勇気とタイミング
白濁した粘性の液体で全身ドロドロのちわさん。
俺に向かって歩を進めながら、ゆっくりと上着を脱ぎ捨てる。
その下のシャツはべっとりと体に張り付いて、肌と黒い下着の色が透けている。
そうして見える様になった体のラインは、キヨメさん同様男の理想を体現した完璧な物だった。
胸の大きさはキヨメさんと比べると流石にあそこまでではないが、それでも十分に巨乳と言える。
むしろ体型全体のバランスという意味では、この大きさの方が整っているのかもしれない。
そんなちわさんの魅力的な肢体だが。
それを見て色気を感じるより先にまず思うのが。
(ぶっちゃけきたねぇ!)
全身精液まみれとか最悪だろおい!
どんだけ姿が色っぽくても無理だっつの!
歩いている時にたらっと糸を引きながら垂れるその液体が、本当に無理だ。
……いや。
もしそれが俺自身の体から出た物なら、それはそういう物として別な感想を抱いたかもしれない。
けど、今は無理だ。
俺の遺伝子を使っているとか言われても、無理だ。
汚いとしか思えない。
「ちわさんストップ! 落ち着いてくれ!」
なので、止める。
割と必死に、止める。
「落ち着いてくれ? いやいや、落ち着いてるよ? 私は」
「いやいやいや、落ち着いてない。全っ然、落ち着いてなんかいないぞ!? いいか、ちわさん。よく見ろ! 俺だぞ!? ここに居るのは、俺なんだぞ!? 初対面の俺なんかと、そういう事したくないだろ!?」
「いやいやいやいや。したいね、したい。超したい。創太様とガッツリ濃厚ハードセックス、朝までしたい」
「何言ってんのお前!?」
駄目だこいつ頭おかしい。
ていうか今まだ夕方だぞ!?
今から朝までって、んな事したら俺死ぬわ!
「ちわさん、違うんだ! いいか!? よく聞け! ちわさんが今抱いてるその感情は、所有者登録だかなんだか、それが原因らしいんだ!」
「うん、だろうね」
「わかってるのか、なら話は早い。そんな作られた気持ちなんかに流されて……」
「創太様さぁ……何か勘違いしてない?」
「え?」
「別に私達は、凶悪な秘密組織に作られたって訳じゃないんだよ? 作ったのは日和様。その日和様が私達のの心に無茶苦茶な強制なんてかける訳無いじゃん」
「……どういう事だ?」
「だからさー。きー先輩も私も、自分の意思で創太様の事を所有者として選んだって事。もし嫌なら断る事も出来たの。けど、断らなかった。流石に会った事も無い創太様に一目惚れしたから選んだとか、そんなロマンチックな話ではないけど。写真で姿を見て、データから人となりを知って。それでこの人が自分の所有者ってのも悪くないかなと思ったから、OKしたの」
「え? いや……え?」
「容姿も中々で悪くないし、性格は多少難ありだけど別に悪人て訳じゃないし。言う程相手として悪くないよ? 創太様。もっと自分に自信持ちなよ」
「………………」
性格は多少難ありが気になるんだが、それでも総合点で見て合格だと褒められているのはわかる。
「だからさ。私にしてみればこれは、全然合意の上の感情な訳」
「い、いや……にしたって……な?」
いつの間にか目の前にまで来ていたちわさんが、俺の頬を優しく触る。
すると彼女の手の平から、ぬちゃり、と嫌な感触が……。
「……いやー……きー先輩凄いわ……。我慢出来ないって、これ……」
「な、何がだ……?」
「私達はさ……、やっぱそういう事の為に作られた人造人間だから、そういう事を嫌がらない様に、性欲が強めに作ってあるのよ。そして、所有者登録ってのをされると、その相手が自分にとって世界で唯一の性の対象になるの……。わかる? 創太様。つまり私やきー先輩にとって創太様は、世界に唯一存在する異性で、世界で一番魅力的に見える相手なの」
「だ、だからその感情は所有者登録のせいだろ? 自分で言ったろうが、ちわさん。俺の性格に多少難ありって。なのにその俺が世界で一番魅力的っておかしいだろ」
「惚れる相手が完璧である必要なんか無いじゃない。一度好きになっちゃえば相手のどんな悪い所も許せちゃう、欠点が気にならないどころかむしろそこが可愛いと思えちゃう。そういう気持ち、人間の創太様の方がわかると思うけど?」
な、何だよそれ……。
「……創太様は私の事、嫌い?」
「え!? ……いや、そんな事無いけどよ。今日初めて会ったのに好きも嫌いも……」
「じゃあ、私の顔は? 体は?」
「体!?」
ちわさんが自分のシャツのボタンを、片手で一つずつ外しながら言う。
「こっちとしては、正直立ってくれればそれで良いんだよね」
「た、たたた、た、立つ!? な、何だよそれ! お、俺の体だけが目当てなのか!?」
動揺して、男にもてあそばれた女の子みたいなセリフを言ってしまった。
「うん」
「!?」
「創太様だって、自分の好きなアイドルとやれるって言われたら、やるでしょ? 相手が自分を好きとか嫌いとか関係無く。出来るならただ、したいでしょ?」
「こ……」
この女とんでもねぇ!
キヨメさんの方がまだマシだ!
「さぁ……創太様……」
「ま、待て!」
ちわさんが色っぽく染まった顔を、ゆっくりと近付けてくる。
「た……た……」
助けてくれ――!
その時。
「!?」
震動と共に地面が割れ、そこから沢山の触手が伸びてきたかと思うと、その場に居た四人全員の体を一瞬にして絡め取った。
「創太さん、無事ですか!?」
「キヨメさん!」
割れた地の裂け目から飛び出してきたのはキヨメさん。
「無事だったのか!?」
「当然です! ハードなSMプレイにも耐えられるように、私達の体は丈夫なんです!」
「最悪だ!」
何にせよ無事でよかった。
「ちわちゃん!」
「……きー先輩」
「この程度じゃ私は倒れませんよ!? 創太さんの貞操を奪いたければ、まずは私を倒していって下さい! 創太さんの貞操は、誰にも渡しません!」
「最悪だよ本当お前!」
けど、調子に乗ってデカい口を叩いているだけという訳でもなさそうだ。
油断していたのだろうちわさんの事を、この不意打ちの一瞬で上手く押さえこんでいた。
手の平に触れない様注意して、腕や足、腰の部分に触手を巻きつけてガッチリ拘束している。
この状態では流石のちわさんも抜け出す事が出来ないだろう。
「駄目押しです!」
更に、巻きつけた触手から大量の液体が滲み出す。
それはいつもの滑らせる物ではなく、ボンドの様に粘着し、固める物らしい。
触手による拘束だけではなくその体液によって完全に動けなくされたちわさんが、キヨメさんの事を睨みつける。
「少し頭を冷やしましょう、ちわちゃん……。気持ちが高ぶるのはわかりますけど、冷静になって下さい。男も女も同じです。相手が嫌がっているのに無理やりとかそういうの、駄目ですよ」
「フェロモンでどさくさに紛れて無理やり俺に手を出させようとしたのは誰だよ」
「………………」
無視しやがった。
「これでとりあえず一件落着みたいですね。部長さんと杏奈さんの催眠も解いておきます」
すると、部長と杏奈の俺の腕を掴む力が弱まった。
「二人共、大丈夫か?」
「ん…………ええ……大丈夫」
「また催眠……また催眠……!」
眉間に指を当てて揉みながら頷く部長と、憎々しげにちわさんを睨む杏奈。
前の時みたいに、催眠をかけられていた時の記憶はちゃんとあるらしい。
「凄いわね、この催眠……。一度かけられると、かけられている間、本当に自分が催眠にかかっている事に気付かないのね。平賀の腕を掴んでいる時も、ちわちゃんと平賀の会話を聞いている時も、自分の行動に何も違和感を覚えていなかったわ私」
「そうなんですか。俺はそれかけられた事無いので、ちょっとその感覚わかんないんですけど。……それより、そろそろ俺の腕、離してもらってもいいですか?」
「嫌よ」
「何でだよ」
相変わらず意味がわからん。
「杏奈も。早く離せ」
「嫌」
「何でだよ!?」
「…………師匠、何で私に言う時だけちょっと厳しめなの?」
「え!?」
「……私の事、嫌い?」
「いや、嫌いじゃねぇけど……」
「じゃあ、好き?」
「………………」
面倒くせぇ!
絡み方が本当に面倒くせぇ!
「…………きー先輩……」
拘束されたちわさんがキヨメさんに話しかける。
「どうしました? ちわちゃん。ちょっとは落ち着きました?」
「………………」
ちわさんの視線が厳しいままだ。
「きー先輩……本当に…………邪魔!」
「!? ち、ちわちゃん、それ!」
巻きついていた触手と固まっていた体液が、ドロドロと溶解していく。
「な、何でだ!?」
「……この力の元々の使い方はね?」
ちわさんがキヨメさんを睨んだまま疑問に答えてくれる。
触手と共に溶けた衣服が形状を変えて、うちの学校の制服に変わっていく。
「こうやって着ている服を好みの物に変えて色んなプレイを楽しんだり、その場にある物から楽しい玩具を作ったりする為なの」
「じゃあ……」
「そう。別に物に触れるのは手だけじゃなくて、全身どこでもいいって訳」
「………………」
キヨメさんが緊張した表情でこちらを見る。
「創太さん……すみません。想定外というか、予定変更というか……。結論を言うと、今すぐ三人で逃げて下さい。時間、私がなんとか稼ぎますから」
「お、おい、キヨメさん?」
「……考えが本当に甘かったです。今のちわちゃん、完全に理性がとんでます」
ちわさんがキヨメさんを睨み続けている。
「今のちわちゃんは、飢えた獣です。創太さんという獲物を何が何でも食らうつもりで、それを邪魔した私を、本気で排除しようと思ってます」
キヨメさんの言葉が聞こえているだろうに、そんな言われ方してもちわさんは一切反応しない。
「きー先輩……。そこをどいてとは言わないよ。どうせ言ってもどかないのはわかってるし」
ちわさんがキヨメさんの言った比喩通り、まるで襲い掛かろうとする獣の様にグッと上半身を低くして、膝を曲げる。
「力づくで……排除する!」
「逃げて下さい創太さん!」
そう叫ぶと、キヨメさんが触手を伸ばしながらちわさんへと向かって駆け出す。
「キヨメさん!」
どうして自分からちわさんの方へ!?
(! 俺のせいか!)
キヨメさんが逃げてしまうと、俺がそのまま狙われる可能性があるから……!
「きー先輩!」
ちわさんに伸ばしていた触手はあっさり溶かされてしまったが、他の触手を地面に突き刺して自分の体を高く持ち上げ、キヨメさん自身はちわさんの事を飛び越えて背後に着地していた。
「チィッ!」
ちわさんが振り向いてキヨメさんに襲い掛かろうとするが。
「うわっ!」
つるん、と足を滑らせて転ぶ。
「ちーわーちゃん? 先輩を甘く見ちゃいけませんよ?」
滑る方の粘液を道路に撒いていたらしい。
わざと挑発する様な言い方でちわさんに言う。
「……っ!」
ズブ、と少しだけちわさんの足が道路に沈む。
転ばない様に道路ごと粘液を溶かす事にしたらしい。
「師匠」
杏奈が俺の腕をギュッと掴む。
「どうにか出来ないの?」
「どうにかって……」
確かにこのままじゃマズい。
けど……どうすれば……。
「ただ平賀とセックスしたいってだけでこんな殺し合いになってると考えると、凄い話よね」
「ころ……っ」
部長が物騒な事を言い出す。
「そうでしょ? 多分このままじゃキヨメちゃん、あの触手みたいにドロドロに溶かされちゃうわよ?」
「なっ――!」
「彼女、体が丈夫だとは言っていたけど、流石に体を溶かされて無事で済むとは思えないわ」
「――っ!」
慌てて腕を上げようとするが、何故か部長が強くその腕を押さえこんで、離してくれない。
「どうするの、平賀」
「部長」
「あの子は今、あんたの為に戦ってる。その理由は正直私にはアホっぽく思えるし、命をかける程の事には思えないけど……。それでもあの子達にとってそれは、とても大切な事で、真剣な事なのよ」
「……部長!」
「それで、どうするの? あんたは。あんたの為に戦ってる彼女を、見捨てるの?」
「み、見捨てるつもりなんか!」
「じゃあ、助けるのね。どうやって?」
「それは……」
腕に力を込めるが、離してくれない。
「あんたの為に命をかけて戦ってるあの子を、あんたは人任せにするつもりなの?」
「ひ、人任せって……だって、俺には……」
「あるでしょ? 平賀には。あの子を助ける力が」
「お、俺の力? ……俺にはそんな力……」
「あんたの発明品があるでしょ!」
「!?」
(何で部長がその事を?)
「発明品?」
杏奈が聞いてくるが、それに答える余裕は無い。
「どうしてあれを使わないのよ!」
「無理ですよそんなの! ……だ、だってちわさんは……キヨメさんは……。…………二人は、日和の作った発明品で……」
「誰が作ったとか関係無いでしょ!? 今、あの子を助けられるのは誰なの!」
「そ、それは……」
「見なさい! あのままじゃキヨメちゃん、本当に殺されちゃうわよ!? それもよりによって、性欲処理の邪魔をしたなんてアホな理由で!」
「…………でも、俺なんかが作った発明品じゃ……」
「……なんかじゃない」
「杏奈?」
「師匠は俺なんか、じゃない」
杏奈が俺の目を真っ直ぐ見つめる。
「私は、その日和って人の事知らない。知ってるのは師匠の事だけ」
「…………」
「私の知ってる師匠は、凄い発明家。最高の発明家」
「杏奈、それは……」
「誰よりとか、何よりとかじゃない。師匠は凄い。それだけ。誰かと比べなくていい、何かと比べなくてもいい。私がそう思ってる。師匠は、凄い」
誰かと、比べなくていい……。
「私にとっての師匠は、最高の発明家。だから、その師匠が作った物があるなら。きっと今、役に立つ」
「杏奈……」
「……怖い? 自分の才能と、天才杉田日和の実力を比較されるのが」
「っ!?」
「……いえ、違うわね。平賀はその才能と実力の差を、自分の目で見るのが怖くて、辛いのね」
「な、何を……何で……」
「見ればわかるのよ」
「いてっ」
部長に腰をバシンと叩かれる。
「自分の才能の無さに悔しさを感じて悩んでいるのは、あんただけじゃない。私達だって同じ悩みで、何度も悔しさを感じてる。だから、同じ様な事で苦しんでいる人の事は、見ればすぐにわかるのよ」
「部長……」
「落ち込むのは慣れてる」
「杏奈……」
「その分、元気の出し方知ってる」
杏奈がビッ、と親指を立てる。
(そうだ。俺だけじゃない。皆同じなんだ)
自分の好きな事、得意な事が誰かより上手く出来なくて、悔しくて、悩んで、苦しんで。
そんな経験、誰にだってある筈。
そのまま負けの悔しさに怯えて、俺みたいに好きな事を諦める人も居る。
けど、その悔しさをバネに、乗り越える人達も居る。
正に目の前の二人がそうだ。
好きな事から、逃げない。
好きな事だからこそそういう時、辛く、苦しいのに。
彼女達は逃げないんだ。
なんて、強いんだろう。
「トラウマを乗り越えるには、勇気とタイミングが必要よ。そして、キヨメちゃんには悪いけど、あんたにとってのタイミングが今、ここにある」
部長と杏奈が俺を見る。
「後必要なのは、平賀。あんたの勇気だけ」
「………………」
これは、トラウマになる様な大げさな事じゃないのかもしれない。
誰しもが経験し、折り合いをつける事。
けど、弱い俺は、その事に怯えてしまっている。
才能という言葉に、恐怖してしまっている。
「…………部長、杏奈」
「何?」「………………」
表情を見られない様顔を俯き気味にして、呟く。
「……俺、もしここでコケたら、かなり落ち込むんですけど」
「そしたら私達が慰めてあげるわよ」
「元気、出させる」
杏奈がもう片方の手の親指をビッ、と立てる。
「…………ははっ」
勇気、出た。
「じゃあ、試してみます。…………いえ」
しっかりと顔を上げて、宣言する。
「助けてみせます。必ず!」
二人が微笑んでくれる。
「…………けど、あれ作ったのは小さい頃ですし、今呼んだところで本当に意味があるかどうか……」
「……あんた、助けるって言い切った後にそれは、恰好悪すぎよ」
「……っすよね。はい、やっぱ今の聞かなかった事にして下さい」
そう言うと、髪に手を当てて、ゴツくて小さな髪留めを外す。
「………………」
少しだけ、緊張する。
「……すぅ」
一度だけ、深く息を吸って。
「はぁ……」
吐いて。
深呼吸をする。
(……よし!)
大丈夫。
きっといける。
(いや、絶対にいける!)
髪留めを持つ手に力を込める。
(今助けるぞ、キヨメさん!)
「このっ! このっ! このっ! このっ!」
「あはははは! どうしましたちわちゃん! そんなんじゃ私はいつまで経っても倒せませんよ!?」
タカアシガニの足みたいに長く触手を伸ばして、自分の体を高い場所に位置付けると、そこからちわさんを挑発するキヨメさん。
ちわさんはその触手を下からひたすら切断するのだが、切っても切っても新しいのがすぐに生えて来るのでキリが無い。
「…………あれ、本当に俺が助ける必要……」
「いいから早くしなさい!」




