表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/32

 次の日の朝八時、紀夫は待ち合わせ場所の駅に到着する。遅刻しかけていて少し焦った。すでに槇島と山科さんは来ていて、あとは速見を待つだけとなっていた。


「おはよう、長谷君。そんなに急ぐことなかったのに」


 息を切らしてやってきた紀夫に、山科さんはそう声を掛ける。白を基調とした春らしいファッションの山科さんに思わず見とれながら、紀夫は言う。


「山科さんを待たせるわけにはいかないからね」


 ニタニタとだらしなく笑う紀夫を見て、槇島はあきれたように小声で言う。


「二次元にしか興味ないって、いつも言ってるくせに!」


 そんなこと言ってないぞ。俺は三次元より二次元に積極的なだけだ。三次元でもチャンスは逃さない。


 紀夫が到着してから五分後、速見も来る。


「お、お待たせ!」


 速見はゼイゼイと肩で息をしながら手を挙げて挨拶する。山科さんは速見が来ることを知らされていなかったのか、目を丸くして一言。


「女の子を待たせる男の子って、だめだと思わない?」


 紀夫は苦笑するしかなく、槇島は「待ってる時間も恋なのよ」と柄にもないフォローをしていた。おまえ、三次元の男に恋したことなんてないだろ。




 駅まで来ているが私鉄は利用せずバスでターミナル駅まで出て、JRの鈍行に乗る。移動中の車内で山科さんは徹底的に速見を無視して、なぜか紀夫にばかり話しかける。


「ねぇ、長谷君。朝ご飯は食べた?」


 山科さんに訊かれて、紀夫は正直に答える。


「いや、食べてないよ」


「じゃあパン焼いてきたから、あげるね」


 山科さんはバケットから小さな丸パンを取り出した。焼き立ての香ばしい香りが漂う。山科さんの趣味はお菓子作りだが、パンを焼くこともできるらしい。紀夫は思わず「え、いいの?」と訊き返す。


「もちろんいいよ。私が作ったから、おいしくないかもしれないけど……」


 謙遜する山科さんもいじらしくてかわいい。紀夫は大口を開けてパンにかぶりつき、パンを口にほおばる。焼き立て特有の熱い湯気とカリッとした食感が口の中に広がった。少々下品ではあるが、紀夫はパンを咀嚼しながら感想を伝える。この感動は一刻も早く伝えなければなるまい。


「おいしいよ」


 山科さんは嬉しそうに笑い、胸を撫で下ろす。


「よかった。塩加減間違えてないか、心配だったの」


「いやいや、こんだけおいしいんだから、間違いなんてありえないよ」


 紀夫は山科さんを褒め、山科さんは「ありがとう」と照れくさそうにする。この瞬間だけ切り取れば、紀夫と山科さんは仲のいいカップルのようだ。


 槇島と速見がやけに静かだったので、紀夫はふと顔を上げる。速見は半泣きでうつむき、槇島は怒りのあまり眉毛をひくひくさせていた。


(何のために来てると思ってるのよ……!)


 もちろん紀夫が山科さんとゴールインするためだ。速見? そんなやつは知らん。


(このお馬鹿!)


 紀夫がアホなことを考えていると察した槇島は、思い切り勢いをつけて紀夫の足を踏んだ。


(~~!)


 紀夫は悶絶するが、後悔はない。山科さんに毎回こんな風に恋人のように扱ってもらえるなら、世界が滅びてもいい。




 さらに到着駅からビーチ行きのバスに乗り込み、紀夫たちはようやく目的地に辿り着く。自家用車を使えば一時間かからないくらいなのに、公共の交通機関を利用したせいで遠回りとなり、二時間もかかった。全く、同じ県内だとは思えない時間である。この辺が中学生の辛さだ。


 紀夫たちは海辺に出るべく松の防砂林に踏み込む。足下の砂の感触が気持ちいい。吹き込んでくる風が潮の香りを運び、鼻孔をくすぐる。砂浜に押し寄せる波の音が間近に聞こえた。期待感が長旅の疲れを吹き飛ばす。


 早足で防砂林を駆け抜けて、紀夫たちは浜辺に出た。一気に視界が開けて、瀬戸内海の風光明媚な風景が飛び込んでくる。


 白い砂浜、蒼い海。海面は陽光を反射してきらきらと光っている。砂浜はシーズンオフだけあって流れ着いた流木やら空き缶やらのゴミが放置されていたが、そういった漂着物さえも風情ある風景に溶け込んでいるのが不思議だ。穏やかな沖には大小の島々がいくつも浮かび、対岸まで見渡せる。右手には荘厳な瀬戸大橋が小さく見えて、米粒のような漁船が漁のためか橋の下を行き来していた。


「うおっ、海だ……!」


 紀夫は思わず感嘆の言葉を漏らした。昨日強行軍で下見に来たが、日が高い内に見るとまた違う。昨日は疲れがずっしりと響いて海の中に沈んでしまいそうだったが、今日の海は波音も心地よく、疲れ切った心身を癒してくれるようだ。


「わあ……。綺麗……」


 山科さんは感激した様子で手を合わせ、槇島も「季節じゃないけど悪くないわね」と笑顔を浮かべる。


 ただ一人、速見の反応だけが鈍かった。わずかに顔を上げてぼんやりとしているだけだ。紀夫は速見の肩に手を回し「元気出せよ!」と明るく声を掛ける。


「お、おう……」


 速見は戸惑っている様子で紀夫の方を見てくる。紀夫は山科さんに聞こえないように小さな声でひそひそと速見に言う。


(気合い入れろよ! 山科さんとまた付き合えるか、これが最後のチャンスだぜ!)


 敵に塩を送るのは柄ではないが、この状態の速見を放っておくと、雰囲気が悪くなる。足を引っ張られるのはごめんだ。


「そ、そうだな……」


 速見は猫背気味になっていた背中をピンと伸ばし、しゃんと前を見る。何やら肩を組んで盛り上がっている男子二人を見て山科さんは不思議そうに首を傾げ、槇島は鼻の穴を膨らませて興奮していた。男二人で肩組んでるのを見て何が楽しいんだろうね。




 風景を楽しむのもそこそこに、紀夫たちはコテージに荷物を置いて食事にする。初日でコテージの設備も把握できていない状態なので紀夫はカップラーメンで済ませるつもりだったが、反対の意を示したのは山科さんだった。


「だめだよ。カップラーメンじゃ体に悪いでしょ? 私が軽く何か作るから、長谷くんたちは休んでていいよ」


「いや、山科さんだけにさせるのも難だし……。俺も手伝うよ!」


 思わず紀夫は申し出てしまう。速見は「俺も……」と手を挙げかけるが、山科さんににらまれて手を引っ込めた。このへたれめ。本気で山科さんと復縁する気があるのか!? このまま俺が山科さんとお付き合いするという展開に……!


「じゃあ私は、速見くんと一緒に軽く荷物の片付けしてるね!」


 槇島はおろおろしている速見の手を引いてキッチンから出て行く。去り際に小声で、槇島は紀夫に囁く。


「あーあ、知らないわよ。ご愁傷様ね」


「???」


 てっきり怒られると思った紀夫は身を固くするが、むしろ槇島は紀夫に同情しているようだった。よくわからない展開だ。




「じゃあ始めよっか! まずはお米炊いてスープ作って……」


 気を取り直し、山科さんの指示に従って料理の手伝いをする。紀夫は野菜の皮を剥いたり火の番をしたりと雑用にいそしむが、これがとんでもなく大変だった。


「う~ん、こことここがちゃんととれてないよ。あ、これも」


 山科さんは紀夫が野菜の皮剥きをすれば一個一個きちんと皮が剥けているか確認し、容赦なくやり直しを要求する。多少残っていても味は変わらないと思うが、山科さんは全てきちんとしていないと気が済まないようで、最後は紀夫の手から野菜を奪って自分で皮剥きを始める。


「ご、ごめん……」


 紀夫は謝るが、山科さんは「いいの。私がちゃんとしたいだけだから」とあまり気にした様子もなく細かく皮を剥く。下準備だけで三十分以上掛かった。


 スープを煮込む段になると、山科さんは紀夫にストップウォッチを渡す。


「……何これ?」


 紀夫がおそるおそる尋ねると、山科さんは笑顔で言う。


「きっちり五分計ってね。十秒以上ずれると味が変わっちゃうから」


「わ、わかった……」


 紀夫はこめかみを押さえながらストップウォッチを受け取る。誤差十秒以内というのはなかなかのプレッシャーだ。山科さんは火加減を調整してからストップウォッチを押す。


「私はサラダを作ってるから、よろしくね」


 鍋の前に残された紀夫は、目を皿のようにしてストップウォッチを凝視するはめになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ