十七話
月明かりが、ひどく眩しい夜だった。俺は行く当てもなく夜の町を歩いた。ほとんどの家から灯りが消えて、目に入るのはぽつんと数十メートルおきに置かれた電灯のさみしげなライトだけだった。今から俺がすれ違う電灯を全部、消しちまおうかと思ったが、やめた。そんなことをしても空しいだけなのは、わかっていたから。
――夏燐はアンドロイドなのよ。
四宮の口から出たのは、この世の物とは思えない内容だった。冷静な人間だったら、くだらないと一蹴してしまうような。だが俺は、それが本当なのではないか、と心のどこかで思っていた。四宮のあの必死の表情がすべて偽りであるとは、どうしても思えなかったから。
――確かに整合性は、あるよな。
俺は自分の記憶を確かめながら、四宮の言葉を反芻する。四宮の話が本当なら、いろいろなことの謎が解ける。それも、俺が彼女の話を信じる一因だった。
「だから、感情のコントロールも可能、か」
そして徳永は夏燐に俺を嫌うように仕向けた、と。ここまで行くと、逆に都合がよすぎやしないか? 何もかも、うまく行き過ぎてねぇか? 俺の中で猜疑の色がなお、くすぶっていた。
俺は歩を速めた。
夜の学校には、どこかおどろおどろしい雰囲気があった。恐らく昼間の賑わいとの差が、そう思わせるだけなのだろうけど。俺は校門付近に立った。
――ここで、俺が夏燐のケータイを壊しちまったんだっけ。
鮮明な記憶が、蘇ってくる。事実ついこの間の出来事なのだ。それで夏燐はあっちの森に、自分のスマホを投げ飛ばした。今考えると確かに半端ない腕力だったな――? 俺は自分が、夏燐がアンドロイドであることを前提として、ものを考えていることに気が付いた。慌てて首を振る。まだ信じるって決めたわけじゃねぇのに。
俺はその場を足早に立ち去った。
次いで向かったのは川――夏燐たちと、初めて遊んだあの場所だった。
「……んっと」
茂みを潜り抜けると、目に飛び込んできたのは揺れる月明かりだった。おぼろげな月光が川の水面に乱反射して、世にも幻想的な風景を映し出している。
ここで、飛び込み対決なんて、やったんだっけな。それで夏燐が調子に乗って水着が外れて――四宮となんでかわからないけど、ちょっとした口げんかになった。
もしかしたらあれも何かを隠そうとしていたのかも――なんて、思った。
その時ふと俺は思う。どうして俺はこんなことをしてるのか、と。
「……」
胸の内に、問いかけた。だけど答えはない。夏の夜特有の生暖かい風がびゅうと吹いただけだ。――くだらねぇ。感傷に浸るなんてしょうもないこと、やってんじゃねぇよ。誰かがそう言った気がした。
「……まだだ」
俺はぽつりとつぶやいた。何かがある。きっと何かが見つかる、ただそう信じて。
山の中腹に位置する川から降りる途中に、俺はふとあることに気が付いた。ここは花火の翌日に夏燐と駆け落ちした場所と、かなり近い位置にあるということだった。
『東雲くんのこと、嫌いになったんだ』
あの日のトラウマがフラッシュバックする。動悸が激しい。すぐさま引き返したくなる。
「……っ!」
息をはあっと吐いた。苦しかった。でも行かなくちゃいけない。そんな気がした。何か重要なことが、あったはずだ。小さな確信が俺の中にある。それを確かめに行く……!
森の中を突き進んだ。死人みたいに冷たい夏燐の顔が、ずっと俺を見つめていた。嫌い嫌い嫌い嫌い――何とか俺はその幻影を振り払う。一歩一歩踏みしめるようにして進む。これは俺が乗り越えなきゃいけない試練だと言い聞かせて――。
「ここだ……」
俺は茫然として立ちすくんだ。月明かりの頼りない光でもわかる。ここが、夏燐と最後に会った場所。間違いない。あの日、確かに俺はここへ来た。
「……?」
おかしい。俺の予想と違う。俺はここに来たら、何かがわかるんじゃないかと、そう思っていた。だが実際はどうだ。思い出すのはあの日のトラウマだけ――
虚しさが、俺を襲った。
俺はここへ何をしに来た? 自分の古傷を抉りに来ただけじゃないか。何かがあるような確信をもってここまでたどり着いたが、すべてまやかしだったんじゃないか? そもそも俺はなんでこんなことをやっているんだ?
四宮の戯言を真実だと、俺は信じたかっただけじゃないのか?
俺は夏燐に嫌われているという事実から、ただ目を背けたかっただけじゃないのか?
黒々としたナイフのような塊が、俺の胸に突き刺さった。
「ああ……ぁぁ? ぁぁぁぁぁあああああ!」
後悔と自責の念が大きな嵐になって、俺をめちゃくちゃにする。くだらねぇくだらねぇくだらねぇ――踊らされて馬鹿みたいだ。澪奈の話なんて嘘っぱちに決まってるだろう? なんで俺はあんな話を信じようとしたんだ? あんなもんオカルトだ、それに夏燐だって俺のことを嫌っていたに違いないんだ……。
「もしも、私が、さ。君に……ずっと隠し事をしているとしたら、どう、思うかな」
はっとした。俺は顔を上げる。今、声が聞こえた。夏燐だ、間違いなく夏燐の声だ。
「ここだよ」
俺は振り返った。
そこにはあの日と変わらないままの、一之瀬夏燐が立っていた。
森の中に突如現れた夏燐は、ひどく幻想的に見えた。あまりにも美しいからか、消えてなくなりそうな儚さをその内に秘めていた。夏燐はいたずらっぽく喋る。
「ほら、君はあの時なんて答えたの? もし、私が隠し事をしていたらって聞いて」
「確か……」
俺は記憶を手繰る。
「うんうん」
夏燐はにっこりと笑う。
「……気にしない、って答えた」
「そうだね」
夏燐は腕を組んでうんうん頷いている。やがて目を開くと、ぐっと俺の方に身を寄せた。
「私は――なんだろう、わからないや。きっと神様がダメになっちゃったシュンを何とかさせるために寄越した、たった一つのチャンスなんだ。だから、ヒントをあげに来た」
「……?」
「いろいろ言いたいことはあるけど、それは次本当に会ったときのために取っておくね。今言わなくちゃいけないこと、それはね――」
夏燐は俺からいったん離れると、くるりとターンして、こちらを見てからはにかんだ。その頬には少しだけ恥じらいの色が浮かんでいた。
「これからどんなことがあっても、私のことを好きでいてくれる?」
全身に稲妻が走ったような気がした。既視感、そうだ、夏燐は俺に対してそう言った。
「……!」
夏燐はにっこりと笑う。
「もう、わかるでしょ?」
「……ああ。わかる」
「うん。ならいいんだ。あとは君の頑張り次第だ。それじゃあ――私はこれくらいで、ばいばい」
そう言ってから、夏燐は俺に対して手を振った。
「……ああ」
「うまくやってね――シュン」
可憐な笑顔の残滓を残して、夏燐は闇の中に溶けて消えた。
地面を見ていた。月に照らされた手のひらを見ていた。
「約束を守ってやれなかったのは、俺、か……」
夏燐の、自分のことをずっと好きでいてほしいという願い。それを――それを、俺はついさっきまで、忘れていた。夏燐のその言葉の背景にどんな事情があるのかも全く考えずに、ただ表面的な態度に流され血迷った。
「……信じよう」
素直に、そう思うことができた。四宮の話を信じ、四宮の作戦を信じよう。
「――決意が遅れたな」
情けねぇことだ。俺は自嘲気味に笑った。でも――神サマは俺のこと、ギリギリ見捨てないでくれたみたいだ。まだ希望はある。夏燐が俺のことを完全に忘れちまうのは、明日本部とやらに送られてからの話らしいから。
だったら俺は、最善を尽くして夏燐を救い出すしかない。




