第四話
「澪奈ったら何してるの!」
東雲が横たわっている中、夏燐は怒っていた。
「うるさいわね。あの状況だと仕方がなかったのよ。元はと言えば私が時間を稼いでいる間に手首を回収できなかったあなたの責任じゃない」
澪奈の言葉に夏燐はうっ、と言葉を詰まらせる。
「そ、それは……そう、だけど」
「……………………東雲に夏燐の正体がバレる危険があった」
静が言う。夏燐が突っかかる。
「なに。文句あるの」
「もちろん、あるとも。とても危険な状況だった」
「でも実際にバレてない」
「それは結果論だ。バレた時にはもう手遅れだろう」
「川に私の手首が流れていたとして、まさかそれを私のものだとは思わないでしょ? 常識的に考えたらね」
「……それも推察に過ぎない」
「それに私だって、みすみすもげた手首を見せる様なことはしないよ。そういうの、私がイヤってことよく知ってるでしょ?」
「………………だが、万が一にでも東雲が感づけば……」
それでも渋い顔の静に、澪奈は言う。
「私は夏燐の意見に賛成ね。夏燐がバレるとは、やっぱり到底思えない」
「……だがやはり、東雲の体質は……」
それでも反論しようとする静に、夏燐はついに怒ってしまう。
「もう! うるさい! あっち行ってて!」
静はその言葉に目をピクリと開く。――きっと、結構ショック受けてるわね。澪奈は言う。
「……静、ちょっと散歩しましょう。夏燐は東雲くんを見ておいてくれるかしら」
澪奈はそのまま静の袖を掴んで林の中を歩いていく。
「………………どうして、夏燐はわかってくれないんだろうか」
それは夏燐が東雲くんのことを気に入っているからよ、とは言えなかった。
「あんな風にピンチを助けられたんだもの。少しくらい仲良くなりたいと思うのはごく自然でしょう。……でも、あなたの東雲くんを、夏燐に近づけさせたくないという気持ちもわかる」
「とってつけたように同情するな。澪奈が夏燐の応援したいことくらい、俺にだってわかる」
「私は事実を言っているのよ。ごく当たり前の事実として私はあなたの意見だってよくわかるの。……でもあなたの言う通り今の私には、夏燐のやりたいようにさせたいという気持ちのほうが強いけれど」
澪奈の言葉に、静は少し遠い目をする。
「…………俺は、自分と澪奈を夏燐の親という役目だと思っている」
親、ね。
「親というのは子の危険を除いてやり、誤った道を歩もうとするならそれを諭し変えるべきだ。それが危険な道だというのなら尚更、な」
「そしてそれが同時に、私たちの任務でもあるわけね」
「夏燐を俺たちが護衛するようになって半年が経った。俺も澪奈も、かなりあの子に情を抱いてしまっている。……こんなこと、数年前なら考えられなかった」
「殺し屋をやっているなら、情なんて無駄だったのでしょう」
「ああ。だが俺は夏燐という少女に情を抱いてしまっている。もっと狡猾で知能の高いアンドロイドなら、軽蔑することもできただろう。だが夏燐は違った。夏燐はアンドロイドや普通の高校生と比べるなら――幼すぎる」
「同感ね。彼女の精神年齢は著しく低い。それは賢さとか立ち振る舞いとかそういう意味ではなくて、人生経験と言うところで顕著に表れている」
「だから俺は東雲と夏燐が接触することを歓迎しない。あまりに危険だからだ。いろいろな意味で、な」
澪奈はその「いろいろな意味」が何を表しているのかぼんやりとわかってしまう。そしてそれが同時に、あまりに危険であるということにも。もうすでに二人は、惹かれあってしまっている。
「……手遅れかも、しれないわね」
澪奈はぼそりと言う。
「なんか言ったか?」
「いえ。なんでもないわ。戻りましょう」
「あ、起きた」
夏燐の顔がすぐそこにあって、俺は目を開いたまま固まっちまう。……なんか知らねぇけど、頭がガンガンするな。確か夏燐の水着が流されてそれで――あれ? どうなったんだっけ?
「しゅ、シュン、溺れちゃったらしいよ。澪奈が助けてくれたんだって」
おいおいマジかよ……いつから俺そんなひ弱になったんだ。
「たぶん、直射日光とかひどかったからそれで倒れちゃったんだと思う」
「そうか……暑さには慣れてると思ってたんだけどな」
クーラーとか使わねぇし。
「もう川に入るにはちょっと寒いし、帰ろうってなったんだけど、大丈夫だよね?」
「ああ……なんか、わりぃな。俺のせいでダメにしちまったような感じになって」
俺がそう言うと、夏燐は目を見開いて手をぶんぶんと振る。
「そっそんなことないよ! シュンは全然悪くない! 悪いのは全部――ううん、太陽だよ! 太陽が全部悪いんだよ!」
す、すげぇフォローだな。逆に申し訳なくなるくらいだぜ。
「お、おう。ありがとうな」
「それじゃ、着替えて。そしたら帰ろ?」
「ああ。すまんな、待たせちまって」
「いいっていいって。気にしてないよ全然。ホントだよ?」
「そ、そうか。サンキュな。んじゃ帰るか」
そんないくつかの言葉のやり取りがあって、俺と夏燐と四宮と徳永は、帰路についたわけだった。
俺はずっと、友達という存在に憧れていた。仲がいい友達なんてものには、小学校以来出会えちゃいない。仲良くしてくれる奴はいたけど、どんな電子機器も壊しちまう俺を心のどこかで毛嫌いして、鬱陶しがっていた。俺の考えすぎかも知んねぇけどな。だから俺には友達がほとんどいなかった。誰も俺と積極的にかかわろうとはしなかった。でも俺は俺でその事実に納得していたんだ。こんな体質じゃしょうがない、って具合にな。でも今日の一件があって、俺は少しだけ温かい気分になっていた。幸せと、言い換えてもいい。
――友達ってのはいいもんだな。
帰り道、夏燐と四宮と喋りながら歩く途中で、俺はふとそんなことを思った。空がちょうど夕暮れで綺麗だったってのも、あるかもしれない。こんな風に友達と楽しく喋りながら遊びに行ったことなんて、もう思い出せないほど昔の出来事でしかない。学校の旅行なんて、行ったこともねぇもん。車に乗ったら、壊れちまうし。
徒歩で友達と遊びに行く。俺にとってそれは新鮮で、温かくて、幸福なことだった。だから――俺は、こう言った。言いたくなった。
「なあ、夏燐」
「ん?」
「また、こんな風にして遊ぼうな」
「え!? う、うん。全然いいけど」
「私も一緒に、ね」
「もちろん四宮も一緒だ。あと出来れば徳永も、な」
俺はそんな具合にして、次の約束を取り付けた。初めてできた友達って存在に俺は舞い上がっていた。
友達と遊ぶってのは、こんなにも、楽しいもんなのかな。
俺は隣で四宮と喋りながら笑う夏燐を見て、そう思った。でもこの気持ちはそれだけじゃないってことも、俺にはうすうすわかっていた。でもそれをはっきりと自覚するのがなんとなく嫌で、俺にとっての夏燐は友達なのだと自身に言い聞かせた。今はまだ、友達なのだと。
少なくとも今はまだ、俺と夏燐は友達なんだ。