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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第十三章 刃が迫る夜

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35話

屋敷を抜け、石畳を駆け抜けると、二人は裏門を越え、ひたすら往く。夜風が彼らの耳を切る。後ろからは混乱した叫びと足音が追いかけるが、それは次第に遠くなっていく。町の明かりが後方へ過ぎ去り、やがて二人の前に山の暗がりが迫ると、蒼真は足を緩めた。

お千代は一度、立ち止まり、浅い息をつくと、やっと顔を上げた。震える声で尋ねる。


「な、なにごとですか? 蒼真──一体……」


江戸言葉の微かな抑揚を残しながらも、その瞳にはただならぬ混乱が映る。蒼真は大きく息を吸い、言葉を選んで静かに、しかし真実だけを告げた。


「君の未来を、知っている。歴史の記録に、君の名がある。何者かによって暗殺され、桐生の一族は全滅すると――」


お千代の顔が一瞬、石のように固まった。驚愕が、血のように色を変えてゆく。

それでもやがて、彼女は自分を落ち着かせようとするように、近くの丸太に腰を下ろした。 

お千代は丸太に腰を下ろしたまま、しばらく動かなかった。

夜露に濡れた草の匂いと、遠くでまだかすかに響く町の騒めきが、現実感を伴って迫ってくる。


「……暗殺、まさか……」


その言葉を、口の中で転がすように繰り返す。

自分に向けられた言葉だと理解するまで、少し時間がかかった。


「桐生家が……全滅……?」


小さく笑おうとして、うまく口角が上がらない。

笑って否定したいような話だ。


「そのようなこと……あるはずが……」


声が震え、途中で途切れる。

父の顔が脳裏に浮かぶ。厳しくも誠実な父。

朝、いつも通りに交わした言葉。

母の手。兄の背中。

今も屋敷にいるはずの人々の姿が、次々と胸に押し寄せる。


「……嘘であろう?」


お千代は蒼真を見上げた。

縋るような視線だった。


「そのような未来、聞いてはおらぬ。

桐生家は何も……何も恨みを買うようなことは……」


言葉を重ねるほど、息が乱れていく。

胸の奥が、じわじわと冷えていく感覚があった。


「もし……もし、それが真なら……」


お千代の声が、急に低くなる。


お千代は、はっと息を呑み、両手で口元を押さえた。


首を小さく振る。

否定するように、何度も。 


「そのようなこと、受け入れられない……受け入れたくない」


声が掠れ、涙が滲む。

混乱と恐怖が入り混じり、感情の置き場を失っている。


「では……私は……

私は、なぜ今まで……何も知らずに……」


問いは次第に、自分自身へ向かっていく。

守られてきた立場。何も疑わず、屋敷の中で過ごしてきた日々。

それらが一気に脆く、危ういものに変わっていく。


「……怖い……」


ぽつりと漏れた言葉は、夜に溶けるほど小さかった。


蒼真は一歩近づき、静かに言った。


「だから、今夜だけでも救いたかった。

全部を変えることはできなくても……君だけは」


お千代はその言葉に、はっと顔を上げる。

混乱の中で、ひとつの現実が、鋭く胸に刺さった。


「……では、これは……

一時の逃れに過ぎぬと申すのですか?」


しばらく沈黙が落ちる。

やがて、お千代は深く息を吸い、乱れた心を無理やり押さえ込むように背筋を伸ばした。


「……分かった」


声はまだ震えているが、そこには桐生家の娘としての強さが戻り始めていた。


「今宵は避けられた。

ならば、明日……父上に申します。

どのような形であれ、備えなければなりません」


その決意の言葉を聞きながら、

蒼真は胸の奥で、言いようのない痛みを覚えていた。

 

お千代はぽつりと笑って、肩をゆるめた。


「今日だけは、そなたに甘えてもよかろうか?」と、声はほんのり震えるが、瞳は真っ直ぐだ。


蒼真の心臓が、思わず大きく跳ねた。


お千代はひょいと身を寄せ、肩にもたれかかる。夜風が二人の頬を撫で、行灯の光とも違う、星の冷たい輝きが頭上を渡る。お千代の髪が蒼真の襟先に触れたとき、世界が一瞬、柔らかく溶けた。蒼真はそっとお千代に話しかけた。


「俺、なぜか、君と話してると落ち着く。現代では、人と関わることができなくて……でも、今は違う」


お千代は目を細めて不思議そうに首を傾げる。


「そうなのか? 意外だな。されど、よきことである。人は、互いに支えあって生きるもの。蒼真は、自分が思うよりずっと強い」


蒼真の胸の奥が、そっと温かくなる。お千代は、少しだけ間を置いてから、声を落とした――それは、これから先の言葉が、誰かを動かす力を持つと自覚したかのようだった。  


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