第三話
外から微かに入る街灯の光を頼りに、俺は一人シャワーを浴びていた。湿度が高く暑い夜だったから、冷水を頭からかぶっていた。頭の中からあの疑問だけが離れねぇ。
俺は夏燐のことが好きなのか?
俺は告白してきた夏燐の姿を思い浮かべる。それはびっくりするほど簡単に、俺の意識の中に現れた。不安げな表情で俺に対する好意を告げた夏燐は、いつも通り少しだけ恥ずかしそうにしていた。
俺はシャワールームから出た。手さぐりでバスタオルを取って身体を拭いて、頭を拭いた。ジャージを着てから、寝室に向かった。
夏燐と恋人になりたいと思った。俺だって、単純に彼女が欲しいとも思うさ。女の子とイチャイチャしたり、いろんなことをしたいって思う、当然だろ、高校二年だ。でも、それだけで決めちゃいけないってのもわかってる。そんな勢いだけで言ったって、夏燐を裏切ることになるのくらい、馬鹿な俺にだってわかる。
俺は布団の中に入った。今日の枕はやけに硬いような気がした。すぐに眠気は訪れて、俺は暗闇の中に落ちていった。
ぼんやりと浮かんでくるのは一つの風景、光景だった。何もかもが霧にかかったみたいで判然としない。そんな中で誰かがしゃべるのがわかった。
「やめてよ、俊一。あっち行ってて」
「べつに、いいじゃん。触らないから、大丈夫だって」
これは、なんだ?
「知らない。そう言って前もなんか壊してたじゃん。お父さん、俊一がテレビ見ようとするー」
呼ばれた親父が、俺にいかつい表情で言った。
「俊一、自分の部屋に戻っていろ」
俺は反抗できなくって、とぼとぼと階段を上がっていく。ボタンやらスイッチやら電灯やらに、極力触れないよう気を付けながら。壊したらまた、怒られる。
「ねぇお父さんあたしここ行きたい。今度みんなで行こう?」
「お父さんも行きたいけど……うちには俊一がいるから」
姉は憮然として言い返す。
「じゃあ、俊一なしで行けばいいじゃん」
俺の心に何かが刺さる。
「それは……」
その映像はそこで途切れて、続いて映るのはまた別のワンシーンだった。
「おかぁーさぁーん、ゲームが、ゲームが動かなくなったぁ!」
泣きじゃくる子供がいた。年齢は小学生くらいに見えた。
「あらあらどうしたの○○。なにがあったか言ってごらんなさい」
ああ、俺は思い出す。これは俺が小学生の時に起こった出来事だ。俺の友達は、自分のゲーム機にジュースかなんかをぶっかけて――それを、壊したんだっけか。
「俊一君が触ったの! だからぁ、壊れちゃったんだぁ!」
俺の目の前が、真っ暗になる。
「ち、違うよ! おれはそれ、触ってなんかないよ!」
「嘘だ! 俊一君が触ったから、壊れたんだ! ねぇお母さん聞いてよ。俊一君が触ったからこれ、壊れちゃったんだよぉ」
「さ、触ってないって! ほら、ジュースがかかったから、壊れたんだって!」
俺はその友達の母親に不安げな目を向ける。
「……俊一君、ウソは良くないわ。俊一君は、触ったんでしょ? それで、うちの子のゲーム機を壊した。弁償してもらわなくっちゃ、いけないね」
『弁償』たった一つの言葉が、何度も俺の胸を抉った。
「触ってないって……言ってるのに……っ!」
俺はずびずびと泣きじゃくった。友達とその親は冷ややかに嘲笑した。悔しくって悔しくって、余計に涙しか出てこなかった。俺は何度も自分の体質を呪った。
次第にその映像も、遠ざかっていく。はるか遠い映像のようにも見える。
どうしてこんなことを、夢に見ちまうんだろうな。もうとっくの昔に、記憶の奥に放りこんだつもりでいたってのに。
何度も責められた。怒られた。ぶっ壊した。
ああ、俺は自分のこの体質が大嫌いだ。本当に、大嫌いだ――。
「うちの子は、そんなことをする子じゃありません」
突如響いた、凛とした声。泣きじゃくってた俺はそっちに目を向ける。そこにいるのは――かーちゃんの、姿だった。
「お宅の子がうちの子のゲーム機を壊したんですけど。どうしてくれるんですか」
相手の親が反撃する。かーちゃんは微動だにしない。
「何度も言っているでしょう。うちの子は触ってなんかいません。そもそもそのゲーム機、触ったらベタベタするでしょ。お子さんがジュースをかけた証拠ですよ」
その言葉に、相手の親は発狂する。
「うちの子が嘘をついているっていうんですか!?」
それでもかーちゃんは全く動かなくて――
「だから、そうだと言っているんです。これ以上俊一に無意味な疑いをかけないでください。迷惑です」
毅然とした態度で、そう言ったんだっけ。相手の親は、何も言い返せなかったな。そうだ、だから俺はかーちゃんのことを大切に思っていて、唯一俺のことを認めて育ててくれたかーちゃんを大事に思ってて――
『それは、シュンの個性だよ』
誰かの言葉を思い出した。
認めてくれた奴がもう一人、居たんじゃなかったのか。
『私は二回も、シュンの体質に助けられてるんだよ?』
一之瀬 夏燐。
俺の体質を肯定的にとらえてくれた、たった二人目の、少女。
なぁ、俺よ。そんなのもう十分、好きって理由になるんじゃないのか?
もう、認めちまえよ。お前は一之瀬 夏燐が――好きなんだってことを、さ。