第5話 - おー神よ。ステータスを初期化しやがれください
装備屋を出た瞬間、街の音が一段、五月蝿く感じられた。
露店の呼び声。笑い声。鉄が打ち合わされる乾いた音。腰に下げた短剣は、驚くほど軽い。歩くたびに、そこにあることを忘れそうになる。パラディソは無意識に短剣の柄へと指を伸ばし、何度か確かめるように触れた。
「……こりゃ良いぜ。ぶん回せる」
独り言が、風に流される。
次に向かう先は、ひとつ。街の端、少しだけ高くなった石段の上に建つ神殿だった。細かな装飾。薔薇柄の窓ガラス。荘厳な門扉。白い石造りの建物は、街の汚れを拒むように静まり返っている。
扉の前に立っただけで、外の喧騒が嘘のように遠のいた。
金属と石が擦り切れる音が劈き、重い扉が開かれる。
神殿内は冷えていた。
咽るような香の匂いが、肺の奥まで入り込む。火もないのに、空気だけが張り詰めている。ここでは怒鳴る声も、悪態も、居場所を持たない。
正直、パラディソは落ち着かなかった。
奥の祭壇の前に、神官がひとり立っていた。
年は若いが、背筋は真っ直ぐで、視線に迷いがない。
「ご用件を」
声は静かで、感情がなかった。
パラディソは腰から麻袋を外し、神官に手渡す。金属同士が触れ合う、重たい音が神殿に響いた。神官の指が、僅かに止まる。
「……ステータスの、初期化だ」
「初期化、ですね」
視線が麻袋へと落ちる。
神官は袋を開け、金貨を一枚ずつ取り出しはじめた。数える指の動きは正確で、容赦がない。一枚、二枚、三枚。金貨が減るたび、胸の奥が軽くなる。同時に、何かを失っていく感覚もあった。百枚目が、台の上に置かれる。
「金貨百枚、確かに。頂戴致します」
「あぁ」
神官は袋を閉じ、台の端にそれを滑らせる。
声に、揺れはない。これで、金は消えた。
逃げ道も、言い訳も、全部無くなった。それで、いい。
「尚、初期化は一度しか出来ません。再配分はよく考えたうえで、行うようにしてください。では――祭壇へどうぞ」
白い床に刻まれた円陣の中央に立たされる。
足裏から、靴越しでもひんやりとした感触が伝わってくる。片膝を付き、両手を胸の前で組むよう指示がある。目を伏せ、儀式が終わるのを待った。
「何をしているのです?」
「あ? なんだよ」
「不遜な。神に向かって、ステータスの初期化を願うのですよ」
不遜と言いながらも、淡々とした声だった。
祈りと言うより、手順の説明に近い。
パラディソは眉を寄せ、片膝をついたまま顔を上げる。
「……あー、そういうの必要か?」
「必要です」
即答だった。
神官は視線を逸らさない。
そこにいるのは神の代行者であって、人間ではないように見えた。
「……この神殿は、神のご加護を再編する場です。願いなくして、力の移動は行えません。出来ないと仰るなら、お引き取りを」
「けっ、面倒くせぇな……」
ぼそりと呟き、首の後ろを掻く。
だが、立ち上がる事はしなかった。ここまで来て、引き返す気はない。パラディソは大きく息を吸い、吐いた。
「おー神よ。ステータスを初期化しやがれください」
言い方は投げやりだった。
神殿の空気が、ほんの一瞬だけ止まる。神官の眉が、僅かに動いた。
「……言い直しますか?」
「しねぇよ! これで通らねぇなら、金返せ」
神官は黙り込む。やがて、小さく息を吸い、ゆっくりと詠唱を始めた。
低い声。意味を持たないはずの言葉が、石壁に反響し、円陣の文様が淡く光り始める。光は、柔らかい。だからこそ、不気味だった。胸の奥が、じわりと熱を帯びる。次の瞬間――身体から《《引き剥がされた》》。
体力。筋力。耐性。
盾を構え、殴られても立ち続けていた感覚。それらが、無理矢理、身体の外へと引き抜かれていく。
思わず歯を食いしばる。
息が、浅くなる。心臓の鼓動が、やけに近い。代わりに、流れ込んでくるのは軽さだった。足元が、頼りなくなるほどの軽さ。
「あなたのステータスは、すべて初期値に戻りました」
神官の声が響く。
光が消える。パラディソは、しばらく動けなかった。立っているだけで身体が薄くなったような錯覚がある。
「はは……マジで、丸裸じゃねぇか」
小さく、笑いが漏れた。
神官は事務的に続ける。
「レベルも1に戻っています。レベル1上がる毎に、ステータスポイントは3増えますから、その都度ポイントの振り分けを行うように」
「……へぃへぃ。そのくらいわーってるよ」
パラディソは、短剣の柄に触れた。
重さが、前よりはっきりと分かる。
頼れるものが、これしかない。
レベルも1に戻った。ステータスポイントもない。金もない。耐久もない。後戻りもできない。一発外せば、死ぬ。死んだところで武器ロストくらいだが、死ぬ痛みは、極力味わいたくない。それでも、これで良い。
「さーて、ちゃちゃっと借金も返して、悠々自適な人生を送ってやるかぁ」
呟きは、神殿の冷気に吸い込まれて消えた。
守る力を捨てた男は、殴るためだけの身体を手に入れる。
世界は何も変わっていない。変わったのは、パラディソだけだ。




