21話 苦境に立たされるとクズは… 下
―――ヒュン!
それは唐突におこる。
足元に矢が突き刺さっていた。
瞬時にクフェが前に出て警戒をする。
前方に人影がチラついていた。
真っすぐに伸びた街道の地平にそれはあった。
そして、此方に歩みを進めている。
「クフェ、気付かなかったのか」
「はい、気配を遮断されていたようです」
驚愕と恐れが俺の顔に滲む。
クフェにはまだ余裕を感じるが、それも一瞬。
先頭に立つ男の眼光がクフェを一瞥すると顔色を変えた。
「あれは… まずいですね。
正直あれと戦うのは避けた方がいい。
少なくともアレを殺せますが、ナナシさんを守る自信がありません」
そこまでの男か…
それに問題はまだある。
その男の後ろ、あれは千や2千ではきかない、
前方に見えている部分だけでそれだ。
なんだよあれは…
街道を封鎖する形で軍団が待ち構えていたのである。
「ナナシさん。
矢に紙が添えてあります。
あの…大丈夫ですか」
不安そうな俺に気を使ったのだろう。
それは優しい声色だった。
声には出さず、大丈夫だと返答した。
◇
紙を受け取ると、それを広げ読む。
子連れの闇へ
貴様との決闘を所望する。
安心しろ、私以外はギャラリーだ。
勿論、少女が動くというのなら話は別だがな。
貴様だけは逃がさん。
私の手で煉獄の業火に突き落としてくれる。
アレク・バルバレン
◇
は?
誰だよあのオッサン…
どういう事だ?
どこで恨みを買った?
いや、恨みなら盗賊行為で買ってはいるが、
どう考えても反応が過剰すぎる。
恨み言で頭の中が埋め尽くされていく。
どうすればいい?どうすれば助かる?
軍団が近づいてくる。
万はいるだろうか…
しかし、一人に向ける数じゃねーだろ?
心の中で一人突っ込みをして気分を紛らわせる。
どうしたらこんな事になる。
軍団を睨み付ける。
そこには見た事ある面の男がいた。
たしかへミールだったか。
楽しそうに笑っていやがる… あいつが原因か。
俺はへミールを睨み付ける事しか出来なかった。
軍団が歩みを止める。
クフェを警戒しているのだろう。
先頭の男だけが俺の前までやってきた。
40代後半の外見。
白髪を短く刈り込み。
髭を蓄える顔はどこか威厳を感じさせる。
そして、オッサンの目… どこかで見たものだ。
あれは何時だったか?
「子連れの闇。
逃げずに、その場に残る度胸。
大したものだ。
我が娘が敗れたのも納得がいく」
いや、足が動かなかっただけだし。
しかし娘か、なるほど。
おおよその納得がいく。
「敵討ちか」
「そうだ」
「過保護な事だ」
オッサンが目に見えて不機嫌な顔になった。
そして怒りに任せたまま剣を振り下ろす。
キィイン!
澄んだ音が響く。
クフェが剣を受け止めていた。
俺は反応すら出来なかった。
「娘。貴様は下がっていろ。
用があるのはその男の首… クッ!」
クフェの影がオッサンを襲っていた。
残酷な表情を浮かべるクフェ。
何時もの雰囲気そこにはない。
「おじ様。
このまま生きて帰れると思うなよ」
驚くほど低い声だった。
「やはり貴様は化物か。
まさかと思うが、神獣クフェルメキアゆかりの者か」
「母様を知っていてよく私に近づけたな。ゴミ風情が。
また国土が禿るぞ」
よく分からない、やり取りが続く。
しかし、クフェさんあなた怖すぎですよ。
「神獣対策。その為の兵だ!
数は不足かも知れんが、あそこに控えるは第3軍。我が兵は屈強ぞ」
「塵は塵。数をそろえた所で… ゴミにしかなんねーよ」
あの、俺が置いてけぼりなんですが(ピキピキ
少しムカついた。
てい!
クフェが頭を押さえる。
頭を叩いてやった。
「何するんですか、ナナシさん」
涙目で抗議してくるクフェ。
それでいい。それでこそ俺のクフェだ。
「オッサンは俺を訪ねてきた。
俺の客だ。主人の客にとる態度か?」
「だって…」
シュンとした顔が可愛いい。
さて、俺はオッサンを睨み付ける。
そこには驚愕の顔があった。
「主人… 神獣の主?
馬鹿な! 貴様はその化物の主だと言うのか。
そいつがその気になれば一国でも滅ぼす事が出来るんだぞ…」
―――え?
何を言ってるんだ、このオッサン。
クフェがそんな物騒な代物の訳がない。
クフェに目を移す。
俺を心配そうに見つめる目。まるで子犬の様だ。
いや、まて。
そういえば神獣も同じ事を言っていた気がする。
上手く遣えば一国を落とす事も可能です。神獣の言葉だ。
本当だったのか? 親馬鹿ではなく?
と言う事はクフェと一緒にいると、戦略兵器を携帯している危険人物と言う事になるのか?
それは衝撃の事実だった。
いや、ねーよ。さすがに誇張し過ぎだろ?でないと…
あの子は心に化物を飼っています。これも神獣の言葉だ。
―――不穏すぎる。
意識を戻し、オッサンに目を向ける。
まだ驚愕から抜け切れていないのか、唖然とした顔を向けている。
俺は覚悟を決めて、オッサンに語り掛けた。
「こいつはギャラリーだ。安心しろ」
不敵に笑ってやる。
オッサンの瞳に再び火が灯る。
この目だ。俺はこの目を知っている。
いやな気分だ。何かそう、ざわざわとするような。
そんな気分だ。
「娘は元気か?
マーサちゃん。あれはいい女だ。
今度会ったら抱いてやる」
いやな気分を紛らわせる為に放った、余計な一言だった。
俺は後悔なんてしない。していない。そうあの日だって…
「あれは死んだよ。
貴様が、マーサを死地へと追い込んだ」
…言っている意味が分からない。死んだ?
あの可愛い子がか?逃げるとき元気だったぞ???
「なんだよそれ」
「貴様のしでかした事の後始末だ。
アレは酷い拷問のうえに殺された」
オッサンが懐から髪の束を取り出す。
薄汚れた髪の束だ。あの時見た髪の艶はそこにはなかった。
なんだよそれ…
「俺、関係ねーじゃねーか!」
思わず叫んでいた。
「貴様は自分の影響力を理解するべきだ。
メルマン殿から全てを聞いた。
他国の間者である可能性。
戦争の火種になるかもしれないという事実。
そして今知った、神獣の主である事実。
アレはそれに立ち向かい敗れたのだ。
なるほど、逃げ出したくもなる」
オッサンの目から涙があふれていた。
そして俺は…
俺じゃねえ、何を言ってるんだよ畜生!
何が影響力だよ…
貴様は自分の影響力を理解するべきだ。
この言葉が頭の中で繰り返される。
ああ知っていた。そうだよ。
忘れていた記憶。忘れようとした記憶。
◇
君は自分の影響力を理解するべきだ。
そう言って俺を殴ってきた親友。親友だった人。
そして、その後ろのベットで横たわる少女だった者。
綺麗な死体?いやボロボロだった。綺麗なところなんて何処にもない。
俺の初恋の少女。親友の妹。俺の大切だったもの。
犯人は、もう死んでいる。見つかった時に自殺したそうだ。
そしてその共犯者。俺の近くにいた女たち。
そう、全ては嫉妬から始まった。
あいつらは…
俺に気付かれる事なくやりやがった。
俺のいない場所でやりやがった。
俺の関係ない場所でやりやがった。
俺に関わりのない犯人を使い、やりやがった…
俺は関係ない…俺じゃない…
そうだろ?
親友の拳が俺の頬を貫く。
行き場のない怒りを俺にぶつけて来たのだ。
彼も分かってはいる。だが納得できないのだろう。
目を見ればわかった。そんな目をしていた。
静かだけど鋭い炎が灯った瞳。
そうだった、この瞳だ。忘れてはいけない物だった。
そして、彼女の有様と親友の一言。
俺はもう其処にいる事が出来なかった。
俺は… 逃げ出した。
実家を出て。知ってる人のいない所へ。
そう、新しい人生を送る場所に。
君は自分の影響力を理解するべきだ。
ただその言葉だけが俺の頭に刻み込まれていた。
◇
「うわぁああああああああああああああああああああああ」
声と共に俺は走り出す。
オッサンに向かって?いや、逃げてだ。
呆気にとられるオッサンとクフェを残し俺は街道を引き返す。
全速力でだ。視界は涙で霞、鼻水で息がしにくい。
それでも俺は全速力で駆けだしていた。
パチパチパチパチ!
呆気にとられる二人の前に
拍手をしながら一人の女が進み出る。
どこから現れたのか、それとも初めからいたのか。
女は優雅に傍観者を気取りながら口を開いた。
「あいつは本当に、クズだな。
こんな幼い少女を一人残して逃げ出すとは。本物のクズだ」
女がクフェの頭を撫でる。
ナナシを貶す口調とは裏腹に女は笑っていた。
「面白かったがこの劇も大詰めだ。
さて、貴様の怒りは私に歓喜をもたらした。
褒美をやろう。貴様は何を望む」
アレクを深淵の様に深く濁り淀んだ瞳が見据えている。
それはまるで、悪魔が人間を唆す光景だった。
アレクは理解していた。
この超常の光景を。そして願った。
「娘に会わせてくれ」
「良いだろう、ただしその願いは高くつくぞ」
悪魔のような眼光で見据える女。
この場にナナシがいたら突っ込んでいたであろう内容。
褒美を与えるのに代償を求めると言う横暴な振る舞い。
だが、アレクは即座に了承した。
そもそも選択肢など無かった。
女の口から再び笑みがこぼれる。
「ナナシ。貴様は本当に良い仕事をする。
では会ってこい。地獄でな」
女の腕がアレクの体を貫いていた。
アレクが崩れ落ちる。
そこには、女の愉悦に歪んだ顔だけがあった。