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「そのとおりです。このままでは世界が終わってしまうのです」
「え……?」
紀夫は気が抜けた声を漏らしながら、後ろを振り返る。そこにいたのは、不細工で珍妙な生物だった。
「私は時を司る精霊デル=ピエトロ四十三世。気楽にピーちゃんとお呼びください」
太ったニワトリが直立二足歩行して大きな目で紀夫を見上げている。ぶよぶよの赤いとさかが横向きに垂れ下がっていて気持ち悪い。紀夫は腰を抜かして尻餅をつき、後退る。
「ば、化け物!」
「誰が化け物ですか! 私は時の神クロノス様に仕える由緒正しき精霊ですよ!」
ニワトリの化け物は憤慨した様子で声を荒げる。思わず紀夫はつっこんだ。
「なんで精霊がデブのニワトリなんだよ!」
「古来よりニワトリは、人間に時間を伝える役目を果たしてきたでしょう! クロノス様は農耕の神でもあるのでニワトリの精霊として私を作ったのです。そもそも失礼でしょう! 私の愛されぽっちゃりボディを捕まえてデブだなんて!」
そのたるんだ体によくそこまで自信が持てるものだ。鶏肉用のニワトリだってこんなに太ってはいない。
「そうか、時間がループしてるのはこのデブのせいだったんだな!」
「人を見掛けで判断しないでください! デブではなくピーちゃんと呼んでくださいと言ったでしょう!?」
ピーちゃんはパタパタと翼をはばたかせて抗議する。短い翼の先には不器用そうな五本指の手がついていた。勢いよく白い羽根が飛び散り、反射的に紀夫は目を瞑る。
「ヒィッ!?」
「あなたの言っていることとは逆です。私はクロノス様の命で同じ一週間が続くというループ現象を止めに来たのです」
早口でまくしたてるピーちゃんの言葉を聞いて、紀夫は目を開ける。どんな不細工であろうと、このループを止めてくれるなら救世主である。
「本当に、ループを止めてくれるのか……?」
「本当ですとも! 時の番人たる我々の働きがなければ、何度宇宙は滅亡したかわかりませんよ!」
小さな手で自慢げにピーちゃんは自分の胸を叩いた。紀夫は服についた泥を手で払いながら立ち上がる。
「じゃあもうループはしないのか……? 来週はちゃんと来るんだな?」
紀夫が確認を取ると、自信満々だったデブニワトリは途端に歯切れが悪くなる。
「はぁ……。原因を見つけて、解決することができればこの繰り返しは止まります。ただ、一週間でできるかというと難しいかも……」
「テメー! 一週間で解決できなきゃ、また最初からやり直しじゃねーか!」
紀夫に詰め寄られて、ピーちゃんは飛び上がる。
「そ、そのようなことはありません! 世界の歪みが大きくなりすぎたので、私は記憶を持ち越せますから! あなたは微妙ですけど……」
「……じゃあ今まではおまえもループするたびに忘れてたのか?」
紀夫はジーッとピーちゃんの目を見る。ピーちゃんは引きつったような笑みを浮かべ、言い訳する。
「えーっと。これでも初日に時空の歪みの中心まで辿り着いたのは、早い方なんですよ?」
「全然役に立ってないじゃないか、このクソ野郎!」
「いやこちらにも準備というか、都合というか……。こちらとしても想定外の事態だったのです。ただちに影響はないので、ご安心ください」
無能な政治家のような言い訳を始めるピーちゃんの前で、紀夫は地団駄を踏む。
「すでに影響してるんだよ! 一ヶ月以上も新アニメを待たされるなんて、神が許しても俺が許さねぇよ!」
「な、なるほど。あなたの明日を求める強い心が、記憶を呼び覚ましたのですね。しかも歪みの中心に近い……。歪みに直接当てられたかのような痕跡がある……。あなたは当たりかもしれません」
ピーちゃんは冷や汗を浮かべ、パチクリと瞬きをした。褒めているのか引いているのかわからない。
ピーちゃんはコホンと咳払いをして、申し出る。
「あなたも脱出を目指すというのなら話は早いです。私に協力してくれませんか?」
「協力っつったって何すりゃいいんだよ?」
紀夫は尋ね、ピーちゃんは答える。
「簡単な話です。私と一緒に時空を歪めている犯人を見つけるのです。犯人は悪魔の力を借りた人間です。それもおそらく、あなたの近くにいる人で間違いありません。この傷つき方からすると、ちょっとすれ違っただけというのではないですから」
ピーちゃんによると、時間の神クロノスが存在するのと同様に、時間の悪魔も存在するのだという。悪魔は普段神や精霊の力で押さえ込まれているが、稀に人間の存在を隠れ蓑にして事を起こす。悪魔は人間と契約して魂に紛れ込めば、悪魔は神や精霊でも感知できなくなるのだ。その場合は悪魔の力を隠している人間を見つけ出し、悪魔を炙り出して退治しなければならない。
そして紀夫の魂を調べたところ、歪みの影響を極めて近いところで直接受けていた。犯人は紀夫のごく身近な人間だ。
「俺の身近な人間って言われてもなあ。俺は春休みほとんど家に引き籠もってたし……」
まさか紀夫の家族ではあるまい。紀夫の父はごく普通のサラリーマン。母も非常勤で働いており、このところはほぼ毎日出勤している。毎日仕事がだるいとこぼしているのに、春休みを繰り返しても苦しみが長引くだけでしかない。社会人に春休みはないのだ。紀夫は一人っ子なので兄弟もいない。
可能性があるとすれば、クラスの連中だけだ。春休みに家族以外と顔を合わせたのは、クラス会に出席したときしかない。そこで紀夫は閃いた。
「そうか、そういうことだったのか……!」
「誰か心当たりがいるのですか!?」
ピーちゃんが食いついてくる。紀夫は犯人を名指しする名探偵のように得意げに言った。
「犯人はクラスのリア充どもに違いない!」
しかし紀夫の名推理に大声で割り込むたわけが現れる。
「なんでそうなるのよ!」
紀夫は声の主の方に振り向く。槇島が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「おまえ、なんでいるんだよ!」
紀夫は絶叫し、槇島はやれやれと首を振る。
「深夜にあんな大声出して走ってたら、様子くらい見に来るわよ……。そこのニワトリが話しかけてきたところから、ずっと話を聞いてたわ」
槇島はそう言ってピーちゃんを指し、ピーちゃんもぼそりと教えてくれた。
「私もあなたが走りながら叫んでいたので、お声を掛けさせてもらったわけです」
二人とも偶然紀夫のところにやってきたわけではなく、紀夫の奇行を察知して現れたらしい。今さら恥ずかしくなり、紀夫は顔を赤くしてうつむく。
「……まぁいい。槇島、リア充じゃないなら誰が犯人だって言うんだよ?」
とにかく今は、犯人捜しが最優先だ。参考になるとは思えないが、少しは槇島の話を聞いてやってもいいだろう。
紀夫の問い掛けに槇島は、もう決まっているだろうと言わんばかりの口調で答えた。
「あんたか、高宮。こういうろくでもない事件を起こすのは、オタクって決まってるのよ」
「もの凄い偏見だな!?」
そんな風潮は、テレビのワイドショーだけで充分である。ラ○ライバーが人の首を切ったから何だというのだ。そういうキ○ガイは他のことにハマっていても人の首を切るのである。だいたい槇島、自分はどうなんだ自分は!
「私は来月に出る山下ジュン先生の新作を楽しみにしてるもの。や~ん、これでまた捗るわあ」
槇島は頬に手を当ててかわいらしい(と本人は思っているであろう)ポーズをとる。こいつがやっても気色悪いだけだ。
「俺だって四月からの新作アニメを楽しみにしてるよ!」
負けじと紀夫も言い返すが、槇島は紀夫に興味がないといった様子で適当な発言をする。
「じゃあ高宮が犯人なんじゃない?」
紀夫は天を仰ぐ。夜空は綺麗だったが、槇島の心は汚かった。下の名前は心美のくせに。両親に謝れよゴミ野郎!
紀夫はため息をつきながら言った。
「俺はむしろ、こんなループなんてぶっ壊したいと思ってる。高宮も違うだろ。あいつにこんな大それたことをやる度胸はないよ」
心も体も豆腐並みな高宮は、悪魔なんてのが目の前に現れた時点で心臓発作でも起こして昇天するだろう。一応紀夫も同じオタクとして高宮のことは信じてやりたい。
「それで犯人がリア充ねぇ……」
槇島は納得していないようなので、紀夫は補足説明をする。
「ただのリア充っていう意味じゃない。うちのクラスにはたくさんいるだろ? 別れたカップルが」
「ああ、なるほど……。つまり長谷は、山科さんや輝沢さんが犯人だって疑ってるのね?」
「どちらかっていうと速見や森橋だな」
純情可憐な山科さんや輝沢さんが、こんな事件を起こすわけないだろ、何言ってんだこいつ。
紀夫はさらに付け加える。
「他のリア充も怪しいとは思ってる。この時間が永遠に続けばいいのに~なんて言って、ループを起こしたのかもしれない」
紀夫の話を聞き、ピーちゃんは申し出る。
「なら確かめてみましょうか? 心に邪気が少ない人間であれば、私の魔法で監視することができます」
「だったらやってみようぜ」
紀夫の言葉を受け、槇島が唇に指を当て考え始める。
「監視するっていっても今は深夜だからねぇ……。ほとんどの子は寝てると思うわ。でも、そういえば越智くんと山口さんはこれからまだ遊びに行くって言ってたわね……」
「よし、だったらまずはその二人から確認だ!」
善は急げと紀夫は急かし、ピーちゃんも応えてくれる。
「了解しました。それではその二人の姿を強く思い浮かべてください」
ピーちゃんの言葉に従い、紀夫はクラスでもバカップルで有名な越智と山口さんを思い浮かべる。ピーちゃんはふるふると震えだし、やがて一個の卵を産んだ。卵はパカリと割れ、中からもうもうと煙のような気体が湧き上がってくる。
「さぁ、お二人の姿が映るはずです」
ピーちゃんが言ったとおり、煙の中に越智と山口さんの姿が現れる。どうやらまだ二人でいるようだ。