|冗談じゃない
ある青年は、冗談が嫌いだった。
笑い話が嫌いなわけではない。冗談という言葉を盾に、本気を濁す人間が嫌いだった。
中学から陸上部のエース。勉強は常に主席。努力は裏切らないと知っていたし、努力しないことは罪だと思っていた。
だが、順位を争っていると思っていた友人は笑う。
「俺が一位?無理無理。冗談だろ」
記録を競ったはずの短距離走でも言われる。
「何ムキになってんの?」
コンビニの店員は気だるく、ニュースでは公約を翻す政党が笑っている。
青年は思った。
「みんながみんな、本気ならなぁ」
——翌朝、世界は変わっていた。
テスト返却の日、友人は答案を握りしめ、血が滲むほど爪を噛んでいた。
「次は絶対に抜く」
部活では後輩が詰め寄る。
「フォーム、全部見せてください。本気でやります」
コンビニの店員は背筋を伸ばし、完璧な笑顔を貼りつける。頬の筋肉がわずかに震えている。
ニュースでは新政党の躍進が熱狂的に報じられていた。
キャスターの声は異様に弾んでいる。
「これはいい」
青年は満足した。
ようやく、真剣勝負の世界だ。
陸上大会の日。
控室で水筒の蓋を開け、一口飲む。喉を滑る水はやけに冷たい。
廊下には、静まり返った空気が張りついていた。誰も笑わない。誰も目を逸らさない。
視線が交錯するたび、空気がわずかに軋む音がした。誰かが息を殺す音が、トラックの風より大きく聞こえた。
外では騒音が近づいてくる気がした。でも誰も動かない。
心臓が高鳴る。
動悸もそのままに、トラックへ向かう途中、救急車のサイレンが遠くで鳴った気がした。
その夜、ニュースが流れる。
「高校生陸上大会で死者多数。水筒に殺鼠剤混入。犯人は生徒。“私が一位になりたかった”と供述」
画面の中で、キャスターは真剣な表情を崩さない。
「No killing《殺しはダメ》!No kidding《冗談じゃない》!」
コメンテーターのコメディアンは、ひと笑い取る。
今度は『笑う所じゃないですよ!』と言いながら、着実にもうひと笑い取った。
世界は、今日も本気だった。
キャスターは表情一つ変えずに続ける。
「次のニュースです。今月の全国犯罪統計を正確にお伝えします。
賭博——0件
恐喝——0件
脅迫——0件
強要——0件
監禁——0件
横領——0件
詐欺——0件
偽証——0件
窃盗——0件
強盗——0件
放火——0件
不同意性交等——0件
不同意わいせつ——0件
公然わいせつ——0件
略取誘拐——0件
住居侵入——0件
器物損壊——0件
名誉毀損——0件
信用毀損——0件
業務妨害——0件
公務執行妨害——0件
通貨偽造——0件
文書偽造——0件
不正アクセス——0件
覚せい剤取締法違反——0件
大麻取締法違反——0件
銃砲刀剣類所持等取締法違反——0件
爆発物取締罰則違反——0件
ストーカー行為等——0件
児童買春・児童ポルノ禁止法違反——0件
児童福祉法違反——0件
道路交通法違反(飲酒運転等)——0件
過失運転致死傷——0件
業務上過失致死傷——0件
暴行——0件
傷害——0件
傷害致死——2,456件
死体遺棄・損壊——2,389件
現在時刻時点では以上です。
おやすみなさい」




