第1話 - 宿屋で蘇った姿は、下着一枚
宿屋の客室に、朝刻の鐘の音が響く。
古びた壁には所々亀裂が走り、蔦が悠々自適に伸びている。吹き抜ける潮風は冷たく、硬いベッドに沈んでいた男は、寒さに身じろぎした。
そして、パチリと目を開ける。
勢い良く上半身を上げた男は、発狂しかけた声で叫んだ。
「あぁ゙――! クソッ! また死んじまったじゃねぇか」
ただの近所迷惑である。隣の部屋から、壁を叩く音が何度も響き、男は頭を抱え再びベッドに沈み込んだ。
男の身なりは、悲惨なものだった。
温かな服を纏っているわけでも、柔らかなパンツを履いているわけでもない。ただの、布切れ一枚の下着だけ。装備は、死んだときに置いてきた。
「……ったくよぉ。盾役だからって、複数囲まれちゃ限界はあるだろ。しかもパーティメンバー全員が雀の涙程度の火力じゃあ、やってらんねぇぜ」
悪態をつき、布団に包まる男。
ぶるりと身体を震わせるが、一向に温まる気配はない。
「ちくしょー、もうちょい良い宿に止まりてぇが……まぁ、無理かぁ」
男は、深い溜息をひとつ吐き、天井を睨んだ。
剥がれかけた漆喰の向こうに、空は見えない。
それでも、いつもここから始まる。
「……はぁ」
右手を宙に掲げる。
何度も繰り返した動作だった。指先で、何もないはずの空間を軽く叩く。淡い光が視界に弾け、半透明の板が空中に展開された。
体力は多い。筋力も、盾や大剣を振り回せるほどにはある。
物理耐性に至っては、嫌味なほどだ。だが、攻撃力は違う。
「……火力、ねぇなぁ」
攻撃力の数値を見て、男は低く呟いた。
当然である。見慣れた現実。何度も死ぬたびに突きつけられる、役割という名の檻。パラディン。守る者。耐え忍ぶ者。前に立ち、仲間のヘイト管理をしながら、殴られ、仲間が攻撃する時間を稼ぐ存在。
理屈は分かっていた。
分かっているから、尚更腹が立っていた。
「なんでオレが殴られてる間に、あいつらはチマチマ削ってんだよ」
男は、視線を下へ向けた。
細かな項目が並ぶ中、二つの数値が目に止まる。
致命打率。攻撃速度。
どちらも、職業補正とは殆ど関係のない、素の成長項目だった。
男は、しばらく黙り込む。
指先が、無意識にその数値の横をなぞった。
「……待てよ」
小さく、独り言。
「致命打が出りゃ、一撃はデカい。攻撃速度が速けりゃ、試行回数も増える」
視線が泳ぎ、筋力の項目に映る。
「筋力は……元から高い。職業補正で、勝手に伸びる」
頭の中で、点が繋がっていく。
誰も推奨していない。冒険者ギルドのガイドにも載っていない。パーティ募集掲示板では、確実に弾かれる構成。
「致命打と攻撃速度、カンストまで上げりゃ、火力役になれるんじゃね?」
男の口元が、僅かに歪んだ。
その瞬間だった。古びた木の扉が、悲鳴のような音を立てて壊れる。
「おい!! 朝っぱらから何回死んでんだテメェ!!」
怒声と一緒に、パーティメンバーの男が踏み込んでくる。
アサシン。その後ろに、ハイウィザードの女とビショップの女がいた。その手には、男のモノだった装備が抱えられている。
寝巻き姿の男を一瞥し、盛大に顔を顰めた。
「パラディソ!! 盾役のお前が死んでどーすんだよ!?」
「うるせぇ!! お前らのせいだろうが!!」
「あ!? やんのかコラー!!」
怒鳴り合い、取っ組み合いに発展する。
ステータス画面はついぞ消えていた。だが、男――パラディソの胸の奥に、妙な熱が灯っている。守る者が、殴ることを夢見た瞬間。
この日から、世界は少しずつ、予定調和を踏み外し始める。
本人だけが、そのことにまだ気付いていなかった。




