第8話 - フンダーリィ、ケッターリィ
宿屋の扉が勢い良く開く。
次の瞬間、石畳を蹴る足音が響いた。ぺたぺたと素足が駆ける音。下着一枚の男が、大通りを全力疾走していた。
「はっ……はっ……クソッ……!」
朝の街路を、風のように――とは言い難い速度で駆ける。
レベル1の身体は、既に悲鳴を上げている。肺が焼け、足が重い。それでも、止まれない。止まったら、余計に惨めになる。
なにせ、下着一枚である。
通行人が振り向く。露店の店主が目を丸くする。子供が指を指す。
「パラディソ! また死に戻りかー?」
「今日も良いパンツじゃねーかー!」
「今日は何にやられたんだー?」
野次が飛ぶ。だが、石は飛ばない。
この街では、冒険者が死に戻り、装備を回収しに下着姿で駆け出す光景は、あまり珍しくない。変態扱いはされない。だが、敗者扱いされる。
「うるせぇうるせぇ! オレのパンツを毎日見れて光栄に思え!」
息を切らしながら、罵声を浴びせる。
石畳の冷たさが足裏に響く。汗が背中を伝い、下着が肌に張り付く。羞恥心よりも、焦燥感が勝っていた。
正面に門が見えた。先程見たばかりの、重厚な城門。
その影の下に、変わらずモンバーンの姿があった。パラディソは最後の力を振り絞り、正門へ駆け込んだ。
「――ッ、はぁッ……!」
門前で膝に手をつき、息を整えようとしたその瞬間。
爆笑が降ってきた。
「ぶははははは!!」
顔を上げる。槍を抱え、腹を抱えて笑っている。
「もう死んだのかよ!? ていうか、ゼリスヨにやられたのか!?」
「うるせぇ! 転んでおっ死んだんだよ!」
その言葉に、こめかみが引き攣る。
怒鳴りつけ、そのまま門をすり抜ける。
背後で、さらに大きな笑い声が響いた。
「転んで死ぬかよ! お前それゼリスヨだろー!!」
「黙れぇぇ!!」
振り返りもせず、ショシン・ニカエレ草原へ躍り出た。
青い草が風に揺れている。先ほどと変わらぬ景色。違うのは、パラディソの格好だけだ。草を踏み分け、記憶を頼りに進む。顔面を溶かされ、意識を失った地点。あの岩の近く。小さな木の影。
「ここだ……が?」
足を止める。辺りを見回す。
ない。何も、ない。草が揺れているだけで、装備品が何処にもない。パラディソは数歩進み、地面を見下ろす。更に、周囲を探す。岩の裏も、小さな木の根元も、地面に付いた踏み荒らされた後も確認する。
「クソッ、最悪だ……置き引きかよ……!」
叫び声が草原に吸い込まれる。
誰もいない。ただ、風が吹くだけだ。
この世界では、死んだ冒険者の装備は、一定時間その場に留まる。
だが、時間が立てば消える。あるいは、他の誰かが拾う。
つまり、パラディソは遅すぎたのだ。
パラディソはその場でしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。
「……短剣もねぇじゃねぇか……」
銀色の短剣。最高傑作。軽装備。合わせて、金貨五十枚。
金貨、五十枚。
「オレの……金貨五十枚が……」
声が、震えた。
今のパラディソは下着一枚。レベル1。装備なし。金無し。
草原のド真ん中で、裸同然の男が蹲っている。
風が吹く。青い草が揺れる。世界は平和だ。
だが、パラディソだけが、詰んでいた。パンツは白。




