第01話
1話は短編を修正した物なので内容は変わりませんのでご了承下さい。R15は保険です。週一ペースでの更新予定です。気長にお読み下さい。
大学を卒業して特技もこれといったものがない相田佳世は、不況で就職できずに派遣会社に登録していくつかの会社を渡り歩いた。
そうして社会に出て働き出して気付けば2年になった。
現在派遣されている会社との契約も残す所半年になるが、卒業したての頃のように就職したいという気持ちはなくなっていた。
派遣でいろんな会社で経験を積んでいるのも予想していたよりも充実していたし実家暮らしという甘えもあるからか正社員になってその会社で働きたいとも思えない。
実家から通える範囲の仕事場にしているためにどこで仕事しようとも、仕事帰りに帰宅途中で乗り換えで降りた駅にある大きな本屋に寄り道をするのが、働き出してからの変わらない日課だったりする。
佳世が電車から降りると外は5月といえど昼間の温かさとはうってかわって夜は冷える。
上着のボタンをしっかりと留めて早足に今日も疲れた身体に最後の活を入れて、佳世にとってはお馴染みの本屋に足を運んだ。
「面白そうなのあるかな?」
10階建てのビルの中の9・10階分のフロアが本屋になっているために一番上の階である10階まで向かうエレベータの前に辿り着く。
肌寒い外と比べてビルの中は、早足で多少身体の温まった佳世には暑いくらいだった。
汗をかきそうになって仕方なく上着を脱いで腕にぶら下げた。
すぐにきたエレベータには佳世しか乗らずいつものように本屋のある10階のボタンを押す。
エレベータを降りてそのままふらふらと本屋の中に入る。
ゆっくりと小説コーナーを歩いていると、一人の男性の姿が目に飛び込んできた。
――また、あの人だ。
大きな本屋であっても複数の電車の路線がある駅は通過点になるため、昼間はどうか知らないが佳世が店に入るのは閉店までおよそ1時間前のためかさほど人は多くない。
ほぼ毎日この本屋に通っているが、その観察結果からすればこの本屋に足を運ぶ人は平日の夜ともなれば一定化する。
何となく「この人この前も見たな」とぼんやりと思うくらいにはなった。
その何人かの人の中ではっきりと認識している男性は、ここ一か月の間に同じ時間に週二回ほど見かける。
スーツの似合ういかにも仕事ができそうな雰囲気のある背の高い男性だった。
佳世が働いている現在の派遣先は、大体が女性の多い職場ばかりなので若い男性の姿は会社では見ない。
大学は共学だったが、文学部で女子の比率が高かった。そのため地味な佳世に声をかけるような男性はいなかった。
社会人になっても派遣ということもあって合コンなどにさほど誘いもされずにのほほんと過ごしている。
友人たちは何度か誘ってくれたが、いつも仕事などを理由に断ってきた。
特に恋人を作りたいという欲求も沸かないし、小説なんかで素敵な男性を妄想するのが楽しかったりする現状に満足だった。
友人たちの話を聞くと交際費はどうしてもかかってしまうため、好きな人がいない佳世はわざわざ無駄な費用を出して無理に男性と交際するよりも、好きな本を購入する費用に当てたい気持ちが強かった。
佳世の両親も特に恋人を作るように勧めたりもしない。
「好きな人ができたら努力しなさい」
いつもそう言われて気付けば社会人になっていたが、だからと言って焦る気持ちも沸かなかった。
大学卒業を契機に一度一人暮らしをしようと話したら止められた。
両親が言うには「実家で暮らして何でも一人で出来るようになって欲しい」そうだ。
だからお金はしっかり貯めて老後のことも考えるようにと諭した両親には感謝している。
同じ年代の従姉妹たちは早々に結婚しているが、両親が佳世に無理強いすることはなかった。
両親としては恋人を作るよりも本屋通いに魅力を感じる娘が不憫に思えるのか、「本屋通いばかりするのは止めて欲しい」と切実そうにお願いはされたが、それだけは無理なことだ。
――小説が読めないなんて耐えられない。
だからといって本屋で働く気持ちにはなれなかった。
学生時代に短期でバイトをしたことがあるが、多少のんびりした不器用な佳世には店員になって手早く包装したりするのは難しかった。
「本屋は通うところだね」
つくづく佳世はそう実感した。
普段からのんびりした状態だから、現実に素敵な男性に出会うことはない。
そもそも人の顔と名前を覚えるのを面倒くさがる佳世はいちいち男性のチェックなどしない。
そんな中で多くの女性が素敵だと認めそうな男性に最初に気付いたのは、背中合わせに接触したときのことだ。
またそんな出来事でもなければいくら男性が存在感があろうと佳世はぼんやりとしか記憶しなかっただろう。
いつものように帰宅途中で本屋に寄り道をしていた。
その日は佳世の好きな作家が数年ぶりに新刊を出していた。
事前にその情報を知らず、たまたま小説の新刊コーナーで山盛りにされているの見て気付いたときは佳世は内心では悔しかった。
新刊本はどうしても発売日にできるだけ早く手に入れたいからだ。
「朝の時点で気付いてれば電車で読めてたのにな」
急いで購入予定になったその小説を斜め読みして夢中になって内容を確認していたら背中にトンと軽い衝撃がきた。
持っていた本が折れないように慌てて閉じて衝撃の元を探す。
佳世が振り向いたすぐ近くにはスーツ姿の男性の姿があった。
平均的な身長の佳世よりも男性の方が身長が高いのか、見えたのは肩だった。
「大丈夫ですか?」
耳元に届いたのはやけに色気のある声だった。
佳世が声の発生源をと視線を上にあげて見ると、整った顔をした男性の目と視線が合った。
――凄い存在感のある人。
それが男性に対する佳世の第一印象だった。
免疫のない佳世は、自分よりもいくつか年上だろう男性の言葉に頷くだけで手一杯になった。
その男性の顔が予想以上に佳世の好みに合致していて、これが現実なのか夢なのか一瞬分からなくなる。
ばくばくする心臓と赤くなっている顔の熱を抑えようと必死になった。
すぐに現実だと分かった佳世は現状にかなり慌てた。
小さな声で「すみません」と謝ってその場から退散することだけに意識を向けた。
「ちょっと、まっ……」
遠くに男性の声がしたような気もしたが、佳世はとにかくその場から逃げることだけに集中する。
購入予定だったせっかくの新刊を元の山積みの場所にそのまま置いて、慌てて本屋から帰宅するしかなかった。
自分がどうやって電車に乗って駅から帰宅したのか記憶にないが、気付いたら帰宅していて無意識の内にあとは寝るだけの状態にいつの間にかなっていた。
そんな自分に驚き呆れながらも自室のベッドで佳世は目をつぶりながら思わず呟く。
「うー。せっかくの新刊が明日に持ち越しか。……でも、あんな素敵な人が現実にもいるのね」
耳元で話しかけられて動揺してしまったが、それも無理はないだろうと思えた。
不意をつかれたのもあるが佳世が憧れる男性像に似ていたのだ。
予想外の素敵な男性との接触に落ち着いたはずの鼓動が思い出したらまた早まった。
何度か深呼吸をして鼓動を落ち着かせる。
「もう二度と会わないだろうし、さっさと忘れてしまおう」
そうは思いつつもその日の晩は興奮してどうにも眠るのが遅くなって翌日の仕事が佳世には辛かった。
その佳世にとって恥ずかしい出来事があってから一週間した頃だった。
忘れようとした男性の姿をまたもや同じ本屋で見かけた。
慌てて男性の視界に入らないように身を隠したが、そこで自分の滑稽さに気付いた。
「きっとあの人だって私のことなんか忘れてるよね」
たった一度軽く身体がぶつかっただけのことだ。
そんなことがあったことを相手は忘れ去っているだろうと思えた。
この本屋はお気に入りの場所でたった一度の恥とも言い切れないような出来事にいつまでもこだわっているのが佳世には恥ずかしかった。
開き直って挙動不振な態度をやめて今までのように本屋での時間を楽しむようにした。
元通りになってからもたまにその男性を見かけるようになった。
あれ以来佳世自身接触しないように本に集中しすぎないようにしているか、男性が店にいるとその様子をこっそり楽しむ余裕も生まれた。
スーツの似合う男性は、目の保養にとても良いとあからさまに見つめすぎないように気をつけて楽しんでいた。
アイドルに憧れる学生のように男性を見ると心が浮き立ったが、あくまでそれは目の保養としてであって現実として付き合いたいとは思わなかった。
憧れで十分だった。
仕事ができる雰囲気にぴったりの男性が購入する本はビジネス書で対する佳世は小説や漫画などジャンルは違うが本屋の配置で近いために本を探している振りをして男性を鑑賞できた。
遠過ぎず近過ぎずのほどよい距離感がちょうど良いと思えた。
「……あれ?」
その男性が珍しくも小説コーナーにいるから驚いた。
至近距離で男性の顔を見れるわけもなく、慌てて男性のいる棚から一つずれた棚の本を手に取りに歩いた。
たまたま探してる小説はその棚にあるはずだ。
「うーん、まだか」
近日発売予定の小説が入荷したんじゃないかと探したのに見つからない。
発売日っていつになったかと壁に貼られた新刊発売予定表で探した本と他にも気になった本の発売日を確認していた。
集中すると周りの様子が一切気にならない特技を使って、佳世が予定表を確認していれば突然耳触りの良い男性の声がした。
「すみません」
「うわっ」
思わずびっくりした声が漏れた佳世は顔に熱が集まるのが分かった。
慌てて声のした方向である横を見れば、離れた場所にいたはずのスーツの男性がいる。
佳世がちらっと観察していた限りではそれほど男性は本屋に長居しないために、この日もそうだろうと完全に油断していた。
どうしようと内心で焦っていると男性が話しかける。
「……ちょっといいかな?」
彼が指先で示した先は検索機があった。
佳世の身体が機械を塞ぐ形で文庫の発売表を確認していたのが分かってすぐに横にずらした。
「ご、ごめんなさい」
「いや。こちらこそ申し訳ない」
思わずみとれそうになった。
――なに、この素敵な笑顔は! 本当に目の保養にはもってこいの人が世の中にはいるのね!
ぼうっとなりそうな頭を軽く振って意識を正常に戻す。
やばっ。そんなことよりも早く逃げよう。
佳世は慌てて軽くお辞儀してその場から離れようとした。
だが男性はそれを許さず、佳世に話しかけてくる。
「たまにここ利用してるよね?」
「は、はい」
「小説が好きなのかな?」
「ええ、まあ」
突然話しかけられて反射的に答えた。
なぜ話しかけてきたのか佳世には分からないが、不思議そうにする佳世には構わず笑顔のまま男性は言葉を紡ぐ。
「最近このお店を利用するようになったんだけど、以前に少し話したの覚えてくれている?」
「……ぶつかったときの?」
「あ、覚えててくれたんだ。良かった! あれからたまに見かけたんだけど、話しかけるタイミングもないし、突然話しかけて不審な人物に思われるのも困るしで悩んでいたんだ。いつも小説コーナーで見かけるから好きなんだよね?」
「えっと、はい」
「小説ってどんなの読んでるのかな? 実は年の離れた妹がいてもうすぐ誕生日なんだ。ミステリー小説が好きでプレゼントは小説が良いって言うから探してたんだけど、あまりそういう種類の本は分からなくて……。もしお勧めあれば教えてもらえないかな?」
「……お勧めですか? 店員さんに尋ねた方がいいんじゃないですか?」
「君の好きなのを教えてもらいたんだ」
その言葉にドキっとした。
普段、大人の男性との接触になれていない状態でどうしたらこの状況から逃げれるのか分からない。
でも困った人を見捨てることもできそうにない。
どうにか小説だけ説明してすぐに本屋から出れば良いかという考えが佳世の頭に浮き出てきた。
「……えっと、でも同じ本を持ってたら困りますよね?」
「最近ハマり出したばかりだから有名な小説以外に面白いのなら何でも良いって言ってた」
「んー。日本とか海外とかこだわりはありそうですか?」
話を続けながら二人で小説コーナーにある本棚に進んだ。
男性は佳世の質問に一瞬考えてから「日本の作家さんかな」と言った。
「できれば最後に探偵が犯人とか探偵の恋人が死んだとかじゃないのが良いって言うのでそういう話ってあるかな?」
佳世は自分の読んだことのある小説の内容を頭にいくつか浮かべて、それからしばらく二人であれこれ話し合いながら5冊ほどの小説を選んだ。
元々ミステリー小説を好きでよく読んでいたので人のためとはいえ選ぶのは楽しかった。
「こんなに長い間つき合わせてしまって悪かったかな」
「いえ。私も楽しかったですし。こちらこそ調子に乗っていろいろ選んでしまってごめんなさい。妹さんが喜んでくれたら良いんですけど……」
人に選ぶことなどした経験がないから本当に喜んでくれるか不安になってきた。
佳世の不安な様子を安心させるように男性は優しい笑顔を見せてゆっくり心に響くように落ち着いた声で話してくれる。
「大丈夫だよ。教えてもらったあらすじ読んでみても僕自身も凄く興味を持ったし、妹も楽しめると思うよ」
「本当にそうなると安心します」
本を選ぶ内に少しずつこの男性に対する警戒心が薄れてきた。
異性で話を交わして自分よりも年上で緊張したけど、その緊張をほぐそうといろいろ話題を振ってくれているのが分かって印象が更に良くなった。
こんなに気配りできる人の恋人はきっと素敵な女性なんだろうと暢気に思っていると、男性から声をかけられているのに気付くのが遅れた。
「……あの、今私に何か言いました?」
「お礼に食事でもどうかな? って言ったんだ。このあと時間ある?」
その言葉に慌てて腕時計を確認するといつも帰宅するよりも30分は時間が経過していた。
佳世は自宅で夕飯を食べているので、特に残業などない場合は毎日同じ時間に帰宅している。
そのため少しでも遅いと母親から「遅い!」とメールで連絡がくる。
このときも携帯電話を確認すれば「まだなの?」というだけのメールが届いていた。
急いで「本屋に寄ってた。今から帰ります」とだけメールで文を打って送信した。
「……あ、あの、もう帰らないといけないので、これで失礼します」
軽くお辞儀だけして店から出ようとする佳世の左腕を男性が掴んだ。
そこから男性の熱とともに必死な思いも同時に伝わってきた。
「あの?」
「急いでる所に悪い。でも本当にお礼がしたいんだ。今日が無理なら次の機会をくれないか?」
「えっと、私も選ぶの楽しかったので別に……」
腕を掴んだままの男性はしっかりと目を合わせてもう一度口に出す。
「君ともっと話してみたいんだ」
こんなに真剣に見つめる男性を断ることなど佳世には不可能だった。
佳世が立ち去らないのが伝わったのか男性は掴んでいた手をゆっくりと外した。
男性はスーツの内ポケットから名刺を一枚取り出す。その裏に手早く個人用の電話番号を丁寧な字で書いて佳世にその名刺を手渡した。
その際、佳世の手をそっと握るように渡してきたのにどきっとした。
ついでとばかりに耳元で囁くように一言呟く。
「連絡待ってるよ」
――まさか本屋さんで恋が始まるなんてこのときまで思いもしなかった。