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速見がそうしているように紀夫、槇島は踏切で山科さんと別れる。山科さんは「またね」と手を振りながら夕陽でセピア色に光る線路の向こう側に消えていった。肩の荷が下りたような気がして、紀夫はフゥッと息を吐く。
山科さんの姿が見えなくなったのを確認して、槇島は吐き捨てるように言う。
「……私、あの子嫌い」
そうか。俺はおまえが嫌いだけどな!
冗談は置いておいて、一応紀夫は理由を尋ねる。
「どうしてだよ? 優しくていい子じゃねーか」
鼻血を垂らした紀夫にティッシュをくれる女の子なんて、山科さんくらいである。苦しむ紀夫を見て楽しんでいた槇島は論外として、普通の女子はきしょいだのなんだのと距離をとるばかりだろう。山科さんほどの聖人はそうそういないのではないか。
「いい子ぶってるだけでしょ。だいたい、カマトトぶってて気持ち悪いのよ。品定めするみたいに男に貢がせて、みんな振ってさ。男漁りも大概にしなさいよ」
いや、性癖フルオープンのおまえこそ気持ち悪いだろ……。
「そりゃいくらなんでも偏見だろ……」
紀夫はあきれ顔を浮かべるが、槇島の毒舌は止まらない。
「何言ってんの。女の勘よ。私は乙女です! みたいな外面作ってる子に限って性欲が強いの。山科さんは毎日夜な夜な一人で性器を擦ってるに違いないわ」
確かに紀夫が女なら夜中に擦りまくっているはずだ。
と、そういう話ではなく、槇島の発言は頂けない。山科さんがそんな汚れた人物でないことは、紀夫にはわかる。
「おまえ自分が毎晩性欲発散してるからって、山科さんまで貶めるのはやめろよ……」
「私は隠してないからいいの! あんた、女の子に夢見すぎなんじゃない? 何の根拠があって山科さんが清純な女の子だって言えるの?」
できれば隠していてほしかった。根拠も何も一方的におまえが山科さんの悪口言いまくってるだけじゃん。
紀夫は閉口するが、代わりにピーちゃんが答えてくれる。
「根拠はおそらく、紀夫さんの魔法でしょう」
「うわっ! いきなり出てこないでよ! びっくりするじゃない!」
突然空中から姿を現したピーちゃんを見て、槇島がのけぞる。槇島の位置からは、ピーちゃんが空中に出現する場面がモロに見えたらしい。ピーちゃんは「はぁ……。失礼しました」と頭を掻く。周囲に人気がなかったため、出てきてくれたらしい。
驚いている槇島は放置して、紀夫はピーちゃんに尋ねる。
「俺の魔法ってどういうことだよ?」
「おそらく紀夫さんは、何かに突然気付いて、閃いたのではありませんか? 金貨が消費されていますよ」
言われてみれば、「山科さんは真面目であるが故に、何でも恩返ししようとする」という結論を組み上げたとき、頭の中で金貨が流れるような音がしたような気がする。
「え? あれって魔法で思いついたのか?」
紀夫は首をかしげるが、ピーちゃんは特に不思議でもない様子でうなずく。
「そうでございます。初歩の魔法で、いわゆる『虫の知らせ』です」
虫の知らせというと、何か嫌な予感を覚えて事故や事件を事前に察知してしまうというものである。無意識に周囲のちょっとした変化に気付き、脳が警鐘を鳴らしているのが真相のだと言われている。
紀夫が発動した魔法はまさにこれだ。紀夫はわずかだが魔法の力で感覚が鋭敏になり、普段ならわからなかった山科さんの微妙な表情の変化に気付いたのだ。そこから紀夫は山科さんの真面目さが仇になったという仮説を組み立てた。
「なるほど、五感を鋭敏にする魔法なのか……」
ピーちゃんの説明に紀夫は納得する。確かにいつもの自分なら、山科さんの表情など気にも留めなかっただろう。
「はい。魔法を発動した証拠に、紀夫さんは体にダメージを受けたでしょう」
「ああ、魔法のダメージで鼻血が出たわけだな」
急に紀夫が鼻血を噴出したのも、ピーちゃんの言葉によれば魔法のせいだった。魔法を使うためには貯めていたチック金貨を消費し、かつ体への負担に耐えなければならない。
人の身に余る力を使えば、必ず代償はあるということだ。今回、大した魔法ではなかったため紀夫は鼻血くらいで済んだが、強力な魔法を使えば使うほど体への負担は大きい。
「じゃあ長谷は、山科さんが疲れた顔してたから真面目だって言ってたわけね」
槇島がまとめる。突き詰めればそういうことだ。紀夫は魔法を使ってようやく山科さんの表情の変化を察したに過ぎない。虫の知らせなどといっても本当に予知しているわけではないからこそ、初歩の魔法なのである。
いくら感覚が敏感になっても、結論を出すのはあくまで紀夫の二次元に犯された上出来とは言い難い脳みそだ。紀夫はコ○ンや金○一のように一つのヒントから洞察を得て真相を究明することなどできない。的外れな推理をしてしまうリスクは常につきまとう。
槇島はない胸を張って偉そうに言った。
「ふうん、じゃあ結局長谷の勘ってことじゃん。私の山科さん淫乱説の方が有力ね」
おまえの女の勘よりはマシだよ!
ピーちゃんも交えて落ち着いて話をするため、二人と一匹は紀夫の部屋に戻った。床に三人分の座布団を出して顔をつき合わせ、議論を始める。
「本題に戻りましょう。あの二人のどっちかが悪魔と契約していると思う?」
槇島は紀夫に訊き、紀夫は答える。
「契約してるとすれば、速見だな……。山科さんはないよ」
山科さんは性格上、どんなに困っても悪魔の助けを借りるということはなさそうだ。紀夫たちが話をしたときも、自分で決めるとはっきり明言していた。
反面、速見はかなり怪しいだろう。いくら最愛の彼女に振られそうだからといっても、あの憔悴の仕方は異常ではないか。何度時間を繰り返しても、最終的に山科さんに振られているのだとしたら、あの絶望感にも辻褄が合う。
「ふうん……。私は山科さんも悪魔が来たら契約しそうだと思ってるけど、今回は違うっていうのは同意ね。山科さんが契約したなら、もう一週間前からループが始まってないとおかしいから」
速見が山科さんにキスしようとしたのはもう一週間前で、今ループしている週ではない。山科さんが契約したなら速見のキスをまず阻止しようとするだろうから、山科さんは犯人ではないだろう。キス事件をきっかけに山科さんの本心を知ってしまい、山科さんを翻意させなければならない速見とは事情が違うのだ。山科さんが別件で何か悩みを抱えているという話も聞いたことがない。
「ピーちゃんは何か感じたか?」
紀夫はピーちゃんにも意見を求める。悪魔の気配を感じたとか、ピーちゃんが何か怪しいと思うことがあれば確定できる。
紀夫の期待に反して、ピーちゃんは困ったように首を傾げるばかりだった。
「いえ、今日会ったお二方とも、悪魔の気配というのはありませんでした。ただ、あのお二方も歪みの中心に近いことは確かです」
ピーちゃんは「お役に立てず申し訳ありません……」とシュンとするが、山科さんと速見が歪みの影響を受けているという事実だけでも充分有益だ。紀夫、槇島に加えこの二人も歪みの影響を受けているとなれば、歪みの中心はやはりうちのクラスで確定だろう。
「まずはこの二人を復縁させることだな」
速見に「悪魔と契約しただろう」などと迫っても、余計に追い詰めるだけで解決にならない。どうにかして二人に復活してもらうことだ。
もしも二人が犯人でなくても、山科さんと速見はクラスの看板カップルの一つである。紀夫と槇島が山科─速見組の関係を修復したとなれば、他にも藁にも縋る思いで頼ってくれる破綻カップルが現れるかもしれない。限られた時間で二人以外にも関係を作れるかもしれないとなれば、やらない手はない。
「でもどうやって? 正直、私は思いつかないんだけど」
槇島の発言に、紀夫は考え込む。
要はこの二人はすれ違っているのだ。速見は山科さんの愛を確信できずに焦って強引な行動に走った。そして山科さんは速見の行動から、今までの速見の行動を全て自分の体目当てだったと解釈して拒絶している。速見が山科さんに愛されていることをわかり、山科さんが速見の行動を愛故だと理解すれば、すれ違いは解決だ。
「一つ問題があるわね。山科さんが、本当に速見くんを好きかは怪しいものだと思うわよ。キスを拒むくらいだし」
槇島の指摘も一理ある。客観的に見て確定できないことを、当人に信じ込ませろというのは非常に厳しい。何せ、客観的な証拠があればそれを提示すれば事足りるが、この場合は証拠がないのだ。山科さんに速見を信じてもらうことは難しい。第一、山科さんがただ速見と別れたかっただけで、適当な大義名分をつけただけだというなら、どうしようもない。そんな可能性は考えたくないが、絶対ないとは言い切れない。
「高校でまた別の男を見つけたいから、速見くんを捨てただけなんじゃないの?」
つまらなさそうに槇島は言った。紀夫は弱々しく反論する。
「いや、山科さんは速見のこと好きだって言ってたし……」
何の気休めにもなっていなかった。口先では何とでも言える。それでも紀夫は山科さんが嘘をつくような人ではないと信じたい。
「とにかく、山科さんの本音を速見くんに聞かせることね。山科さんが速見くんを別に好きではないにしても、山科さんの本音を聞けば目が覚めるかもしれないから」
槇島が言った通りだ。とりあえずはお互い腹を割って本音で話し合ってもらう必要がある。そうすればどんな結果であれ、速見は納得するだろう。
しかし二人の本音を引き出すにはどうすればいいのだろう。結局、そこがわからない限り手の打ちようがない。
「……なぁ、ピーちゃん。山科さんと速見を素直にさせる魔法とか使えないかな?」
ネコの手も借りたい気持ちで紀夫は訊いてみるが、ピーちゃんの反応はかんばしくない。
「そうですねぇ……。できなくはないですが、金貨をほとんど使い果たしますね。紀夫さんの負担も半端ないでしょうし……。率直に言えば、死んでもいいならできます」
もちろん死んでもいいわけがない。魔法で二人の心を操るのは却下だ。
「人の心に介入するのは、それくらい難しいのです」
ピーちゃんが付け加える。精神系の魔法が簡単に使えるなら、紀夫がクラス全員を魔法で自白させれば終わりである。ショートカットはできないようだった。
「なら……二人にどこか遠いところにでも遊びに行ってもらって、気分を変えてもらうしかないな! 旅は女性を開放的にするっていうし!」
紀夫はこの案しかない! と拳を握るが、槇島の反応は冷たい。
「普通に誘ったら山科さんに断られて終わりでしょうね。だいたい、旅行っていってもどこに行くの?」
「そ、それは……!」
紀夫はうなる。山科さんは何とか騙して連れて行くにしても、どこに行けばいいのだ? 所詮は中学生でしかない紀夫たちでは、資金的にも厳しい。何とか近場でそれっぽい場所を探すしかない。
「わ、我が町にはイ○ンがあるじゃないか!」
「イ○ンで何の気分転換になるのよ……」
紀夫は考えるが、近年近くにできた大型ショッピングモールを挙げるだけで精一杯だった。まるで話にならない。こうなったら魔法で……と紀夫はピーちゃんの方を見るが、ピーちゃんは紀夫が何か言う前に首を振った。役に立たねぇな、俺の魔法……。
「仕方ないわね……。場所は今から捜しましょう。山科さんを誘うのは何とかするから、あんたは速見くんを誘っておきなさい。勝負は明日よ」
槇島の言葉に紀夫はうなずく。
「……わかった」
ここまで言うからには、槇島は本当に山科さんを連れて来られるに違いない。速見は言えば来ると思われるので、難易度は低い。ならば紀夫がやるべきことは場所の選定だ。紀夫はメールで速見と連絡をつけつつ、槇島とともにあそこでもない、ここでもないとネット検索しながら場所の選定を急いだ。