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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第二章 取り戻したい時間がホームにあった

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4話

車内の空気は変わらない。周りの乗客の影は淡く、誰も彼を責めない。ただ、列車は淡々と過去へ向けて進行している。悠真は窓の映像から目を逸らし、ティオの横顔を見た。少年の口元が少しだけ緩む。


「行こうか、悠真。君の一歩を、皆で見守っている」

ティオはそう言うと、背筋を伸ばして立ち上がった。悠真も立ち上がり、胸の奥に小さな決意を灯した。外側の世界は変わらないかもしれない。しかし、この列車の中での選択が、彼にとって唯一の救いとなるのだと、彼は静かに受け入れた。列車は、静かに時を裂くように進んでいた。窓の中で揺れる映像は、いつしか一つの場面へと収束し、柔らかい夕焼けの色合いが車内を満たす。悠真は座席にしがみつくようにして、呼吸を整えた。胸の奥で、まだ消えない不安が蠢く。だが同時に、行かなければならないという確かな義務感が芽生えていた。


ティオは悠真の隣に立ち、手にしていた小さな切符入れを優しく握りしめた。彼の声はいつもより落ち着いていて、耳に届くたびに心が少しずつ静まる。言葉は冷静だが、そこには問いかける優しさがある。悠真の胸に、母の面影と葬儀の記憶が一斉に押し寄せる。目の前に広がる光景は、あの日とまったく同じはずなのに、その匂いや音が彼の胸を締め付ける。

「ここで降りるよ。着いたら、まず深呼吸して。焦らなくていい。 やり直しは、行動でしか始まらないよ」


悠真はうなずいた。切符はまだ懐にある。握ると小さく温かい。列車が減速する感触が伝わり、金属の床に伝う振動が弱くなっていく。窓の外の光景が流れ、やがて――一つのドアが目の前に現れた。ホームは見たことのある風景ではないが、どこか懐かしく、空気の匂いに既視感があった。


ドアが静かに開く。冷たい空気に満ちたその先は、――一週間前の夜の街角だった。夕暮れの湿った空気、通りのネオンの色、缶コーヒーの匂い。悠真は息を飲む。ここが、あの「明日」に戻れる時間だということを、体の隅々が理解した。


ティオはそっと彼の肩に触れると、小さな声で続けた。


「ここからは君の時間だ。忘れないで。君はもう一度選べる。  ただし戻った後、君の過去1年分の記憶は、一週間後に消える。それを忘れないで」

「いい……いいんだ。どんな代償でも、やり直したい」

悠真の声は震えたが、迷いはなかった。長い後悔の日々を振り払うための一度きりの機会だ。彼は深く息を吸い、周囲の景色を胸に焼き付けるように見た。ティオは小さくうなずき、検札のときとは違う、ささやかな仕草で手を差し伸べる。悠真がその手を取ると、ふわりとした安堵の感触が伝わった。列車はゆっくりとホームを離れ、金属の軋みが遠ざかる。ティオの背中が小さくなるのを見届けて、悠真は、新しい、あるいは古い時間へと、足を踏み出した。


――戻った先は、彼の狭いアパートの廊下だった。古い電球の下、ドアノブは冷たく、傘立ての傘の角が微かに見える。時間は、まさしく一ヶ月前の様子だった。スマホの通知はまだ来ていない。自分の心臓の音だけが、はっきりと聞こえる。


誘われるようにドアを押し、部屋に入る。そこには片付けられたままの書類、コーヒーの残ったカップ、机の上の小さな置き時計。悠真は震える指でそれに触れ、過去の自分が残していった痕跡を確かめる。

まずやるべきことは何か。頭の中でリストが回転する。電話をかけること、母の家へ行くこと、借金問題の連絡を断つこと、友人に連帯保証の件を説明して頼むこと。すべきことは山積みだ。悠真は一つずつ音に出して確かめるように呟いた。


「…電話…かける。今すぐかけるんだ」


手が震えながらもスマホを取り出し、母の名前を押す。呼び出し音が胸の鼓動と同調する。留守電に入れてしまった、あの夜の過ちを取り戻すチャンスだ。スマホを握る手に汗がにじむ。呼び出し音が止まると、母の声が返ってきた。だが今は、あの日とは違う自分がそこにいる。


「もしもし、母さん…俺だ。…ごめん、今までちゃんと電話に出なくて」


言葉がこぼれる。母の声はやわらかく、驚きと安堵が混ざっていた。短い会話だったが、今までの不在を埋めるために必要な言葉を、悠真は出来るだけ真摯に伝えた。母は笑い、彼の声に応え、夕飯の約束を取り付けた。小さなことだが、悠真の胸の奥にぽつりと灯がともる。



次に彼は、友人へ電話をかける。連帯保証の件、支払いのこと、抱える借金――全てを正直に伝える。電話越しの友人の声は驚いたが、やがて静かになり、そして意外な返事が返ってきた。「そんなの返さなくていい、俺が必ず返す」と。本当に解決になるかどうかはまだ分からないが、彼の胸は少し軽くなった。行動が、新しい現実を動かし始めている。その一言に、悠真は嗚咽しそうになるほど感動した。謝罪は十分ではないが、少しだけ埋めることができた。借金の件も整理がつき、友人との誤解も解けた。問題が完全に消えたわけではないが、崩壊しかけていたものが、彼の手で少しずつ修復されていく感触があった。

五日目、ついに悠真は母に病院へ行って検査を受けようと話を持ちかけた。母の体が心配だからそろそろ検査を受けた方がいいと。悠真はそっと母親の手を取った。母は少し戸惑いながらも、悠真の真剣な眼差しにうなずき、二人は車に乗り込んだ。



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