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 速見と別れていったん紀夫の家に帰宅してから、紀夫は槇島に尋ねた。


「二人の仲を取り持つくらい、誰かがやってないかなあ?」


「速見くんも山科さんも大人しい系グループの人だからねぇ……。普段だったら他のグループの人が世話を焼いてくれるんだろうけど、今はないんじゃない?」


 速見と山科さんだけならなんとかなっても、他のカップルも破局寸前となればリア充グループの互助機能もキャパオーバーらしい。紀夫は速見と仲のいい男子を数人思い浮かべるが、あの童貞たちが役に立つわけがない。何か速見に助言くらいはするかもしれないが、速見からしか話を聞けないのにズバリ解決しようというのは無理がある。


 紀夫も似たようなものだが、今の紀夫には槇島がついていた。槇島は頭がおかしいなりに行動力はあるので、そこそこ交友関係は広い。紀夫が知らない山科さんの電話番号もしっかり知っている。双方から聞き取り調査ができれば、歩み寄るポイントもまた見つかるだろう。


 槇島は山科さんに連絡して、面会の約束を取り付ける。山科さんは多少嫌がったようだが、最終的には了承してくれた。とにかく、地道な前進を続けるしかあるまい。




 山科さんと約束した場所は、町のケーキ屋さんだった。喫茶店を併設して、店内で買ったケーキをその場で食べられるようになっている。


 紀夫と槇島がケーキ屋に着いたときには山科さんはすでに来ていて、店の前で紀夫たちを待っていてくれた。真面目な山科さんらしい。


 四人掛けの机で山科さんと槇島が向かい合って座り、紀夫は槇島の隣──山科さんの斜向かいに掛けた。向かいに座ると視線がかち合って印象が悪くなるというからな。この位置取りがベストだ。


 紀夫は出された紅茶に口をつけ、「これ、おいしいよ。さすが山科さんのお勧めだね」とウインクしてみせる。山科さんは苦笑いしつつ「そう? ありがとう」と言ってくれた。こういうところでポイントを稼ぐことが肝心なのだ。


 童貞丸出しのテクニックで山科さんにアピールする紀夫を見て槇島はため息をつきつつ、話を切り出した。


「山科さん、速見くんとケンカしてるって聞いてるけど、詳しく教えてくれる? 私たち、山科さんの力になりたいの」


 ああ、ちょっと沈んでる山科さんもかわいいなあ。白い頬に赤みが差していて、拗ねた子どものようにも見える。綺麗な長い黒髪からは、気持ちいいシャンプーの香りがする。速見のように四回告白すればOKをもらえるなら、紀夫もしたいくらいだ。


 山科さんは少し時間を掛けて言葉を選び、言った。


「悪いけど私、自分で決めたいから。槇島さんも長谷君も気持ちは嬉しい。ありがとう。けど……お話しできることは何もない、かな」


「決めるって……速見くんと別れるかどうかを?」


「うん」


 槇島が確認を取ると、山科さんはこくんとうなずく。速見から聞いた話だと大したことはなさそうだったのに、山科さんの方ではもの凄く事態が急進行しているようだった。どういうことだ。


「一応訊くけど、原因はやっぱり速見が山科さんにキスしようとしたことなのか?」


 紀夫の質問に、山科さんはためらいがちに肯定する。


「そうだね……。速見君があんなことをする人だなんて、思ってなかった」


 「あんなこと」というのは速見がキスをしようとした件だろう。山科さん的にはあり得ない行動らしかった。ざまあみろ、速見。


「それは言い過ぎじゃない……? 確かに男の子はみんな狼だけど……」


 槇島がおずおずと言うが、山科さんは激しく首を振る。


「だって、突然強引に迫ってくるんだよ? とても怖かった……。今まで『好きだよ』って言ってくれたのも、優しくしてくれたのも、全部私の体目当てだったのかと思うと、悲しくて……。そんな人を好きになってたなんて、私ってほんとに人を見る目がないね……」


 自嘲するように山科さんは言い、紀夫は慌てて速見を弁護する。


「いや、速見だって別にそれだけじゃないと思うぜ? 確かに男なら、そういうところに興味が行っちゃうけどさ」


 男である紀夫の感覚では、キスくらいで「速見が山科さんの体目当て」は言い過ぎではないかと思う。これが男女間の意識の差なのだろうか。


「だめ。そういう気持ちで私の隣にいたんだと思うと、気持ち悪い」


 山科さんはとりつく島もなくうつむき、拒絶の意を示す。ここまではっきりと拒まれると紀夫も速見をフォローするわけにもいかず、引きつった笑いを浮かべ「まあ、速見も必死すぎだよな」と逃げを打つ。山科さんから見れば速見がいよいよ本性を剥き出しにしてきたように思えるのも仕方ないし、速見も自分で焦っていたと言っていた。


 山科さんはさらに付け加える。


「私、本当にショックだったんだよ……? 速見君が私のためにいろいろしてくれるから、私は速見君のために何ができるかなって、ずっと考えてたのに……。私の体を欲しがるなんて、許せない!」


 普通の手順なら速見の言い分を山科さんに伝えるところなのだが、交渉の余地が見当たらない。速見にとどめを刺す結果になりかねないので、紀夫も槇島も速見と話をしたことを黙っておくしかなかった。


 こうなると話は何も進展しない。紀夫と槇島は遠慮がちに速見の味方をし、山科さんはばっさりと速見を否定する。紀夫と槇島が対話を諦めるのに、長い時間は掛からなかった。


 精算の際に、紀夫は山科さんに申し出る。


「お金はいいよ。今日は俺たちが呼んだんだから。ここは俺に任せてくれ」


 紀夫は山科さんに笑いかける。傍から見れば不気味ににやけただけなのだが、紀夫はかっこよく決めたつもりであった。


「え、本当? ラッキー! 長谷って、いいところもあったのね。今までただの馬鹿だと思ってたわ」


 槇島、おまえには言ってないぞ!


 小躍りしそうなくらいに喜んでいる槇島とは違い、山科さんは冷静で、紀夫の提案をあっさりと断る。


「ごめんなさい……。長谷君の気持ちは嬉しいけど、お金のことは、きちんとしなきゃいけないと思うから」


 結局槇島の分だけ払わされた。畜生。




 一応途中までは帰る方向が山科さんと一緒なので、紀夫と槇島は山科さんに同行する。紀夫と槇島は速見の話題を封印して、山科さんと当たり障りのない会話を楽しみつつ並んで歩いた。特別親しくはなかったといっても、三年間を同じ学舎で過ごしたのだ。いくらでも思い出話に花が咲いた。


 ふと紀夫は思い出したように山科さんに尋ねる。


「そういや今年もバレンタインにみんなにチョコ配ってたの?」


 例年山科さんは事前にプレゼントを贈っておけば、バレンタインに手作りチョコで返してくれる。紀夫も去年はクマの縫いぐるみをプレゼントしてチョコをもらったが、今年は速見がいるので自粛した。他の男子がどうしたかは知らないが、もしかしていい思いをした男がいるのではないか。


 紀夫のデリカシーのない質問に苦笑しつつ、山科さんは教えてくれた。


「……うん、今年も何かくれた人にはチョコあげたよ。一番大きいのは、速見君にプレゼントしたけどね」


 なるほど。であれば、紀夫も理論上はチョコをもらえるはずだ。例え義理であっても、0と1の間にはマリアナ海溝より深い溝がある。さっそく紀夫は訊いてみた。


「今からでも何か贈れば、チョコくれるか?」


「長谷、あんたねぇ……!」


 山科さんより早く槇島が反応し、紀夫に氷よりも冷たい視線を向けてくる。慌てて紀夫は言い訳した。


「……って高宮が言ってたよ!」


 この場にいない人間のせいにするという高度な戦術である。槇島は紀夫の小学生並の言い訳に眉を潜め、山科さんは思わず吹き出しそうになって口元を抑える。


「長谷君っておもしろいね」


 山科さんが言い、槇島は吐き捨てる。


「ただ馬鹿なだけよ」


 槇島の発言を流してしまうべく、紀夫は山科さんに畳みかける。槇島に何と思われようと関係ない。今は数少ない山科さんと交渉できるチャンスを逃さないことだ。


「で、どうかな? チョコもらえる?」


 紀夫は確認を取り、山科さんは困ったように笑う。


「そうだね……。もらった分は、返さなきゃね」


「本当?」


 紀夫は訊き返しながら山科さんの横顔を見て、ハッと息を飲む。山科さんの顔が、何だか疲れて見えたのだ。


「うん……。大したものは作れないけど、喜んでくれるなら」


 そう言う山科さんの表情はいつもの子リスのような無邪気でかわいいものではなくて、炭坑に入る前のカナリアのように煤けて見えた。今から綱渡りに挑戦します。負債はこれだけ残っています。普段はあまり人の気持ちを考えらことがない紀夫だが、気付いてしまった。


 頭の中で、金貨がじゃらじゃらとこぼれる音がする。ほんの少しの洞察から、一気にパズルが組み上がっていく。




 ああ、そうか。この人は本当にさっき言ったとおり、もらった分を返しているだけなんだな。




 真面目な山科さんらしいと思った。普通は何かをしてもらっても、ただ受け取るだけで絶対に恩を返そうなんて思わない。紀夫だってそうだ。そのうち何かで埋め合わせをしようと思いつつ、忘れてしまう。でも、山科さんは違う。


 山科さんは、絶対にもらった分を返そうとする。プレゼントをもらえばチョコを返すし、お茶をすれば割り勘だ。いついかなる時も心から「ありがとう」の一言を忘れない。小学生が先生に言われた通りに良い子であろうとするように、山科さんは本気で周囲の全てに感謝して、真面目に恩返しする。


 このこと自体は悪いことではない。ただ、速見が不安になる気持ちもわかった。


 速見はこう思ったのだ。「山科さんは自分のことを好きなのではなくて、一番努力した自分に一等賞を与えただけに過ぎないのではないか」と。だから付き合って一年という時間の免罪符を得た速見は行動に出たけれど、それは山科さんからすればとんでもないことだった。何せもらった分以上を突然要求されたのだから。


 当然、山科さんは速見を拒み、速見は山科さんに全く受け入れられていなかったことに気付いて傷つく。今回の事案は起こるべくして起こった悲劇といえるだろう。


 そこまで考えたところで、紀夫は何やら口の辺りが生暖かいことに気付く。紀夫の異変に気付いた山科さんがびっくりして声を上げる。


「長谷君、鼻血出てるよ!?」


「あ? え? 本当だ」


 紀夫が鼻の辺りを拭うと、手にべったりと血がついた。槇島はニヤニヤしながら紀夫に声を掛ける。


「ま~たあんた、エロいこと考えてたんでしょう?」


「馬鹿、んなわけあるか! それよりティッシュを……」


 エロいことを考えていると鼻血が出るというのは俗説だ。紀夫の言葉に応じて、山科さんは慌てて秘密道具を取り出そうとするネコ型ロボットのようにわたわたとかわいらしい仕草で、小さな手提げ鞄からポケットティッシュを取り出す。


「はい!」


「サ、サンキュー!」


 紀夫は山科さんに渡されたティッシュで血を拭き取る。隣で「ティッシュが穴に突っ込まれて……」などとハァハァしているだけの腐女子と違って、山科さんは本当に優しい。その優しさで勝手な誤解をした男子が、紀夫も含めて山のようにいた。

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