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一之瀬夏燐は憧レル。  作者: 木邑 タクミ
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第六話

「東雲……くん?」

 死んだような無表情で夏燐は俺をじっと見て、こぼすみたいに言葉を落とした。

「夏燐……夏燐……!」

 俺は震えながら夏燐に近づいた。良かった……生きてる、夏燐は生きてる。だがそんな俺の喜びをまるで気にする様子もなく、夏燐はつぶやく。

「……シノノメ、クン?」

「……?」

 夏燐の様子がおかしいことに、気が付いた。どうして俺のことをシュンと呼ばない?

「……」

 奇妙な静寂がその場を支配する。雨は絶えず降り続いていて俺の顎から滴り落ちる。

「おい……夏燐?」

 壊れてしまったように、動きを止めた夏燐の頬に触れようと手を伸ばす。その手が夏燐の肌に触れようとした――まさにその瞬間だった。

 キッと夏燐の眼光が鋭さを帯びた。今まで一度も見たことのない夏燐の表情だった。

 ぱあん、空虚な音が響いた。数秒して、俺の手のひらが跳ね除けられたのだとわかる。夏燐が自身の身を守るように片手で胸を抱き、怒りの形相で俺を睨んでいる。

「……触らないで」

 何が起こったのか、わからなかった。

「おい……? 夏燐?」

 なおも俺は手を伸ばす。指先からしずくが落ちる。

「……こっちに来ないで」

 夏燐は不快そうに冷たく言い放つ。

「なあ……どうしたんだ?」

 俺は引き裂かれるような思いをしながら、問いかける。

「喋らないで」

 どこまでも、どこまでも冷たい夏燐の瞳が俺を突き刺していた。その目に射すくめられると俺は体の芯まで凍るような気がして、身動きが取れなくなる。わけわかんねぇよ? いったい何がどうなってるんだよ?

「おい……なんでもいい、こんなところにいたら風邪ひ……」

「喋らないでって言ってるでしょ!」

 悲鳴にも似た夏燐の絶叫が、俺の頭蓋をこだまする。頭が割れそうだった。

「説明、してくれ。いったい……」

 俺の言葉に夏燐は叫ぶ。

「うるさい!」

 夏燐は俺と目すら合わせようとしない。

「なあ、頼むよ……?」

 夏燐は俺に蔑むような目で睨みつけながら、吐き捨てるように言う。

「嫌いになったんだ」

 ……? 俺はその言葉を、理解できない。

「東雲くんのこと、嫌いになったの」

 言葉が俺の胸を抉った。目の前が真っ暗になる。

「嫌い……?」

 理解したくない、その言葉の意味が分かりたくない。

「大っ嫌い、だからもう、どっかに行ってよ。嫌いなんだから。東雲くんを見るだけで不快なの。喋りたくもないの。あっち行ってよ。もう二度と私の前に姿を現さないで」

 絶叫。悲鳴。嘆願。一体何が起こってるんだ……?

「冗談だろ……?」

 俺は問いかける。うん、ごめんね。ちょっとイタズラしたくなったんだ――そう返してくれる夏燐を一瞬でも期待した。

 返答は、さらにひどい怒りの表情だった。腕を組んで傲然と言い返してくる。

「冗談? そんなわけないじゃん。嫌いなの。どうしようもないくらい、嫌いなの、君が」

「……?」

 もう、頭がフラフラだった。

「じゃ、私帰るから。もう二度と私の前に姿を現わさないで。不快なの」

 冷淡にそう言うと、夏燐はくるりと踵を返す。雨の中をびしょ濡れになりながら歩いていく。夏燐の背中が次第に小さくなっていく。遠く、遠く、小さく。夏燐……なぁ、夏燐?

「……ッ」

 俺はバタンと寝転がった。雨が俺の頬をずっと打ち付けていた。全身泥まみれになった。構うものかと思った。

 涙があふれて仕方なかった。雨と泥と涙で俺はぐちゃぐちゃになった。何が悪かった? 何が悪かったんだ? わからなかった。わかるわけがなかった。

「……あぁ……うぁあ……」

 一人雨の中、むせび泣いた。悲しかった。ただただ悲しかった。


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