第6話 - オレのイケイケな顔が!
パラディソは、街の正門を抜けようとして、声を掛けられた。
槍の石突きが地面を叩く鈍い音。聞き慣れた声。横合いに視線を滑らせる。そこには門番が一人、腕を組んで立っていた。やる気のなさそうな半目。それでも、装備だけは整えられているあたり、職務には忠実な男だ。
「モンバーンじゃねぇか」
「そんな軽装で、ショシン・ニカエレ草原に何の用だ?」
門番――モンバーンは、首を傾げた。
パラディソは短剣の柄から指を離し、軽く肩を竦める。
「なーに、大した用じゃねぇよ。ゼリー液の調達だ」
「ゼリー液? ああ、ゼリスヨか。まだ狩ってんのか、あれ」
「狩りやすくて助かるんでな」
「まあ、そりゃそうだ」
モンバーンは槍を持ち替え、門の機構に合図を送る。
歯車が噛み合い、重厚な門が低い唸りを上げながら動き出した。
「草原は相変わらずだ。爆心地に逸れなきゃな」
「――あぁ、《《例》》の爆心地ね。そっちには行かねぇよ」
「よし、通っていいぞ。転んで死ぬなよ?」
「お前に言われると妙に不安だぜ」
「気のせいだ。夕刻までには戻れよ!」
軽口を交わし、パラディソは門をくぐる。
門の影を抜けた瞬間、空気が変わった。街の埃と油の匂いが、背後で断ち切られる。代わりに備考を満たすのは、青臭い草の匂いと、湿り気を帯びた土の香り。視界いっぱいに広がるのは、青い草原だった。
青、と言っても一色ではない。
深い藍に近いもの、淡く白みがかったもの。風が吹くたびに色が揺れ、まるで地面そのものが呼吸しているようにさえ見える。
見渡す限り、遮るものはない。
所々、地面から盛り上がった岩が顔を出している。苔に覆われ、長い年月ここにあることを主張するだけの、無言の存在。あとは、ポツンと立つ小さな木が一本。幹は細く、葉もまばらで、強風が吹けば折れそうだ。
「……本当、変わんねぇな。ここも」
パラディソは小さく呟いた。
空は高い。雲は薄く、遠くへ流れていく。
敵意も、緊張も、拍子抜けするほど感じられない。
ここは、ショシン・ニカエレ草原。
街の外縁に位置するが、危険度は最低。冒険者登録をしたばかりの低レベル帯が、最初に足を運ばされる場所。死に方を覚える前に、狩りとは何たるかを覚えるための場所でもある。
パラディソの目的は、最初から決まっていた。
ゼリーオトスヨ。略して、ゼリスヨ。群青色、半透明、どぅるどぅると震える魔物。動きは鈍く、知能も低い。殴れば潰れ、切れば裂ける。現在、最底辺で最弱のパラディソにとっては、好敵手と呼べる。
「肩慣らしには丁度良いってもんだ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
金はないし、レベルは1。身体は、まだ軽さに慣れていない。短剣の重さにも慣れていない。試し斬りには、これ以上ない相手だった。
草を踏み分け、歩き出す。
足元で、草が擦れ合う音がやけに大きく聞こえた。
「……まぁ、気のせいか」
そう思おうとした、そのとき。
草の奥で何かが――ほんの一瞬だけ早く動いた気がした。
パラディソは足を止める。
風だ。多分。
そう自分に言い聞かせ、再び歩き出す。
だが、それは唐突に起きた。
前触れも、音もない。次の瞬間には――目の前が、消えた。
「――ッ!?」
何かが、顔面に叩きつけられる。
衝撃は軽い。だが、速い。視界が一瞬で青に染まった。冷たい。ぬるい。粘つく。反射的に息を吸おうとして、肺が空振った。
「……ッ、が」
空気が入らない。
口も、鼻も、完全に塞がれている。視界の端で、半透明の膜が震え、波打つのが分かった。ゼリスヨ。理解した瞬間、遅れて痛みが来た。じわり、と顔の表面が熱を帯びる。ゼリスヨの溶解液が、皮膚に染み込んできていた。
焼かれるような感覚。
いや、焼けてはいない。溶けている。
歯を食いしばるが、唇が思うように動かない。
粘膜が引き攣り、言葉にならない声が喉で潰れる。慌てて、腰の短剣を引き抜いた。視界は歪み、距離感が狂う。だが、核さえ刺せば。
短剣を、顔面に張り付いた塊の中心へ突き立てる。
乾いた反発。カン、という音とともに、刃が弾かれた。
「……むぐ!?」
一瞬、理解できなかった。もう一度、力を込める。腕に、肩に、全身に意識を集中させる。だが、刃は沈まない。筋力が足りない。盾も、耐性も、全部捨てた。その代償が、ここで牙を剥く。
短剣を捨て、両手でゼリスヨを掴んだ。
ぬるりとした感触。指が沈み込む。
「……剥が、れ……ろよッ!」
力任せに引き剥がそうとする。
だが、ゼリスヨは離れない。吸い付く。絡み付く。顔の凹凸に沿って、粘着質に密着する。呼吸が、完全に途切れた。視界の縁が暗く滲む。
パラディソの頭の奥で、冷静な声がした。
まずい。このままだと。
「おご、もぐ、もがッ……!」
(※オレのイケイケな顔が!)
意味を成さない叫びである。
この期に及んで、どうでも良い思考が浮かんでは消える。
喉が、肺が、空気を求めて痙攣する。
焦りと恐怖が、ぐちゃぐちゃに混ざる。
ゼリスヨは、まだ震えている。
速い。最弱のはずなのに、速すぎる。
視界が、完全に暗転する。
最後に感じたのは、顔の熱と、肺が潰れるような圧迫感だった。




