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アクシデントはあったが紀夫は予定通り古本屋、ゲーセンとはしごして楽しみ、定刻通りにクラス会の会場となっているお好み焼き屋に到着した。アルコールはないが、すでにそこそこの量の料理が並べられている。紀夫は隅っこの席を確保し、近くに座っていた男子と当たり障りのない会話をして全員が揃うのを待つ。
「ごめん、お待たせ……」
最後にやってきたのは高宮だった。二組の遅刻王らしい登場である。高宮はなすびのように青白い顔に弱々しい笑みを貼り付け、皆に謝りながら紀夫の対面に座る。相変わらず幽霊のような男だ。
「遅いぞ、馬鹿野郎」
紀夫が小声で言うと高宮は軽く俯きながら頭を掻く。
「ごめんごめん、用が長引いちゃってさ」
「どうせまた、古いアニメ見てて遅れたんだろ」
紀夫がジト目で言うと、高宮はぺろりと舌を出す。男がやっても全くかわいくなかった。
「アハハ、ばれた? どうしても続きが気になっちゃって……」
「この野郎」
紀夫はテーブルの下で高宮の足を軽く蹴り、周囲が笑いに包まれた。高宮は昔のアニメのマニアで、「途中まで見ていて続きが気になった」などと言って約束をすっぽかしたり遅刻したりするのが日常茶飯事である。ジャンルは違うが同じアニメ愛好家として、紀夫とは仲が良い。というか、高宮が紀夫以外と喋っているのを紀夫は見たことがない。
「う~ん、相変わらず芸術的に息の合った誘い受けね……。長谷×高宮も今日で見納めかと思うと名残惜しいわ……」
少し離れた席で槇島が言ったが、紀夫は聞こえないふりをした。相変わらずテメェもぶれねぇな。
「じゃあ全員揃ったところで、そろそろ始めますか」
クラス委員が音頭をとって乾杯し、各々歓談に移る。紀夫は目の前のお好み焼きを突きながら、高宮と会話する。
「おまえ、県外の高校に進学するんだって?」
「うん、奈良の進学校。寮に入る予定だよ」
紀夫の質問に高宮は小さくうなずく。ネットで監獄みたいな学校だと評判のところである。ざまあみろ。
「元男子校で、女子がほとんどいないんだって? 凄いところもあるもんだな。全然楽しくなさそうだぜ!」
「その分、進学率はいいから……」
高宮は苦笑し、紀夫はさらに追い討ちを掛ける。
「今のうちに女子と遊んでおかないと、高校入ってから彼女作るのは無理だぞ! 今日が最後のチャンスだな!」
「まあ、女子はいるんだから高宮もひょっとしたらひょっとするでしょ? あたしで練習しとく?」
槇島がしゃしゃり出ると、高宮は顔を真っ赤にする。
「れ、練習!? ま、槇島さんがいいなら、ぼ、ぼ、ぼ、僕は……!」
高宮は噛み噛みで狼狽える。紀夫は冷静に冷や水を差した。
「やめとけ。こいつと一緒だとどこに連れて行かれるかわからん」
「たまには三次元を追求したい」などとハッテン場に放り込まれてもおかしくない。槇島の奇天烈な言動をまともに受け取ったら悲惨な目に遭うこと間違いなしだ。ソースは俺。
「おまえには道を踏み外さずにいてほしいんだ」
「そ、そうだよね……。僕じゃだめだよね……。ハハハ……」
紀夫は高宮の肩をポンと叩いて厳かに告げ、何をどう解釈したのか高宮は乾いた笑いを漏らす。オタクで女子に全く人気のない高宮では、容姿だけはまともな槇島には釣り合わないと思ったのだろうか。大丈夫、人間中身である。槇島も高宮も中身までウンコだけど。
そこで一旦話が途切れた後、思い出したように高宮は尋ねる。
「長谷君は高校どこだっけ」
「俺は一高だよ」
紀夫は地元の公立校への進学を決めていた。高宮は勝った、とばかりに少しだけニヤリとする。
「ふ~ん、そうなんだ」
このバカには成績の良さを鼻に掛けて他人を見下す悪い癖があった。そりゃあ学校のランクだとおまえの所のが圧倒的に上だよ。おまえの所に自由は一切ないけどな!
まぁいい。紀夫はさらに尋ねる。
「本当に行くのか? 一応県内でも一番のとこ受かってるんだろ?」
「親があっちじゃなきゃ絶対だめって言うから……」
高宮の目は寂しそうだった。高宮の親は子どもの成績にうるさいタイプなのだ。こんなゴミクズでも、紀夫の周囲では数少ない二次元を真剣に語れる人間だ。紀夫は少ししんみりする。
「そっか……。寂しくなるな……」
「高校に入ったら、もうアニメも見られないね……」
紀夫の言葉を受けて高宮はうなだれる。この男は基本的にネガティブ思考なのだった。これではいけないと思い、紀夫は努めて明るく言う。
「じゃあ今の内にアニメをたくさん見ておかないとな!」
「そうだね……。今は『ボトムズ』を見てるよ」
確か三十年くらい前のロボットアニメだっただろうか。紀夫は知らない。
「ま~た、そんな古いの見てるのか。それより今夜は『魔法少女マジデ!? マジカ!?』の最終回だぜ!」
「ああ、今流行ってるやつ? 一応見てるけど……」
今一つ反応が悪い高宮に、紀夫は熱弁を振るう。
「なんだ、ノリが悪いな。十一話で魔法少女が全滅してから、どんなラストになるか凄く気になるだろ? 大嘘川の脚本だからきっともの凄いどんでん返しが来るぜ! 俺たちは今夜、歴史の生き証人になるんだ!」
一巻のBDは売り上げ五万枚を記録していて、すでに今期の覇権は確定である。2010年代を代表するアニメとして、後世まで名を残すに違いない。紀夫もBDを初期から集め続けている。クリエイターに感謝の意を示すには、こうしてお布施をするのが一番だ。誠意とは、言葉ではなく金額である。買わないニワカに発言権はない。
「な、長谷君は大袈裟だね……」
苦笑いする高宮に、紀夫は大真面目な顔で語る。
「何言ってんだ。マジカちゃんはもう社会現象だよ。マジカちゃんなしに今後のアニメ史は語れないぜ」
「う、うん……。まあ、今夜の最終回は見るよ」
高宮はハエの止まりそうなくらいにぼんやりとした顔でうなずき、紀夫は「絶対に見た方がいい」と言ってやる。そこに隣の席に移動してきた槇島が参戦する。
「今日こそ新庄くんとお父さんの二回目の絡みがあると信じてるわ……」
二人ともワンカット出るか出ないかだろうよ! 二人とも脇キャラ中の脇キャラだから、絶対絡まねーよ!
紀夫のツッコミに、槇島ははらはらと涙を流して見せる。
「そうやって長谷はまた乙女の夢を壊すのね……。酷いわ……」
「テメーのどこが乙女だよ……。二組の残念無双め……」
本当に乙女なら男子が放っておかない。一瞬槇島がかわいく見えてしまった自分が情けない。それだけの容姿を備えながら、男っ気が全くないのはおまえくらいだぞ……。
「ぐすっ、また長谷に傷つけられたわ……。やっぱり今夜は新庄くん×お父さんに慰めてもらうしかないわね……」
なんで作中でほぼ二人しかいない台詞のある男キャラで無理矢理妄想しようとするんだ……。俺のマジカちゃんを汚すな。腐女子は腐向けを見ろよ。
槇島はチッチッチと指を振る。
「私たちには男体化っていう最終奥義があってね……」
「頼むから真面目に生きてくれ……」
紀夫は嘆息した。
話が落ち着いたところで紀夫は周囲を見回し、意外に感じる。
「しかし……思ったよりみんな静かだな」
先生も来ない最後のクラス会ということで、てっきり紀夫は大騒ぎをするものだと思い込んでいたが、そうでもないようだ。数人ずつのグループに分かれて、ひそひそと話をするばかりである。
槇島が紀夫の疑問に答えた。
「ほら……春は別れの季節だから。私も長谷×高宮が見られなくなるのは悲しいわ」
どうしてこの女はいちいち余計な一言を付け加えるのだろう。それはともかくとして、春に別れが多いというのは幼稚園児でも知っている事実だ。高宮だって他県に行ってしまうわけだし。
「まず速見くんと山科さんね。破局寸前らしいわよ」
紀夫はニッコリと笑った。
「そいつは朗報だね」
山科さんは小動物系の美少女で、学校でも一位、二位を争う愛らしさの持ち主だ。身長がぴったり150センチの小柄な女の子で、そのプリティーフェイスはさながらリスのようでかわいい。見た目通り誰にでも優しい性格で、山科さんの優しさに救われた男子は十人や二十人では足りないくらいだ。
趣味はお菓子作りで、たまに近所のスーパーで材料を吟味している姿を見ることができる。あらかじめプレゼントを贈って頼んでおけばバレンタインデーに手作りチョコを送ってくれる。紀夫ももらったことがあるが、かなり甘めの味付けで、おいしかった。
そんな山科さんは男には奥手だったようで、入学当初から殺到した男子からのオファーを断り続けた。男子を振るときでも優しさは健在で、山科さんは本当に申し訳なさそうに、丁寧に言葉を尽くしてお付き合いできない旨を伝えてくれる。その天使のような姿に、多くの男子が涙したという。
その山科さんと速見が別れたと聞いて満面の笑みを浮かべる紀夫に、槇島は侮蔑の視線を向ける。
「そういえば長谷も山科さんに振られたクチだったわね……」
つくづく余計なことばかり覚えている女だ。しかし事実なので反論はできない。
さて、誰に告白されても拒み続けてきた山科さんも、中二の冬についに男子とのお付き合いを始める。お相手は同じクラスの速見だった。
速見は容姿端麗、学業優秀な大人しい系男子グループの中心格だ。痩せ形で運動神経こそ壊滅的なものの、ジャニーズ系の美形男子である。勉学の方では常に学年トップ10に入り、理科は先生に教えられるほどだ。槇島のセクハラの被害者筆頭でもある。
速見はそのイケメン度から入学当初こそ肉食系女子の皆さんに目をつけられたものの、基本的に物静かな性格で口下手なことがわかると、潮が引くように周囲から女子が消えていった。紀夫も女子と何を話せばいいかなどわからないので速見の気持ちもわかるが、かなりもったいないことをした男である。やっぱりイケメンは死ね。
しかし速見も人並み程度には女の子には積極的だったようで、去年の冬に山科さんに告り、見事に玉砕した。
そのときはなぜか男子の間で山科さんに告白するのがブームのようになっていて、速見も焦って特攻をかけたらしい。教室で暗い顔をしている速見に、紀夫も「女なんて星の数ほどいるさ。星には手が届かないけどな!」などと声を掛けて慰めたものだ。
落ち込んでいた速見も紀夫の励ましの成果があってかすぐに復活し、何度断られても懲りずに山科さんに告白しに行った。そして四回目の告白で、「ここまでしてくれたのは速見君だけだから」と山科さんに言わしめ、晴れてクラス公認カップルとなったわけである。一歩間違えればストーカーだったが、終わりよければ全てよしだ。
「でもなんで別れるなんてことになったんだ?」
紀夫は槇島に訊いてみるが、槇島も知らないらしい。
「さあ? なんかケンカしたらしいんだけど、詳しくは知らない」
何にせよ、山科さんがフリーになるのはいいことである。家に帰って人知れず壁を殴ってきた紀夫も救われるというものだ。
槇島は話を続ける。
「速見くんと山科さんだけならみんなでフォローするんだけど、森橋くんと輝沢さんも別れ話の最中らしいのよね……」
紀夫は思わず身を乗り出す。
「何!? 輝沢さんが!?」
輝沢さんは女子バスケ部のキャプテンを務めるボーイッシュな女の子だ。男勝りな性格で男子にも女子にも慕われ、その明るさでクラスの盛り上げ役になっていた。中一の最初から森橋と付き合っていたため、何人もが告白するということはなかったが、男子にも女子にも人気はあった。バレンタインの日などは後輩の女子からいくつものチョコレートを送られていたくらいである。
紀夫の反応を見て、槇島はますます嫌な顔をする。
「今思い出したけど長谷って、中一のときに輝沢さんに告って思いっきり振られてたわね……」
森橋と付き合い始めてたのを知らなかったんだよ! 悪いかよ!
「でも三年も付き合ってて、どうして別れ話が出るんだい?」
高宮がぼそりと尋ねる。紀夫は言った。
「ま、男女の間には何があるかわかんないからな」
「なんで長谷が偉そうに言うのよ……」
槇島はあきれた様子だったが、紀夫は無視して予想を披露した。
「大方、森橋が県外の高校に行くからもめてるんだろ。あいつもよくやるよな。野球留学ってやつか?」
輝沢さんの彼氏である森橋はスポーツ刈りがよく似合う、さわやかな部活系男子だ。森橋は野球部の四番で、北関東の野球強豪校への進学が決まっていた。高宮の野球版である。
「そうらしいわね。なんで長谷が知ってるのよ……。まだ輝沢さんが好きなの?」
槇島に訊かれ、紀夫は不機嫌になったのを隠そうともせずに否定する。
「馬鹿、ちげーよ。たまたま聞いただけだよ……」
「ふ~ん、結局輝沢さんにお熱なんだ……」
槇島はニヤニヤしながら紀夫の顔を覗き込むが、紀夫は「へっ!」と顔を背けた。
「他にも秋本くんと松川さんとか……金本くんと新井さんとか……お別れしそうな人たちが何人もいるわ」
しかし、クラスのカップルが何組も破局寸前となれば、このお通夜ムードも納得だ。いつもは盛り上げ役のはずの山科さんも、速見も、輝沢さんも、森橋も、班で押したように一様に暗い表情をして、クラスのテンションにブレーキを掛けていた。
「うん、まあ、みんな高校に進学したら新しい相手見つけて元気になるよ」
紀夫は極めておざなりに希望的観測を述べる。まあ実際、あの四人なら進学して環境が変われば、すぐに前の相手のことなど忘れて新恋人ができるだろう。現実とはそういうものである。主人公をいつまでも待ってくれる幼馴染みは二次元にしか存在しない。クラスのリア充どもは、紀夫あたりとは素質も経験値も段違いなのだ。リア充は死ねばいいのに。
「それより俺たちはマジカちゃんだ。早く帰って、録画の準備をしないとな!」
紀夫は明るく言った。高宮は弱々しく「そうだね……」と同意し、槇島も「確かに私たちが考えても仕方ないからねぇ」といつもの馬鹿話に戻る。紀夫はひとしきりアニメの話で槇島、高宮と盛り上がった後、二次会に参加することなく帰宅して、『魔法少女マジデ!? マジカ!?』を視聴した。