23話 クズ、逃げ出した後
「姫様、ですがそれは」
クフェは歓喜と共に声を張る。
リンはその表情を楽しみながら答える。
「私が良いと言っている。
チャンスだぞ。なあ、そうだろ?
ナナシの心は弱り切っている。
早く行かんと消えて無くなるかもしれんぞ」
冗談を話す様な気楽さで語るリン。
しかし、ナナシは本当に消え掛かっている。
何故なら心が弱り切った先に待つのが魂の洗浄だからだ。
クフェにはこの内容を伏せているが、
これだけご執心なら問題ないとリンは確信していた。
「ナナシさんが… 私の物に…
いい… すごく良いです。
後悔しますよ? 姫様」
リンを見据える瞳が獲物に狙いを定めた肉食獣のそれだった。
こいつ…
「させてみろ」
リンの発した虚勢を聞くや、クフェはナナシの下へ駆けだす。
それを見送るリンの胸中には少しの後悔が芽生え始めていた。
クフェの撃ち漏らしの方に目を向ける。
目的の人物は生きている。ならば僥倖。
私に後悔などあるものか。
そう自分に言い聞かせ、リンはその場所から姿を消した。
◇
へミールの心は歓喜に包まれていた。
まさかの生存。まるで自分が神から守られている様な感覚を受ける。
今ならいける。へミールの野心に更なる火が灯る。
兵の大半を失ったが、神獣クラスの化物を退けたのだ、
幾らでも言い訳がきく、それどころか英雄として担がれる事に成るだろう。
へミールの頭の中で自分の出世シナリオが組み上げられていく。
さあ、凱旋だ。栄光はすぐ傍にある。
と、その前に私に靡かない兵には消えて貰うか。
へミールは辺りを見渡し生き残りの選別を始める事にした。
◇
街道を直走る。
喉に込み上げて来る嘔吐感に耐えながら走り続ける。
鼻水が止めどなく流れ、眼は涙で霞んでいた。
足が悲鳴を上げている。悲鳴を上げ続け限界を超えていた。
腕を振り速度をさらに加速させる。
身体全体が弾けそうな感覚。もうどうにでも成ればいい。
消えてしまえばいい。全部。全部。全部。俺の全部。
その時だ。俺の足が急に動かなくなった。
レベル1の限界?いや違う。
魂が抜け落ちていく感覚。以前、少しではあるが感じたもの。
魂の洗浄が終わろうとしていた。
動けない。体が言う事を聞かない。
腕は垂れさがり、立ったままの姿勢で硬直する。
顔は天を見あげ、何かを乞う様な表情を作っていた。
視線の先に光が差した気がする。
さあ、次の世界に…
温もりは突然だった。
俺の左手を誰かが握っている。
小さな手。でも暖かく大きな手。
温もりが全身に駆け巡る。血が全身を活気づかせた。
うご、、ける。まだ、動ける。
俺は最後の力を振り絞りその手の人物に振り返る。
「ひ・め・さま?」
姫様の姿はなかった。
だが確かな手の感触。視線を下げる。
そこには今にも泣き崩れそうな少女がいた。
「ななしさん… 置いて行かないで下さい。
私をおいていかないで」
少女の頬を涙が伝う。
そんな彼女に俺は本心を告げる。
「俺は君に何もしてやれない」
「はい、ダメなご主人様です」
「おれはきみをつれるしかくなどない」
「それは違う!」
強い意思表示が其処にはあった。
「私がナナシさんを必要なんです。
ナナシさんは居てくれればいい」
何故そこまで俺を…
体が崩れを落ちる。
倒れた俺をクフェが支えた。
確かな他人の感触。他人の温もり。
また、洗浄は失敗していた。
「大丈夫です。ナナシさん。
私が守りますよ。これからずっと」
クフェの体温。
確かに感じる心地よい温もり。
意識が薄れていく。
そこには焦燥感は無く、包み込む様な確かな安心が在った。
「くふぇ、ありがとう」
俺はそう言い残し、意識を閉ざした。
◇
「ナナシさん。
こんな糞な国とはさよならです。
別の国で楽しく暮らしましょう。きっと楽しい未来が待ってますよ。
もし敵ができても大丈夫です。私が殺しますから」
クフェは返事のないナナシに語り掛ける。
ナナシの安心した顔がとても素敵に見えた。
涙でぬれた頬… 少し位なら…
ペロリ!
やっておいて顔を赤くする。
そして気を取り直し決意した。
これからもずっと一緒です。
さあ、行きましょう。ご主人様。
クフェがナナシを抱え走り出す。
そうですね海の見える国なんてどうです?
一緒に暮らすなら綺麗な場所がいいですよね。
うんうん、きっとナナシさんも気に入りますよ。
上機嫌なクフェは進路を決定し更に速度を上げるのだった。
~破滅者のエピローグ~
そこは言い表せば地獄。
ここは罪人を閉じ込める牢獄。
辺り一面の白い世界。何もない世界。
それだけの世界。ベットとトイレがあるそれだけの牢。
しかし、使用する機会が訪れない。
空腹はあるが、食べる者が無い。飲み物も無い。
眠たいけど眠れない。本当に皮肉のきいた世界。
私は一体どれだけの時をここで過ごしているのか?
すでに感覚は麻痺し、ぼーと牢の外の世界を見るだけだった。
あの女の最後のセリフ。「では会ってこい。地獄でな」
それだけが私の心の支えになっていた。
いつまで待てばいい?いつ会える?
そんな疑問が頭の中を駆け巡る。
私はあの黒い女を恨んでなどいない。
だから、だから頼む。娘と会わせてほしい。
それだけが望みだった。
それでも時は過ぎる。
何もかもがどうでも良くなっていく。
娘の事が頭の中から薄れていく。
ダメだ。心を強く持たなくては…
さらに時は流れる。
誰かの顔が頭に浮かぶ。微笑む少女。
それは誰だったのか…
とても懐かしい気持ちになる。
私は何をしているのか…
私は…
「お父さん」
懐かしい声が響いた。
声の方に顔を向ける。
誰だったか?そんな事を思いながら涙を流す。
会いたかった誰か… 体が熱を帯びていく。
きっと彼女は大切な何かだ。
心に余裕が出てくる。
ああ、知っているともわが娘よ…
「マーサ…」
そこに救いがあったのかは判らない。
ただ、涙を流しながら駆け寄り、
鉄格子越しに抱きしめあう二人の姿があった。