18話 アレク・バルバレンの絶望
アリア帝国第三軍団将軍アレク・ベルバレン。
それが私の肩書である。
何時からだろうか、将軍の肩書が重く感じる様になったのは。
何時からだろうか、剣を振り抜く自信が持てなくなったのは。
騎士の誇りを捨ててしまったのは何時だろうか。
騎士の教示を忘れ、薄汚れてしまったのは。
力は年々衰え、過去の威光は薄れつつある。
武官ゆえの葛藤。
今では同期の文官に頭が上がらない。
そいつの汚職に、口が出せない。
私は本当に帝国の将軍と呼べるのだろうか…
肩書だけが空しく存在しているだけだった。
近年、我が国では汚職や政治腐敗により国力の低下が加速していた。
アリア帝国。かつては大陸の三分の二を支配していた国。
今では見る影もない。国土を奪われ、独立を許し。そして凶暴な神獣の出現。
もはや、民も気付いているだろう。この国の崩壊が近い事に。
私は最低だ。民とは違い力がある。動けば何かが変わるかもしれない。
でも動かなかった。動けなかった。私には度胸が無いのだ。
家族に迷惑をかけられない。既に、私のせいで妻が死んでいるのだ。
だからこそ、娘には。マーサには幸せに生きて貰いたかった。
私は国より家族の優先を選んでいた。
どちらにしろ、私が守りたかった国の姿はもう存在していなかった。
そんなある日の出来事。
私は陛下から呼び出しを受ける事になった。
そこは謁見の間ではなく、陛下の私室だった。
要するに、秘密裏の話があると言う事だ。
陛下の御前まで進み跪く。
「お呼びと聞き、馳せ参じました」
「早う、お主もそこに座れ」
陛下の座する椅子に、机を挟み対面した椅子だった。
「畏れおおく…」
「よい、余の話に率直な意見が聞きたい。
堅苦しいのは抜きだ」
逆らう事の出来ない威圧がそこにはあった。
堪らず、向かいの椅子に腰を掛ける。
そして陛下の話に耳を傾けた。
◇
陛下もこの国の抱える問題に心を痛めていた。
腐敗した政治。要人による汚職。民への不当な仕打ち。
国の荒廃は進み、確実に崩壊が迫っている。
そして、その対処。
そう、陛下はその対処法も考えておられたのだ。
私は胸を刺す痛みにとらわれていた。
対処策はこうだ。
嘗ての威光も失った余が全ての責任を引き受ける。
軍部は信用できる人物を集めクーデターをおこせ。
革命が成った暁には、そこに今より優れた国を建国せよ。
陛下を犠牲にしたマッチポンプだった。
既に軍部の最高司令官メルマン総督を中心に計画は進んでいるそうだ。
陛下から直接の指示を受けたのは、私を信用してとの事だった。
家族をとり、国を捨てる覚悟をした私には重すぎる話だった。
涙が頬を伝っていた。裏切者の私を信用してくれるのか?
国の為のもう一度立ち上がれるのか?
私は一つの疑問を口にした。
「殿下は、姫殿下は如何されるのです」
それは自己弁護だったのかもしれない。
私の口から漏れたそれに、陛下は即答した。
「あれは、強い。
初代皇帝アリア様の名を与えたかいがあった。
あれは、自分の立場をきっちり理解している
何が起ころうと、あれは勤めを果たすさ」
浅はかだった。
そう思った時には号泣していた。
そして私は、もう一度国の為に立つ決意を固めていた。
◇
そして現在。
私は自分を律し、国の為に力を傾けていた。
陛下がいなくなった後の国を盛り上げる為、
粉骨砕身、邁進したのである。
汚職を幾つか摘発し、恨みを買った。
しかし、そんな事は苦にもならなかった。
今回、娘マーサを一人で野盗討伐に行かせたのも国の為である。
姫殿下には敵わないまでも、強い人間になって欲しかった。
ただ、心配はあった。野盗に関する情報が伏せられていた事だ。
メルマン殿より箝口令が布かれていた。
マーサの帰りが遅い。
野党討伐に赴き数日が立っていた。
討伐が完了すれば指揮官だけ報告の為先に帰るはずだ。
マーサが私に顔を見せないとは思えなかった。
さらに数日がすぎた。
マーサの安否が気掛かりだ。
そんな中、私を尋ねて来る者がいた。
マーサと一緒に討伐に向かった筈のへミールである。
いやな予感がしていた。
へミールの要件はこうだ。
私の屋敷に招待したい。
そして見て貰いたいモノがある。
それ以外は語ろうとしなかった。
私はマーサの手掛かりを掴む為、
恐らく罠であろうそれに乗る事にした。
へミールは自身の屋敷に付くと私を連れて地下室へと潜る。
そこには… 絶望があった。
据えた匂い。血が飛び散った壁。
汚れきった石畳の床。それを囲む鉄格子。
そして、その中の光景。
マーサ?
少女らしきモノ無造作に寝かされている。
腕が片方何かに食いちぎられた様に消失している。
指は在らぬ方向に曲がり体中に痣があった。足が折れている。
顔は耳が食われ口が裂け歯が欠け鼻が曲がり片目が潰されている。
激しい拷問を受けたであろう形跡。
そして、少女に意識は無かった。
「あああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫していた。
隣にいるへミールを壁に押し付ける。
「これは誅伐です。
彼女は指揮官である事を忘れ、愚かにも逃げまどい、無駄に兵を死なせました。
指揮官が任務を放棄しての敵前逃亡は重罪です。
そして、これには許可が下りています。
殺された兵の家族は喜んで罰を下しましたよ」
許可が下りている?
兵の家族?国の為に罪人を裁く?
国の為…
私は崩れ落ちる。
涙が止めどなく流れ、天を仰いだ。
何故マーサが…
私は如何すればよかった…
「野盗はまだ生きています。
兵を虐殺し。貴方の大切な娘を死地へと追いやったあの男が」
悪魔のささやきだった。
私の憎悪が行き先を見つけた。
目の前が真っ赤になるのを感じる。
殺す。殺す。殺す。
殺意が全身を覆っていた。
倒れた娘に近づき抱き上げる。
そこに鼓動はなく。返事もない。
怒りをそっと鎮める。
マーサの埋葬を行わなくてはな。
娘の髪を切り取り懐へ仕舞う。
仇は私がとる。
怒りの炎で燃やした瞳が天を見る。
ナナシとアレクの対決はもう避けられないものになっていた。