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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第十一章 鳥居の向こうでまた君と合う

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30話

鳥居をくぐった瞬間、蒼真の頭の中で世界の色が一瞬だけ破れたように光った。

冷たい風が肌を撫で、次の瞬間には見慣れた匂い——古びた畳と味噌の香りが彼の鼻を突いた。


「ここは……?」


目の前に広がっていたのは、見覚えのある縁側と、家の前に置かれた干し草の山。杉戸の硝子には陽が斜めに差し、向こう側で蜘蛛の巣が細く揺れている。蒼真は足を踏み入れると、確信した。そこは、祖母の家だった。あの山道を抜けた先にいつもある、祖母の小さな平屋。現代の、確かな場所。


――社をくぐったら、ここに出るなんて。


夢中で飛び込むように玄関を開けると、居間の囲炉裏を前に祖母が編み物をしていて、顔を上げた。蒼真は一瞬、祖母の視線が止まったのを感じた。彼の着物は江戸のまま。袖口から見える白い襦袢のはし、足袋さえはいている。


「な、なにを着ておる……蒼真!」


祖母は目を丸くし、口を大きく開けた。蒼真は慌てて説明する言葉を探したが、声がうまく出ない。喉の奥で熱いものが渦を巻いた。


どうしていいかわからず、ただ、「色々あって……」とだけ言った。


祖母はしばらくじっと蒼真を見つめてから、肩を震わせて笑った。笑いは驚きのあとに来る、安堵の笑いだった。


「まあ……そんな奇っ怪な格好で、」


祖母の手は暖かく、蒼真はほっと息を漏らした。

一日、祖母の家に身を寄せる。畳のにおい、囲炉裏のはぜる音、母の作った味噌汁に似た温もり――身体の奥に潜んでいた緊張が少しだけほどけるのを感じた。


けれど、胸の内には別の灯りが消えずに残っている。お千代の顔、声。江戸の庭先で見た、艶やかな笑み。蒼真は思った──また会いたい、と。人間関係から逃げていた自分が、真っ直ぐに誰かを求めることに驚き、そしてそれが嬉しかった。翌日、蒼真は決めた。手土産を持って、改めてお千代の屋敷へ行こう、と。


町の雑貨屋でひときわ愛らしい熊のぬいぐるみを選ぶ。小さなボタンの目を何度も確かめ、掌に載せると不思議と落ち着く。現代のシャツを仕舞い、店先で簡素な紬に着替えると、彼はあの鳥居へと急いだ。


江戸の家並みに戻ると、お千代の表情が変わった。驚きと、どこか――喜び。それは彼女の普段の慎ましさの裏側に隠していた、少女らしい顔だった。

蒼真が熊を差し出すと、お千代ははにかんで、それをぎゅっと抱きしめた。目元に光る小さな涙を、彼は見逃さなかった。


「ありがとう。可愛らしいね……これ、私の小さな友だちにしてもいい?」


「うん。気に入ってもらえてよかった」


その瞬間、二人の間にある距離が静かに縮まるのを、蒼真は確かに感じた。お千代もまた、彼をもっと知りたいと、表情に柔らかさを滲ませる。彼らは何度も時間を行き来した。蒼真は現代で買ってきた小さな贈り物を携え、江戸の服を身に着けて、お千代のもとへ向かった。お千代は毎回、嬉しそうに受け取り、二人はすこしずつ心を預け合っていく。

だが幸せは脆く、ひとたびひびが入れば一気に崩れることを、蒼真はまだ知らない。


ある日、蒼真がいつものように訪れると、お千代の顔は暗かった。庭先の向こう、屋敷の門のそばに父が立っているのが見える。いつもとは違う冷たさを、その背中が発していた。お千代は俯き、言葉少なに蒼真に告げた。


「もう会えないかもしれません。父が戻ってまいりまして……婚約の話が進められるかもしれないと。」


その言葉は、蒼真の胸を鋭く突き刺した。足元の土が抜けるように心が沈む。彼は何も言えず、ただ黙って屋敷を後にした。帰りの山道で、蒼真は初めて自分の感情の正体に気付く。お千代のことを、守りたい、側にいたい、と――これが恋だと。


吐き出すように涙がこぼれた。男の頬を伝う塩のしずく。取り繕う言葉はもう要らなかった。彼は泣いた。初めて自分の胸の奥で生まれた恋の正体を、まっすぐに受け止めるために。


その夜、現代に戻った蒼真は、江戸へ行くことをやめた。


足が重く、理性は「身分も時代も違う」と現実を突きつける。だが心は引き裂かれていく。お千代は江戸で、蒼真は現代で。ふたりは距離の重さに押し潰されそうだった。


数日が過ぎ、蒼真は祖母の家で荷物を整理していた。何気なく本棚の端に触れると、古い歴史書の背表紙が手に触れた。埃を払ってページをめくると、中に挟まれた新聞の切れ端のような紙片が目に留まる。見出しは、古い墨のにじみとともに――


「桐生家 若君御屋敷に於て惨事。刺客か、主の仇により討たる」


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