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その後、紀夫が目を覚ますと朝だった。魔法を使うと痛いだけでなく、体力も使う。紀夫は痛みと倦怠感に苛まれながら、のろのろと体を起こす。すぐに紀夫の枕元に座っているピーちゃんが声を掛けてきた。
「紀夫さん、目を覚まされましたか! 心配したのですよ? 一時はもう目覚めないのかと……!」
ピーちゃんは何が嬉しいのか翼をばたつかせてはしゃぐ。羽毛が飛び散り、紀夫はくしゃみをした。アレルギーでも発症しそうな不潔さだ。
鼻水を拭いながら紀夫はピーちゃんに尋ねる。
「俺って、そんなに状態悪かったのか?」
「ええ、それはもう! 常人なら七度死ぬ痛みですから!」
俺は体に鉄球でも埋め込まれたのかよ……。だいたい、そんな魔法を本人に断りなく使うなと。ピーちゃんは「緊急事態でしたから!」と全く反省の色がない。
気を取り直して紀夫は一応ピーちゃんに訊いた。
「速見から悪魔は出てきたか?」
ピーちゃんは首を振る。
「いえ、残念ながら」
「そうか……」
紀夫はそろそろとベッドから降りる。失敗したなら仕方ない。今週は今日を入れてあと四日もある。
キッチンの方に出ると山科さんと速見が楽しそうに二人で朝ご飯を作っていた。……いっそ世界が滅亡した方がいいような気がする。
朝食が終わると、予定を切り上げて帰宅することになった。本当は午前中一杯遊んでから帰る予定だったが、二人に悪魔が憑いていないとなれば、紀夫としては用がない。山科さんもテンションが上がっているので保っているが、昨日の雨でかなり体力を消耗しているはずだ。速見も同意して、あっさりと帰宅は決まった。
行きとは逆に電車とバスを乗り継いで、紀夫たちは住み慣れた故郷に戻った。一日外泊しただけなのに、出発点の駅が酷く懐かしい気がした。
紀夫と槇島は山科さん、速見と駅で別れる。
「長谷君、ありがとうね。私たちに機会をくれて。速見君と仲直りできたのは、長谷君のおかげだよ!」
速見の隣に立つ山科さんが紀夫にお礼を言い、速見も続いた。
「俺からも、ありがとう。長谷がいなきゃ、きっと俺たちもうだめだったよ」
紀夫は唇の端をニヤリと持ち上げて、静かに言った。
「気にするな……。俺は最初から全てを予測していたからな……!」
「長谷はすごいな……。今までただの馬鹿だと思ってたけど、見直したぜ!」
速見は紀夫を褒める。さりげなく貶められたような気がするが、まあいいだろう。紀夫はこれくらいで怒るような器の小さい男ではないのだ。だから間違って山科さんが振り向いてくれないかなぁ……。
仲むつまじく手を繋いで帰る二人を見送ると、槇島は紀夫に尋ねた。
「これからどうするの?」
紀夫は寝不足で充血した目を見開いた。
「決まってるだろ。次のリア充を調べるんだよ!」
槇島は顔をしかめる。
「まだあんた、犯人がリア充だと思ってるの……? 一回失敗したんだから、次は非モテのターンでしょ。具体的には高宮とか高宮とか高宮とか」
おまえはどんだけ高宮が嫌いなんだ。おまえにそこまで言われたら泣くぞ。あいつ友達いないんだから。
仕方なく紀夫は槇島に説明する。
「高宮ぶん殴るなんて最終日でもできるだろ。今は時間掛けないと捜査できないリア充を調べるべきだ」
紀夫もべつに高宮が100%潔白だと主張する気はない。ただ、後回しにしても全く問題ないので放置しているだけである。ギャルゲーをプレイするときでも簡単なイベントは空いてる時間でこなし、丹念にフラグを積み立てないと起きないイベントを優先するだろう。それと同じ事だ。
「ま、高宮がこんな大それたことができるとは、俺は思ってないけどな!」
紀夫はそう言って話を締める。高宮など小物中の小物である。やつは四天王の中でも最弱の男だ。最終回間際にラスボスに復活させられて主人公に一瞬で蹴散らされる役だ。放置しておいていいだろう。
「私は高宮が怪しいと思うけどな~。いつも挙動不審だし、アニオタだし」
槇島は唇に手を当てて首を傾げ、紀夫は嘆息する。
「そんな理由でいいなら、おまえこそ怪しいだろうが……」
槇島もアニオタだし、高宮とは逆方向に挙動不審である。
「はぁ? あんた、目が腐ってるんじゃない?」
紀夫は思わず大声になる。
「腐ってるのはおまえの脳みそだよ!」
「それは私には褒め言葉よ!」
槇島はニヤリと笑ってなぜかグラビアアイドルのような胸を強調したポーズをとる。貧乳のこいつがやってもなぁ……。
これ以上話しても無駄だと悟った紀夫は、さっさと今後の方針を決める。
「……次は輝沢さんだ」
「ふうん。私は輝沢さんと連絡をとればいいわけ?」
槇島に訊かれ、紀夫はうなずく。
「ああ、頼む」
「仕方ないわね~! 勘違いしないでよ、あんたのためにやってあげるんじゃないんだからね!」
ビシィッ! と槇島は紀夫に向かって指を突き出す。ツンデレのつもりだろうか。思わず紀夫はつぶやく。
「うわぁ……。ぶん殴りてぇ……」
「ちょっとは本音を隠しなさいよ!」
槇島に後頭部を殴られ、紀夫は頭を押さえた。
槇島が連絡をとったところ、輝沢さんとは夕方に会うことになった。紀夫は家に帰って食事と仮眠をとり、ひとしきり録画していたアニメを観賞して、少し薄暗くなってから家を出る。
輝沢さんとの待ち合わせ場所は、学校の近くにある小さな公園だった。かつては所狭しとブランコ、ジャングルジムなどが設置されていたこの公園だが、現在では危険ということで全ての遊具が撤去されている。
代わりに設置されたのは、数メートルほどはあろうかという大きさのバスケットゴールだ。地元のバスケチームが寄付したため設置されたそうである。しかし本格的すぎて小さな子どもの力ではボールがゴールまで届かないため、ほとんど利用者はいない。
数少ない例外がうちの中学のバスケ部員たちだった。体育館を使える時間は限られるので、ときおり彼らは部活後に思う存分ゴールに向かえなかった鬱憤を晴らすため、この公園に立ち寄るのである。
といっても体育館が使えないときは、うちのバスケ部も筋トレやランニングで絞られる。そのため部活後にわざわざ公園で自主トレしようという猛者はなかなかいない。週に一回か二回、練習しているバスケ部員の姿を見ることができるという程度だ。
今日の紀夫は、その珍しい場面に立ち会っているらしかった。
少女は公園の中央からゴールの真下までドリブルで駆け、ボールを抱えて跳躍する。そのままジャンプの勢いを乗せて、レイアップシュート。ボールはストンとバスケットゴールをくぐって地面に落下し、小さく跳ねた。少女はボールを回収し、汗を拭う。
獲物を仕留めるチーターのような躍動感だった。スポーツなんて全く縁がない紀夫でも、その身についた動きを美しいと感じずにはいられない。思わず見入っていた紀夫は、少女がこちらに向くまで固まっていた。
「あ、長谷! ごめん、待たせちゃった?」
少女──輝沢優馬はぺろりと舌を出し、ボールを持ったまま紀夫の元に駆け寄ってくる。輝沢さんは女子バスケ部のキャプテンだった。紀夫たちを待つ間自主トレをしていたらしい。きっと高校でもバスケを続けるのだろう。
「いや、俺も今来たばかりだから……」
突然声を掛けられてしどろもどろになりながらも、紀夫は応えた。この台詞だけ切り取るとまるでデートのワンシーンのようだ。リア充ならこんな会話し放題なのに。
「そっか。まだ槇島さんも来てないしね!」
そう言って輝沢さんは顔を綻ばせる。いかにも運動部な短髪が似合っていて、かわいらしい。ほどよく筋肉がついたしなやかな体もそそられるものがある。ぱっちりした睫毛も、少しふっくらした頬も、元気がありそうで悪くない。
「時間は過ぎてるのに、あいつは何やってんだ……」
なんとなく輝沢さんの顔を見ていられず、紀夫は慌てて腕時計を覗き込む。約束の時間からすでに五分ほど過ぎていた。そこにちょうどよく槇島が現れる。
「ごめ~ん、遅くなったわね!」
槇島は大きく手を振りながら駆け足でこちらに来る。紀夫は文句を言った。
「遅いぞ。高宮が伝染したのかよ」
「失礼ね。高宮ならドタキャンしてるわよ」
「確かに……」
遅刻が遅刻で済まないのが高宮なのだった。俺、よくあいつの友達続けられてるな。
「あんたも時間通り来たっていっても、そんな汚い格好で恥ずかしくないの? 昨日と同じ服着てるじゃない」
槇島に指摘され、紀夫は露骨に嫌な顔をする。
「べつにいいじゃねぇか。面倒臭かったんだよ」
本当は輝沢さんに会うということで、少しは気合いを入れて綺麗な服を着るつもりだった。ところが時間が余ったからと撮り溜めしていたアニメを見ていたところ時間を忘れ、着替える時間がなくなってしまったのである。
やれやれと首をすくめて槇島は言った。
「そんなだからあんたは女の子に相手にされないのよ。もう何回言ったかわかんないけど、あんた、このままじゃ一生まともに恋愛できないわよ?」
おまえが言うなと言いたいが、この女は見た目だけはまともだ。そのうち騙される男が現れてもおかしくない。紀夫は負け惜しみを口にする。
「世の中には恋愛より大切なことがあるんだよ(震え声)」
具体的には二次元嫁とかな!