脇役
この作品は「NovelMark」(http://www.novelmark.ne.jp/)というサイトの「第2回小説コンテスト」に出品した作品です。
テーマは「月」でした。
「……変わった小説だな」と思っていただけたら幸いです(笑)。
世の中は、不透明だ。
言い換えるなら、非クリアーだ。
大学生になって一人暮らしはするようになったものの、社会に出たわけでもなく、知らないことは多すぎるほど多い。なぜ税金を払わなくちゃいけないかも理解してないし、どの政党がホントの悪なのかを見抜く目もない。世の中の仕組みは全然理解できず、人の心も全く見通せない。
「土屋、それはお前が彼女にフラレたからそう思うだけだと思うよ。何ヶ月付き合ったの?」
「……二週間ちょい」
僕は別に失恋のショックが抜けきれないからそんなこと云ってるわけじゃない。
僕が云いたいのは、世の中の複雑さだけじゃなく、意味がわからない、理解不能なことが多く潜んでいるってことだ。
僕がその二人を見かけたのは昼下がりの新宿駅付近であった。
講義が午前中で終わったフリーな時間をどう使えばあとでまた無駄な時間を過ごしたと自己嫌悪に陥らずに済むか頭を悩ませながら、僕はいつものように紀伊国屋書店を目指していた。
原因不明の爆発事故が起きたとき、僕は偶然現場近くを歩いていた。爆発音をリアルに聞いたのは生まれて初めてだった。正直かなりびびって、脚が震えていた。おかしかったのは、股関節の辺りも震えていたことだ。それも小刻みに。股間がバイブしているのかと本気で疑ったほどだ。
集まってきた野次馬たちを、やってきた大人数の警察官が追い払っている。ここには日本人の一割ほどの人間が集まっているんじゃないかと思うくらい、人が多かった。
その大混雑のなか、くだんの二人は爆発現場の方から歩いて出てきた。
事故現場を封鎖するために張られたトラロープをひょいっとまたいで、何事もなかったようにこちらの方へ歩いてくる。
むせかえる雑踏の人いきれと雑音とプラスイオン、幾多の黒い頭と茶色の頭が揺れるなかを、人混みの流れを無視して歩く二人は、どこか涼しげな空気を纏っているように感じたのを覚えている。
二人は僕の目の前を通りすぎた。
彼らが僕の印象に強く残ったのは、見た目――外見的要因からだ。
二人は、美男美女だった。
前を歩くのは中肉中背の、高校生くらいの少女。
黒のセーラー服。肩までの長さのアレンジボブカットはこげ茶色で、肌は綺麗で光って見えるほど白い。気品のある顔つきに、どこか攻撃的な瞳――そんな印象を受けた。
そのあとを歩くのは、長身で、細身ながらがっしりした体格の、20代前半くらいの男性。鍛えた運動選手のような体つきなのに、顔つきはむしろ繊細で、中性的にさえ見える。さらさらの黒いストレートヘアは男性にしては少し長め。地味だけどどこか品のある茶色いジャケットをTシャツの上に羽織って、下はブルージーンズ。ナイキのスニーカー。
僕は別に人間観察眼が優れているわけでもなければ他人のことをじろじろ眺める趣味があるわけでもない。
だけど、人目を引きつけるのに十分なほど、その二人の容姿は整っていた。
お台場で芸能人を見かけたことがあるが、そのとき感じたオーラに近いものがあった。
このあと二人に再会しなければ、僕の話はとくだん語るべきこともなくここで終了していただろう。
だが、いま、僕の目の前にはあのときの二人が立っているのだ。
僕がいるのは大学の屋上。
10月にもなると、日が暮れると昼間とはうってかわって空気が涼しくなる。半袖のシャツ一枚の僕には肌寒い夜だ。
大学の周辺は比較的建物が少なく、夜になると辺りは当たり前に暗くなる。月の明かりがはっきりと感じられる夜だ。
今日は何日だっけ? すごい不気味なほどの大きな満月だ。黄色よりはオレンジに近い――赤い色が混じったような――色。線香花火の落ちる直前の火の玉のよう。これがいわゆる“仲秋の名月” ? 違うかな。
その、満月の明かりに照らされた、およそ現実とは思えないマンガみたいな光景が目の前にある。
僕の前には、背中を向けて立つ美少女と美青年。
あのときの二人だ。あの爆発事故があったときと同じような格好をしている。
少女はセーラー服。青年はジャケットにジーンズ。
そしてその二人のむこうには――
異形がいた。
「……化け物……?!」
思わずつぶやいていた。
そう。
どう見ても身の丈3メートルは超えそうな巨体の、狼のような顔をした毛むくじゃらの化け物がこちらを見すえて、四つんばいになって戦闘態勢をとっている。
「キリュー、後ろに一般人いるよ、どうする?」
少女は落ちついた声で、男に声をかける。
「いまは敵を倒すのに集中しましょう。オレは彼を建物の中に誘導しますから、ユームは敵のお相手をはじめていてください」
キリューと呼ばれた男は少女に穏やかな口調で返事をすると、僕の方を振り向いた。
“キリュー”? “ユーム”? 日本人の名前か?
……「桐生」って名字はあるけど。
「きみ。申し訳ないんだけど、オレたちいま立て込んでるんだ。校舎の中に戻ってもらえるかな?」
口調は穏やかだったが、その目には反対することを許さない光りがともっていた。そして、こちらに歩いてくる。百戦錬磨の傭兵のような顔つきだと思った。
その彼のむこう――。巨大な狼男が、少女めがけて襲いかかっていた。
魔獣の咆哮が聞こえる。――なんなんだあの怪物は?!
頭が混乱して、現実感がない。
セーラー服の少女は、いつの間に手にしたのか、長い木刀のようなものを構え、振りおろされる狼男の腕に一撃を与えている。
――中学生のころ好きだった、戦う美少女モノのアニメの戦闘シーンみたいだった。
「きみ、名前は?」
その活劇を見えなくするようにキリューと呼ばれた男は僕の目の前に立ち、質問してきた。
「つ、土屋……」
「ツチヤ、なに君?」
「土屋、弘治」
「ツチヤヒロハル君だね。ありがとう」
そう云うと、男は僕をそっと――しかし力強く――屋内へ押し込むと、ドアを閉めた。
音をたてて閉じられたドアを見て、僕は強い――なんだろう――疎外感? ――を感じていた。
屋内は、静かだった。蛍光灯の灯りが眩しい。
僕はわけが分からなかったし、外で二人がどうなっているのかを知りたかった。でも、混乱していた頭が若干落ちついてくると、なんだか怖くなってきて……。
僕は、大人しくその場を離れることにした。
校舎の外に出て、さきほどまでいた屋上の方を見上げる。
満月の色は綺麗なレモン色に見えて、何も変わったことは見つけられなかった。
* * *
それから一週間と二日が経った。
僕は彼らのことを誰にも話さなかった。
でも、僕が目撃した光景は、あのときだけのものだったわけではなかったらしい。
ちまたで、木刀で戦う美しい少女の姿を目撃したという話が広がっていた。もちろんその噂は僕が通う大学にも流れていて、トピックとしては頻繁に登場するものとなっていた。
「満月の夜に現れる巨大な狼男と、謎の美しい男女。その正体とは?!」みたいな話題だ。
先月の満月の夜にも、街で目撃者がいたらしい。月の光で覚醒した化け物と、それを退治する「セーラームーン」ばりの戦う美少女。ネット上の巨大掲示板にも専用スレッドが立ったとか立たないとか。
「土屋ってそういうの好きそうにみえるけどな。オタクでしょ?」
「べつにオタクって名乗れるほど立派なもんじゃねぇよ。もう行くぜ? 忙しいんだから」
その言葉に嘘はなかった。あんな不可思議な体験をしたわりには、僕はあのあと平常心そのもので、あの二人に対して興味を失っていたのだ。
僕にとってはあの日のファンタジーのような出来事よりも、目の前の課題を片づける方が重要だった。
明日の社会学Bは班ごとの発表があるのだ。
うちの班はやる気がある奴が多いくせに、人前で話すのは苦手というやっかいな奴が多くて困る。やる気があるんなら、書記も発表もやってくれればいいのに。班別の話し合いの流れで発表者に指名された僕は、なぜかレジュメ作りまで押しつけられてしまっているのだ。
図書館のパソコン室でレジュメを仕上げるのに一時間半かかった。
図書館のコピー機が修理中だったので、学食のコピー機を使おうと思い、学内の通路を歩いて移動する。
秋も少しずつ深まり、木の葉っぱは黄色く、赤く色づいてきている。
しかし、東京の空はいつもくすんでいる、と思う。
空気自体が濁っているような気さえする。「抜けるような空」とか「秋晴れ」なんて言葉あるが、少なくとも今日の空は「抜けていない」。不透明だ。
言い換えるなら、非クリアーだ。
学食に、人は少なかった。
学食の隅のコピー機で人数分のコピーをとりながら、ふと考えた。
なぜあのときキリューという男は僕の名前をたずねたのだろう。
名前を聞いて、何かメリットがあるだろうか?
……わからない。なんだか考えてたら考えること自体がおっくうになってきた。
まるで、なにかのまじないでもかけられたみたいに。
レジュメのコピーが終わったとき、僕は突然悟った。
そうか――。
彼らは“主役”だ――。
なにかの物語の、彼らは主役なんだ――。
そして、僕は、彼らが主役の物語の“脇役”だ。
腑に落ちた。なんだかすっきりした。
おそらく彼らは、本名を知る相手の心や感情やらを操れるのだ。そして僕はキリューに、二人に対しての興味がわかないようマインドコントロールか魔法だかをかけられたのかもしれない。
うん。たぶん、そうだ。
世の中に人間にははじめから役割が割り振られているのかもしれない。
それは大きく分けると“主役”と、“脇役” なのだ。
そう理解すると、なんだか世界の全てがクリアーに見える気がした。
さて。
A定食でも食べて、本屋に寄って帰るとするか。
本作は、「エンタメ系のアクション小説(ライトノベル風)」の世界を、地味な主人公の視点から、地味な文体で描くという執筆コンセプトで書きました。この“実験小説”がどのように受け止められるかわかりませんが、後学のためにご感想をいただければありがたいです。なにとぞよろしくお願いいたします。
ちなみに蛇足ですが、謎の二人組の本名は「遊佐由宇夢 (ゆさ・ゆうむ)」と「闇光稀竜 (やみびかり・きりゅう)」といいます(汗)。