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 料理が終わるまでにきっかり一時間が掛かった。紀夫はソファーの上で疲労困憊して背もたれに背を預け、山科さんが最後の仕上げをするのを待つ。槇島と速見も荷物の整理を終えてそれぞれ机を囲んでソファーに腰を下ろした。槇島は紀夫にねぎらいの言葉を掛ける。


「長谷、お疲れ」


「おまえ、知ってたな……」


 紀夫は槇島に恨み言を言う。まさかここまで山科さんが細かく手間を掛けて料理するとは思わなかった。できあがった料理は確かに軽いものだが、労力は軽くない。槇島は苦笑いしながら教えてくれる。


「いや~、調理実習のときとかすごかったから。山科さんって、よくお菓子を作ってるでしょ? お菓子って、きちんと分量とか火加減とか調整しないとおいしくならないの。だから山科さん、普通の料理でもきちんとしないと気が済まないみたいで、大変だったの。普通の料理なら多少アバウトでも充分おいしいものを作れるんだけどね」


「なるほど……。速見は知ってたか?」


 紀夫に話を振られた速見は答える。


「ん、ああ。だから俺、明里の料理を手伝うときは、細かいところまで気をつけるようにしてるよ。ちゃんとしないとかえって邪魔になっちゃうからさ」


 そういえばこの男はそこそこ手先が器用なのだった。イケメンは死ねばいいのに。


 三人がやりとりしていると、ようやく料理を終えた山科さんが配膳を開始する。


「みんな、お待たせ~! おやつに軽くクッキーも焼いたから、出かけるときに持っていこうね」


 いただきます、と手を合わせてから紀夫は料理に口をつける。手間暇をかけただけあって、料理は非常に美味だった。しかしこの味に辿り着くまでの苦労を思い浮かべると、素直に紀夫は喜ぶことができない。紀夫はさっさと食べてしまおうと思い、ご飯をかき込む。すると槇島は声をあげた。


「長谷、ほっぺたにご飯ついてる! あ、服にもこぼしちゃって!」


 うるせえな。メシなんか食えれば何でもいいんだよ。


「全く、長谷は私がいないとダメなんだから……」


 ぶつぶつ言いながら槇島はハンカチを取り出し、紀夫のほっぺたと服を拭う。あえて拒む意味もないので紀夫は槇島の好きにやらせる。その様子を見ていた山科さんは言った。


「長谷君と槇島さんって、本当に仲がいいね。本当に付き合ってないの?」


 たちまち槇島は赤面して否定する。


「な、な、なんでこの馬鹿と私が付き合わなきゃならないのよ! そんなわけないでしょ!」


 紀夫も黙って首を傾げる。全くその通りだ。どうして今いきなり、そんな話が出るのかわからない。天地がひっくり返っても紀夫と槇島が付き合うなどあり得ないだろう。槇島より山科さんとお付き合いできないだろうか。先ほどは酷い目にあったが、しっかり山科さんの手伝いはこなしてポイントは稼げたはずだ。


 紀夫がそんなことを考えていることも露知らず、山科さんは一人でうなずく。


「そっか、もうちょっとなんだね」


 おかしいなあ。どうにも方向が違う。山科ルートに入るのは、なかなか難易度が高いようだ。




 ともかく紀夫たちは料理を楽しみ、いよいよ午後からは海辺で遊ぶことにする。泳ぐのは無理でも海に足を浸けるくらいはできるだろうと、玄関でサンダルを履く紀夫に、山科さんは言う。


「私は軽く部屋を掃除してから行くから、みんなで先に行ってて」


「いや、山科さんだけ置いてくのはちょっと……」


 紀夫は弱るが、槇島は助けてくれない。それどころか一足先に外に出て、こんなことを言い出す始末だ。


「長谷、何グズグズしてんの。置いてくよ」


 板挟みになった紀夫は山科さんを選んだ。


「……山科さん、俺も手伝うよ。その代わりさっさと終わらせよう。……槇島、速見と先に行っててくれ」


「わかった~。早く来なさいよ~! 速見くん、行きましょう?」


 槇島の隣にいた速見はちらちらとこちらを気にしていたが、槇島には逆らえず二人で海に出た。紀夫は山科さんと部屋に戻る。紀夫と山科さんは三十分ほど軽い掃除をしてから、槇島と速見の後を追った。




 掃除を終わらせ、紀夫と山科さんが海岸への道を歩いていると、バケツと釣り竿を持った槇島、速見が歩いてくる。二人はこの時間の間に釣りをしていたらしい。紀夫はバケツの中を覗いて驚いた。


「大漁じゃねーか」


 そこまで大きな魚はいないが五、六匹の魚がバケツの中を遊泳している。三十分でこれだけ釣れたのなら大漁だ。


「今日はわりと水温が高かったからな。今日の夜はバーベキューだろ? こいつらも焼いて食べよう」


 少し元気を取り戻した速見が言う。この男は運動音痴で有名だが、あまり体力を使わないことであればそつなくこなせる器用さを持っている。モテるのも納得だ。爆発してしまえ、リア充。


「じゃあ速見くんと山科さんで道具を片付けておいてくれる? 私は長谷と一緒にボートの準備するから。あっちに無人島があるの」


 槇島は山科さんに釣り道具を押し付ける。山科さんは何か言いたそうだったが、槇島は山科さんを一言で封殺する。


「私と長谷しかボートの場所知らないから」


 山科さんはじろりと速見の顔を見て、あまり友好的とはいえない態度を取る。速見は紳士然として「いこうか」と笑いかける。ここまで徹底的に拒まれてまだあんな顔ができるとは、速見も優しい男である。なんだか速見が哀れに思えてきた。




 紀夫は槇島とともにコテージの裏に行って、ボートを出す。長いシーズンオフなので、二隻の小型手漕ぎボートは倉庫に放り込まれていたのだ。海はすぐ近くなので出すのは簡単だが、軽く拭いて綺麗にしておいた方がよさそうだ。


 ボートを雑巾で拭きながら、紀夫は槇島に尋ねる。


「なぁ……。ひょっとして山科さんと付き合うのって、凄く大変なんじゃないか?」


「今さら気付いたの? だからあんたは童貞なのよ」


 何を今さら、といった調子で槇島は紀夫に目を向ける。やっぱりそうだよなあ、と紀夫は遠い目をする。


 先程の掃除も大変だった。山科さんは鬼姑でもここまでしないだろうというチェックぶりで、部屋に塵一つ落ちていないくらいに掃除機を掛けていた。山科さんは紀夫が手抜きしても怒ったりはしないが、代わりに自分で全てやろうとする。紀夫は山科さんの足手まといにはなりたくなかったので必死に掃除をせざるをえず、肉体的にも精神的にも酷く消耗してしまった。


「速見くんくらいに器用でまめじゃないと、山科さんにはついていけないでしょうね~」


 のんびりと槇島は言った。顔面の格差も大きいが、能力の格差はさらに大きい。紀夫では速見と同レベルの仕事をするのは逆立ちしても不可能だ。自分なりにがんばったが、多分山科さんをかなりイライラさせてしまったと思う。


「モテる男っていうのはね、みんな努力してるものなのよ。あんたみたいなゴミ虫が速見くんと肩を並べられるわけないでしょ? まあ、サラブレットとゴミ虫っていう組み合わせもギャップがあっていいんだけどね~」


 途中から趣味の悪い妄想に脱線する槇島だが、言っていることはわかる。女子にモテる努力というだけでなくて、リア充には夢に向かってがんばっているとか、何かしら輝いているポイントがあるのだ。


 紀夫もぶっちゃけ三次元にモテたいとは思うが、今の自分が都合よく受け入れられるわけがない。女子からすれば紀夫など、わけのわからないオタクにしか見えないだろう。それでも何か一ついいところがあれば評価してくれる女子もいるのかもしれないが、紀夫は特別勇気があるわけでも、優しいわけでもない。オタクだとか気持ち悪いとか、紀夫の器はマイナス評価で一杯である。


 だからといって自分を変える努力をしても、あまり意味はない気がする。例えば脱オタしたとして、紀夫の何が変わるというのだ? オタクの自分を捨てたら、紀夫には何も残らない。マイナスがゼロになるだけである。より虚しくなるだけではないか。


 二次元を捨ててファッションなどを研究して、女受けのいい自分になって、彼女を作ったとして、何か意味があるのかとも思う。女のために自分を捨てるような軽薄な男は、紀夫なら嫌だ。そんな空っぽ人間に釣られる女など、ろくでもないに決まっている。


 ぶつぶつと考え込む紀夫に、槇島は容赦なしの鉄槌を振り降ろす。


「毎クール嫁が変わるあんたは充分軽薄だから安心なさい」


 二次元三次元見境なしの節操なしの槇島にだけは言われたくないぜ!

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