第二話
翻って、現在。俺は驚愕の事実に目を見開いていた。
先生から言われて座ったその座席。その隣にいたのはなんと――ちょうどこの町に来た時出会った美少女だったからだ。
「あ、君こないだ会ったよね」
なんて件の美少女も目を見開いて驚いている。そんな大きな目で見つめないでください。
「ぐ、偶然だな」
俺は目をそらしながら返答する。その時俺の中では馬鹿な考えがぐるぐると渦巻いていた。おいおいこないだ会った少女がここにいるとか漫画かよ? 今どきの漫画でもこんなベタな展開ありえねーだろ。いやいやこれは現実に起こってるんだぜ? ヤバいだろ。
――端的に言っちまうと「運命じゃね!?」と心の内の俺は叫んでいた。馬鹿じゃね!?
「あ、私の名前は一之瀬 夏燐。いちのせって呼んでも、かりん、って呼んでもいいよ」
テンションマックスな俺を置き去りにして美少女は自己紹介を始める。しかしここでいきなり下の名前を呼べるほど俺のコミュ力は高くない。
「よ、よろしく。一之瀬」
俺がそう言うと、一之瀬は嬉しそうに微笑んでからすっと右手を出した。それが何を表しているのか一瞬わからなくて、俺はきょとんとする。
「握手だよ、握手。もしかして都会の人は握手しないの?」
「そんなわけねぇよ」
俺は笑った。そして一之瀬の右手をとる。美少女の生肌……今日一日手は洗わない。
「いってぇ!?」
俺は思わず声を上げていた。一之瀬の握力が想像以上に強くて俺の骨が軋んだ。いやこれ女子の握力じゃねぇだろってくらい痛いんだが……。
「あ、ごめん! 力入れすぎちゃった!」
一之瀬は俺にぺこりと謝る。
「どんだけ全力なんだよ……」
「まあまあお気になさらずに」
なんてはにかみながら言って、それが可愛いもんだから俺は何も言えなくなる。
「ねぇねぇ、君さっきなんでケータイ使っちゃダメなんて言ったの?」
俺たちの前では教師が何かホームルームの連絡をしていたけど一之瀬は聞いちゃいない。まあ俺もおっさんの声と美少女の声なら後者のほうが聞きたい。
「あー……それはまあ、いろいろあんだよ」
俺は言葉を濁す。この体質のことはできることなら隠していたい。それは、俺がこんな体質だと知ると、いろんなことの理由にされてきたからだ。機械が壊れるたびにハイ俺のせい。そういうのにうんざりしてるわけだ。
「何それ。君ってアレ? 自分が喋ってる時に人がスマホ弄ってたりするのが許せない人?」
微笑みながら一之瀬はそう言った。
「あー、まあ、そういうものだと思ってもらっていい」
俺がそう適当に返すと、一之瀬は鞄の中をまさぐり始めた。そして何かを両手で隠して俺の前まで持ってくる。
「ぱっ!」
と言って手を開くとそこにあるのは一台のスマートフォンだった。俺との距離、実に十五センチ。条件反射的に俺は後ろに吹っ飛んでいった。ガタンガタンと盛大に音を立てながらぶっ倒れる。何てことするんだあの女、俺の新たな高校生活をさっそく終わらせるつもりか。ていうか椅子やら机が腰にぶつかりまくってマジで痛い。なんとか起き上がると先生が唖然とした顔で俺のほうを見つめていて、件の一之瀬はあははっと笑っていた。
「何それ!? 君、もしかしてケータイ電話恐怖症!?」
実に無責任な笑いだと思ったが――まあ、俺が美少女の笑いを取ったと思えば、そんなに気分も悪くねぇよな。
その日授業は昼まで。もう期末試験が終わっちまってるから、授業内容はテスト返したりと俺も結構暇だったり。あまりに暇すぎて隣の一之瀬を眺めたりすることしばし。そのたびに首を傾げられて俺は目をそらす。いちいちそういうしぐさが可愛い。
そんな風にして授業が終わって俺は、じりじりと手強い日が照る中自転車を止めてある駐輪場までやってきていた。まあ、まだぼっちだ。でも友達はできる! 俺はこの学校で親友を作りたいと思っていた。彼女を作るってのは難しいかもしれねぇ、だが俺の体質をわかってくれる親友なら……作れるかも、しれない。そんな希望を胸に抱きながら俺は校門をくぐろうとする。その時後ろから声がかかる。聞き覚えのする透明感のある声。
「お! 学校初日でやらかしてしまった東雲くんだ!」
くるりと振り向く。そこには黒のボブカットの少女。こんな太陽が照っているのに、それから反抗するかのように白い肌。いたずらっぽく笑う一之瀬が立っている。
「一之瀬のせいだろ……」
俺は目を逸らしながら言う。そう、あんな風に俺が吹っ飛んだ後、周りから刺さる視線が痛い。痛すぎる。
「うーん? スマホが怖いってよく分かんないなぁ。使われるのがイヤっていうのは、なんとなくわかるんだけど……」
と言って一之瀬は鞄の中からスマホを取り出して弄り始める。
「こういうのが、イヤなわけ?」
「ああ、イヤだ」
俺が答えると、一之瀬はふうん、なんて言いながら俺に歩いてくる。スマホを見ながら。いわゆるスマホ歩きという奴だった。これは近年問題になっているらしい行動で特に足元がおろそかになるという危険がある――。
その時、信じられないことが起こった。
一之瀬が歩いていたちょうどその地面、そこにあった少し大きな石――それに、一之瀬はつまづいた。一之瀬はバランスを崩し当然のように慌てそしてスマホを――放り投げる。
そこまでは良かったんだ。問題は、それを俺がキャッチしちまったってこと。胃を鷲掴みにしたような感覚が俺を襲った。コケそうになっている一之瀬を俺はまったく気にも留めずに、何度も何度もスマホの電源ボタンを押す。画面は真っ暗なままだ。俺の目の前も真っ暗ってか? 笑えねぇよ。自分の顔がどんどん青ざめていくのが分かる。ああ、またやっちまった。ああ、また、やっちまったんだ。
『あれ? バスが動かないぞ?』『バスが動かないんだって』『誰のせいだ』『俊一だ』『俊一がバス壊した!』『俊一降りちまえよ!』『ねぇあたしのケータイ動かないんだけどどういうこと?』『また俊一がなんか壊したのか……今月何度目だよ』『俊一がテレビ壊した』『弁償しろ!』『弁償しろ!』『弁償しろ!』『弁償しろ!』
俺は一之瀬に向かって、頭を下げた。
「ごめんっ! マジごめん!」
俺の声に対し、一之瀬はきょとんとしている。
「ん……? どゆこと?」
俺が体質を隠しちまったから、こんなことになっちまった。もう今更隠そうなんて思わない。
「実は俺――」
「ホントだ。完全に壊れちゃってる」
一之瀬はスマホをぺしぺしと叩きながらそう言った。
「本当にごめん。弁償する」
俺の謝罪の言葉に一之瀬はしかし――首を横に振る。
「東雲くん謝りすぎ。今回のはスマホを触ってコケた私が完全に悪いじゃん。東雲くんはぜんぜん悪くないよ」
「でも、俺がちゃんと最初からこういう体質って言っておけば、こんなことにはならなかった」
俺の言葉に一之瀬は難しい顔をする。
「だから、ちゃんとお金を払わなきや気が済まないんだ」
一之瀬は真摯な瞳で俺を見つめる。
「別に私が悪いんだし、払わなくていいよ」
でも、ここは引くことができなかった。
「いや、俺の体質のせいだ」
一之瀬も食い下がる。
「私が」
「俺が」
「私が」
「俺が」
「……」
膠着状態。それを破ったのは一之瀬だった。
「そおおおぉぉぉぉぉい!」
派手に叫びながら一之瀬が森の中に投げ込んだのはなんと――つい先ほど俺が壊してしまったスマホだった。一之瀬は俺のほうを見る。にやっと笑う。俺の心を鷲掴みにするほど可愛らしい微笑みだった。
「私にとってあんなのは、本当にいらなかったんだ。私は本当に、ぜんっぜん傷ついてないし、あんなスマートフォンも、いつ捨てようかって思ってたくらい……っていうのは、今ので信じられた?」
俺は唖然としながら頷いた。そして一之瀬はぐっとこちらに顔を近づける。女の子特有の花みたいな香りがふわっと広がった。人差し指を立てて、一之瀬は言う。
「だ・か・ら。東雲くんも謝っちゃダメ! 弁償もいらない! 君のそれを知らなかった私だって十分悪い! それをこれから気にするのも、これからナシ! ……わかった?」
俺は唖然としながら答える。
「……ああ」
「よし。それでよろしい。それじゃ、私は友達と帰るね。ばいばーい!」
一之瀬ははじけるみたいに笑って俺に大きく手を振った。俺は驚きで動けなかった。
そのまま友達のほうへと走っていく一之瀬を俺は見ていた。一之瀬はひとりの女子生徒に飛びついた。俺も自身の家へと帰ろうとしたその時――一之瀬の隣に、男子生徒がいるのに気がついた。女二人に、男一人。もしかして、一之瀬の彼氏だろうか。……彼氏がいても全然おかしくねぇよな、と思った。でも、そう思うと少し胸が苦しい。なんだよ、この胸の痛みは。胸の痛み? 胸の痛みってことは――ああ、そうか、そういうことか。俺はわかっちまう。俺が一之瀬って少女を、少し気になりつつあるってことを。
一之瀬の反応のそれは、今までの誰とも違っていた。スマホを壊したんだ。普通の人なら激怒して弁償するように要求してくるし、事実何度も俺はそんな風に言われたことがある。だが一之瀬はそうじゃなかった。謝る俺を気遣って――私も悪いと強く言い張り、スマホを放り投げて、弁償しようとする俺を本気で説得した。いくらなんでも、優しすぎねぇか? あーあ、極力体質をバレないようにしようと思ってたのに、さっそくバレちまったな。しかもスマホも壊しちまった。どのみちまともな高校生活は送れそうにないらしい。
なら、そんな風に、最初っからめちゃくちゃな高校生活ならば。ほんの少しくらい恋を頑張ったって、バチ当たんねぇんじゃないか……? とか思った。