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その後は山科さんの体調を鑑みてすぐに島から引き上げ、コテージで静養することにした。山科さんと速見はすっかり仲直りして、帰りのボートで当然のように二人乗りし、いちゃついていた。休む必要もなく元気じゃん……。
コテージで日が暮れるまで休み、夜は予定通りバーベキューだ。まだ夜は少し肌寒い季節なのだが、広い砂浜を独占できる爽快感は格別である。紀夫たちはバーベキューセットを囲んで、寒さも忘れて盛り上がった。
紀夫の前で山科さんと速見は長年寄り添った夫婦のように肩を寄せ合い、お互いの体を温め合いながら楽しそうに会話を交わしている。串を焼く炭火に照らされた二人の笑顔には紀夫が介在する余地がなく、会話に夢中になっている二人の目を盗むようにして紀夫は小声で槇島と話す。
「一件落着だな」
「……そうね。あんたの説が正しければ、これでループは止まるはずだけど」
槇島はそうなるとは思っていないと言わんばかりに、無表情だった。
「まあ見てろよ。俺は常に正しいんだ」
威勢よく言ってみる紀夫だが、下方からの声で否定される。
「残念ながら今回は間違っています」
足元を見れば山科さんと速見がこちらに注意を払っていないのをいいことに、ピーちゃんが姿を現していた。ピーちゃんは一本の串に手を伸ばし、鋭いくちばしで肉をつつく。焼き鳥の串だった。共食いじゃん……。
「どういうこと? どうしてわかるの?」
槇島はピーちゃんに尋ね、ピーちゃんは焼き鳥を頬張りながら答える。
「容疑者だったお二人には今、正のオーラが満ちあふれています。もしお二人の中に悪魔が潜んでいるなら、正のオーラに耐えきれず出てくるでしょう。念のため、今夜はお二人に怪しい動きがないか監視することですな」
グズグズしていると紀夫が頓珍漢な反論を続けて面倒臭いとピーちゃんは思ったのだろう。言いたいことを言うと、ピーちゃんはまた空気に溶け込むようにして姿を消した。炭火の上を見ると、焼き鳥ばかり串が数本消えている。ピーちゃんが失敬していったようだ。紀夫は脱力する。
「あのトサカ野郎……」
「鶏肉が気に入ったのかしらね?」
槇島は首を傾げる。ピーちゃんを照り焼きにして食べたい気分だ。あの締まりのない肉体はいかにも不味そうだけれども。
「これまでのことは全部徒労だったのか……」
紀夫はガックリと肩を落とす。一日で山科さんと速見の事情聴取をして作戦を立て、現地視察まで済ませるなど非常に苦労したのに、全ては水の泡だ。マジカちゃん並みに報われていない。紀夫はいつになったら春アニメを見ることができるのだろう。
「でもまぁ、いいじゃない。……ほら」
槇島があごをしゃくる。紀夫たちの正面では、山科さんと速見が楽しそうにしていた。畜生、リア充は爆発しろ。
コテージには四部屋寝室があり、当然四人は別々の部屋で寝る。紀夫が山科さんの隣の部屋なので、異常があればすぐにわかる。もし速見が山科さんに夜這いを掛けたりしたら、全力で壁ドンしてやるぜ!
ピーちゃんも今夜一晩は二人の様子に気をつけるようにと言っていた。万が一悪魔が出てくる可能性に備えて、紀夫はピーちゃんに出てきてもらい二人で隣室に耳を澄ませる。このコテージの壁はかなり薄い。隣室にいる山科が何をしているのか、手に取るようにわかってしまう。
今山科さんは部屋に備え付けのシャワーを浴びようとご機嫌に鼻歌を歌いながら、着替えをしているところだ。シュルシュルという衣擦れの音が聞こえ、山科さんは上着を脱ぐ。鏡でも見ているのだろう、山科さんは「ちょっと太っちゃったかな……」などと小声でつぶやいている。いやいや山科さん、太ったなんてことは全然ないよ。少し胸が大きくなっただけさ!
ストンという音で、山科さんスカートを脱いだのがわかった。今の山科さんは下着姿のはずである。山科さんは今、どんな下着を着けているのだろう。スタンダードな白か、かわいらしいピンク系か……。はたまたセクシーな黒かもしれない。いずれにせよ男と泊まりなので、気合いは入っているのではないだろうか。
一枚の薄壁が恨めしい。この壁さえなければ山科さんの下着姿……いや、それどころか一糸纏わぬ姿だって拝めるのに!
紀夫はピーちゃんに尋ねる。
「なあ……壁を透視する魔法って使えねーかな……」
ピーちゃんは困った様子で頭を掻く。
「はぁ……ないことはないですが……。何に使うのですか?」
紀夫は酷く真面目な顔をして言う。
「ここで山科さんの裸体をスルーするのは男として間違ってると思うんだ」
そこでバタンと部屋のドアが開き、闖入者が現れる。
「は、話は聞かせてもらったわ! じゃ、じゃあ私の裸を見せてあげよっか!?」
入ってきたのは槇島だ。自分で吐いた冗談が恥ずかしかったらしく、槇島は顔を真っ赤にしている。だったら言わなきゃいいのに。
「ゲェッ! 槇島!?」
「ほらほら、美少女の裸が見たくないの? 泣いて土下座しなさいよ」
槇島はそう言いながらズカズカと部屋に上がり込み、必要以上にニヤニヤしながら迫ってくる。紀夫は絶叫した。
「馬鹿ヤロー! テメーと山科さんじゃ、女としての格が違うんだよ!」
山科さんの裸身は土下座しても見たいが、槇島のは土下座されても見たくない。
「ハァ!? か、かわいい幼馴染みが迫ってるのに、何よその態度は!?」
知ってるか? 幼い頃から一緒にいた異性には、恋愛感情が働きにくくなるんだぜ? つまり二次元における幼馴染み=負け犬の図式は、必然だったんだよ!
「何わけわかんないこと言ってんのよ! いいから私を見なさいよ!」
槇島は憤懣やる方ない様子で、紀夫の首を掴んでガタガタと揺する。紀夫は脳みそをシェイクされながら反論する。
「おまえは男同士じゃないと興奮しないんだろうが!」
「そ、そうよ! でもあんたが山科さんばっかり見てると、負けたみたいでむかつくのよ!」
なんて勝手な言い分だ。うーん、この三次元。
結局槇島が乱入してきたせいで、紀夫は山科さんのシャワーシーンを見ることができなかった。なんでちっともかわいくないくせに嫉妬心だけはもの凄いんだろうね、惨事って。
槇島はそのまま紀夫の部屋に居座り、二人でだらだらとくだらない話をして夜を過ごすことになった。槇島ではなく山科さんだったら嬉しいのに、山科さんは速見のものだ。正直昨日の強行軍で疲れ果てていて、眼球が眼窩からポロリと落ちそうなくらいに眠いのに、槇島は一人で喋り続けていて、寝かせてくれない。
「私はやっぱりシズくんってイザくんのことを実は誘ってるんだと思うの。シズくんはいつもイザくんのことを全力で殺そうとしてるしね。こういう目に見えない男同士の友情がいいのよ。女に友情はないから」
どうして殺し合いしている敵味方同士が友情で繋がっていることになるのだろう。女に友情がないって、おまえに友達がいないだけではないのか。
「わかってないわね……。女同士の友情は軽くて壊れやすいのよ。百合厨は現実を見なさいよ」
現実を見ろって、おまえにだけは言われたくねぇよ! 現実のゲイなんて病気は危ないしディープだし、素人が楽しめるようなもんじゃないと思うぞ!?
「それはそれで興奮するじゃない。何言ってんの」
おまえが何を言ってるんだよ……。少なくとも俺はついていけん。
「それで二次元専門を自称するなんて片腹痛いわね。現実を知ってこそ二次元の良さを理解できるのよ」
いや、俺は三次元でもいけるよ? ピュアなラブストーリーならね! もうやだ、助けてピーちゃん。紀夫はちらりとピーちゃんの方を見るが、このデブニワトリはベッドに腰掛けたまま鼻提灯を作って居眠りしていた。なんで精霊のくせに寝てるんだよ。