとときも目を離すことが出来ないでいた。


カクヨムさんにて同作投稿済み

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