28話 変化の兆し
人は変化を嫌う生き物だ。
先人により与えられた世界。一度馴染んだ仕事。
定住している場所。知り合いとの共有時間。
それらはとても居心地が良く、
そこに不満が無いのなら変化を嫌う事は当然である。
人々は居心地の良い不変を享受する為に武装を怠らない。
突飛な出来事に対応する為のマニュアル。
人の輪を円滑にする為に固定化した処世術。
テンプレート化し効率化し、そしてそれをルールにする。
出来る限りの不変。それが齎す平穏の為に。
だが、変化は起こる。
不変を望む者が居ない場所で。
それは不平から?それとも不満から?はたまた野心によるものか?
変化は起こり、そして最大の利益と不利益を産む。
立場による悦楽と後悔。また、成功と挫折。
そう、変化にはリスクが伴う。
どんな小さな変化にも、それは存在している。
変化は何時も何処かで生じる。
例えナナシがそれを望んでいなくても。
ナナシの行く末に不変は有り得ない。
歯車は廻り続けているのだから…
周りの歯車を巻き込みながら…
◇
―――痛っ…
痛みで目が覚める。
額を押さえながら、ベットから立ち上がった。
窓を覗くとまだ外は薄暗い。
隣のベットからクフェの寝息が聞こえてきた。
珍しく俺の方が早起きの様だ。
クフェの横に立ち頭を撫でてやる。
気持ちよさそうな表情、起こすのは勿体なかった。
俺はクフェを残し部屋を出た。
宿の1階に降り、
いつものカウンター席へ。誰も居ない酒場。
もう少し待てばフィーさんが出て来るだろう。
痛っ…
昨日の騒ぎで身体中に痣が出来ていた。
嫌われているとは思っていたが想像以上だ。
あいつらに冗談と言う概念は存在しないのだろうか…
まったく、つまらん奴らだ。
何れ仕返しをしなくては。ククク。
「ナナシさん! 貴方も朝は早いんですね」
急な声が掛かった。
フィーさんの無遠慮な声ではなく。
優しい綺麗な声だ。声の主はミウ。
いつの間にか俺の前に立っていた。
「おう、ミウも早いな」
「当然です。朝の修練は欠かせません」
当たり障りのない会話。
まだミウと話す事にぎこちなさが残る。
昨日出会ったばかりだ、徐々に慣らして行こう。
クフェも彼女を気に入っている。
これから長い付き合いに成るかもしれない。
嫌われるのは流石にまずい気がした。
ふと疑問が浮かぶ。
「クフェの傍にいなくてもいいのか?」
「大丈夫です。
この宿は安全だと思います。
それに、監視はしています。
この距離でクフェ様の気配を見失う事はありません」
自信満々のミウはフラグを立てる事を怠らない。
もう少し、緊張感を持った方が良いと思うが…
いや緊張しているのか?
出会った時に観た、のほほんとした彼女は息を潜めている。
もう一度彼女の姿を観たいと思った。
「それでは、クフェ様のもとに戻ります」
ミウが俺に背を向ける。
綺麗な後ろ姿。
武道に関わっている為か、とても綺麗な立ち姿。
俺はクフェの後ろに駆け寄る。
そして―――
ふっ~
耳に息を吹きかけていた。
ミウは身震いをすると顔を赤くし俺に向き直る。
「何をするんです?
私、昨日言いましたよね?
クフェ様を裏切るなと!!」
胸倉を掴まれ、持ち上げられる。
「ミウちゃんは反応がうぶくて可愛いね。
ぺろぺろはまだとって置いてよかったよ」
少しお道化た口調で、ミウの顔を見た。
ミウが俺の本心を推し量ろうと睨み付けてくる。
そんな彼女に下卑た笑いを見せながら、
俺は本心を語り始めた。
「力は抜けたか?
昨日のミウちゃんはどうした?
正直、あっちの方が可愛かったぞ」
掴む手の力が弱くなる。
どうやら、自覚があるのだろう。
俺は核心に触れてみる事にした。
「クフェが怖いか?」
ミウが激しく動揺する。
力は完全に消え失せ俺は自由になっていた。
「ミウは正しい。
あれは化物だ。あれの母親も化物だった。
我が意を得たり。ミウちゃんの言葉だ。
本当にそうなのか?
ミウは恐怖に負けた、これが真実だろ?」
ミウの瞳から涙が零れおちた。
え?
正直な話、想定外の出来事だった。
おいおい、マジで図星か?
藪蛇になりそうじゃねーか…
如何すんだよ…俺のバカ。
「笑いますか? 惨めな私を…
道化にも程がありますよね?
クフェ様と戦う為にこの国に来ました。
でも、一目睨まれただけで足はすくみ、体が動かなくなりました。
我が意を得たり? 勿論、虚勢ですよ。
井の中の蛙は大海を知らなかったのです…」
「知る事は出来ただろ?」
ミウの独白に対して、
出来うる限りの真剣な表情を作る。
縋る様なミウの瞳。
「あれだ、ミウは挑戦者って奴だ。
何もしていない俺が笑えるわけないだろ?な。
虚勢を張るだけでもすごいって」
「でも、怖くて少し漏らしました」
は?
漏らす?え、もらすってアレの事か?お漏らし?
何をカミングアウトしてるんですか…ミウさん。
あ、でもその恥じらう表情は最高ですb
おふざけはそろそろ止めるか。、
この状況を何とかしないと…
クフェが起きて来るし、フィーさんも来ちゃう。
ミウを泣かせた事がばれるのは不味い。
適当に… 治めますか。
俺は少しの間をあけて語りだした。
「その昔、死へ恐怖で脱糞した男が天下を取った国があるらしい」
「へ?」
突然の語りにミウが間抜けた声を出す。
「俺の居た国だ。
中々ユニークな歴史だろ?
天下人の痴態。そんな歴史が後世に残るんだ」
「私の痴態も… ですか?」
ミウの顔が青くなる。
確かにお漏らしが歴史に残るのは簡便だな。
「そっちじゃない。
その男は恐怖に負けはしたが屈していなかった。
汚名を残そうと、それを返上する機会を待っていたんだ。
そして最後に天下を取った」
ミウの顔が真剣なものになる。
「忘れてないか?
クフェはミウを観て何と言った?」
暫しの沈黙。
ミウの瞳に力が戻る。
「はい! 強い。と」
「良い答えだ。
クフェは強い。そんなクフェが認めたミウも強い。
だから自信を持て。
いずれ汚名返上の機会は来る」
まあ、機会はあってもミウ次第だけどな。
心の中で文言を付け加えた。
ミウが俺を観て呆然としている。
あれ?何かしくじったか?
ミウが口を開く。
「クフェ様が貴方を選んだ理由。
今なら少し理解できます」
理由?何それ???
共闘の為に結んだ関係なんだけど…
口が裂けても言っちゃいけない気がした。
何かを確信し、確かな手応えを得た表情のミウ。
涙を拭き、再び俺に背を向ける。
その背中には恐怖に押し込められた自尊心が少し戻った気配がした。
しかし、まだ堅い。
のほほんとした彼女が戻るのはもう少し先かもしれない。
でも、遠い未来ではない予感がしていた。
◇
「ナナシ殿!!
探しましたぞー!!」
場所はいつもの防波堤。
今や日課に成りつつある釣り。
その最中にむさ苦しい声が響く。
見た顔だ。確かメルファン?
「フィー殿に聞いて正解でした。
探しても見つかりませんで、焦りましたぞ」
オッサンに探してなど要らん。
俺は無視を決め込み、黙っていた。
「ところで、ナナシ殿。
クフェ殿の兄上と言う立場は伊達ではありませんな。
この期に及んでの釣りをする豪胆さ。
敬服いたしますぞ」
うん?
何を言っているんだこのオッサン?
いやな予感がする。
「今年の武闘祭。強豪揃いと聞きますぞ。
ナナシ殿はシードではありますが、気を付けて下され」
シード???
「何の冗談ですか?メルファンさん。
俺、武闘祭には出ませんよ」
「またまた、ご冗談を。
クフェ殿に出場の手配を頼まれています。
クフェ殿の兄上です。勿論シードですとも。
私は確信しておりますぞ、ご兄妹の対決を」
鼻息を荒くし、そんな事を宣うメルファン。
俺の話など聞きはしない。
「あと、もう一つ要件が。
武闘祭にアリア帝国の方が国賓として招かれておりましてな。
どうも、クフェ殿とナナシ殿に興味があられる様で…
何か心当たりが有りますかな?」
息が詰まる。
また俺の知らない所で何かが始まっている…
「知らないな」
俺はそう言い返すだけで精一杯だった。
背中には止めどない汗が流れている。
「そうですか。
ナナシ殿が知らないのであれば、
これは引抜かもしれませな。クフェ殿は渡しませんぞ!!」
メルファンが勝手に盛り上がる。
まるでクフェが自分の物だと言いたげだった。
普段なら噛みついたかもしれない。
でも今の俺にそんな元気はなかった。
アリア帝国… 聞きたくない名前だ。
静かに釣り道具を片づける。
そして、俺は宿への帰路に着いた。