31話
ページをめくると、淡々とした行間に続きがあった。読み進めるほどに、蒼真の視界が揺れた。そこには、桐生家の若君を狙った暗殺の記録と、それに続く惨状、そして「若殿並びに若君令嬢、敵対者により命を落とす」といった文字が並んでいる。最後の段落に近づくと、具体的な情景が書かれていた——
「刺客は、夜襲に紛れて屋敷に侵入。令嬢は返り討ちに遭う。加害者は未だ不明、家中は深い悲嘆に沈む――」
蒼真は頁を押さえる手が震え、息が詰まった。お千代の顔が、紙の文字の裏に浮かぶ。笑って、熊を抱いたあの穏やかな顔。彼女の淡い笑い声が、耳に残る。
暗殺。桐生家に恨みを持つ者による計画的な襲撃。——ページは詳しく、その手の込んだ手口を示していた。蒼真の胸の奥で、何かが切り裂かれた。
「お千代……!」
身体が勝手に動き出す。彼は歴史書を懐に入れ、鳥居のある山道へと駆けた。息が荒く、肺の内側が燃えるようだった
社に着いた。
赤い鳥居は――そこにあった。
今日も、いつもと同じように。
けれど今の蒼真には、それがまるで“最後の扉”のように見える。
「待ってて……お千代。今、行くから」
息を切らしながら鳥居を見上げる。
その先には、救わなければ死んでしまう少女がいる。
運命に抗うしかない。
蒼真は迷いなく一歩を踏み出した。
鳥居の向こうに、江戸の世界がゆっくりと開いていった。蒼真は雨に打たれながら、屋敷へと駆け込んだ。足が泥に沈むように重く、胸は割れそうだった。
下駄の鼻緒が切れそうなほど力を込めて門を押し開くと、門の内側には人だかり。話し声が鈍く波打ち、懐中灯りが揺れる。誰かの嗚咽、誰かの「あれは…」という囁きが混じる。
「まさか…!」
人垣をかき分けて中へ入る。屋敷内の廊下は蝋燭の明かりに陰影が落ち、不吉な静けさを孕んでいる。蒼真は声にならない声で「お千代!」と叫んだ。けれど返事はない。呼びかける声だけが屋敷の木目に吸い込まれていく。
部屋を探し回った。畳の隅、押し入れの影、縁側――最後に見つけたのは、小さな客間の襖の奥。そこで、白い着物が薄く血に染まり、細い体が床に伏していた。顔色は蒼白で、唇は青い。蒼真は膝をかがめてお千代の頬に触れた。冷たい。手のひらが血で赤くなる。目からは止まらない雨のように涙が溢れた。
「だいじょうぶか? お千代、しっかりして……」
けれど、返ってくるのは沈黙だけ。蒼真は朦朧として、部屋を飛び出した。外ではもう、噂が渦巻いている。
「桐生家に恨みを持つ者が――」
「裏でよくないことをしていた、って話だ」
「まさか、御家騒動かもしれん」
人々の声が、彼女の名を汚すように宙を泳いでいた。蒼真の世界はぐらりと揺れ、雨はますます激しく窓を叩いた。足元の泥よりも深い喪失が、胸を食い裂く。
「なんで……なんで気づかなかったんだ。もっと早くに――」
叫びにならない叫びが喉から出る。身体の震えは止まらない。世界が急速に暗転するそのとき、床に淡い光が広がった。青白く、渦を描く魔方陣が、雨の匂いの中に静かに現れた。
空気が丸ごと変わる感覚。掌に触れる空気が柔らかくなり、遠くで鐘が鳴るような低い余韻が耳に残った。蒼真が立ち尽くしている間に、光は彼を、屋敷の奥でも、夜の喧騒でもない別の空間へと連れ去った。
気がつくと、そこは見慣れぬ待合室だった。壁には古い地図や歯車の図が掛かり、天井には大きな時計盤。時の匂い——埃と油の匂いと、どこか懐かしい木の匂いが混ざる。静かに流れる空気の中、背筋の伸びた男が一人、蒼真の前に立っていた。黒い燕尾服に銀の縁取り。銀髪が薄く光を受けている。
「来たか」
その声は思ったより柔らかく、しかし確かな重みがあった。男は名乗る前に一度だけ蒼真の顔を見つめた。蒼真の目にはまだ、屋敷の床に転がるお千代の姿が焼き付いている。
「ここは…どこだ? 俺は――」
言葉が追いつかない。男は一歩進み、礼をするように頭を下げた。
「失礼を。私はリュカ・ヴァンレオン。時空管理局の者だ」




