29話
その赤く染まった頬を見て、蒼真の胸がきゅっと縮んだ。何かが胸を突き上げたが、それが何なのか本人にはまだ分からない。
人付き合いに慣れない蒼真は、どう返せばいいか分からず、ただうつむいたまま頬が熱くなるのを感じていた。お千代がそっと問いかける。
「お名前を、お聞かせいただけますか?」
「・・・蒼真、蒼いって字に、真って書いてソウマ」
お千代は口元に手を添えて、やわらかく微笑んだ。
「蒼真殿、良いお名前でございますね」
「殿なんて・・・そんな呼び方、しなくていいよ」
その瞬間、何か胸の奥をそっと撫でられたかのような感覚が蒼真を包んだ。お千代は続けた。
「では、あなたは・・・何処から来られたのです?」
蒼真は深く息を吸い、覚悟を決めたように口を開いた。
「……未来から来たんだ。信じられないと思うけど。
僕も、自分でもよく分からない。どうしてこんなことになったのか……」
声が震え、言葉が途切れそうになる。
だが、お千代はじっと目を見て、迷いなく言った。
「ふしぎと……嘘には思えません。
なぜなのかは、わたくしにも分かりませんけれど。」
その真っ直ぐな瞳に、蒼真は胸が熱くなる。
誰にも受け入れられなかった自分の話を、こんな風にまっすぐ信じてくれる人がいる。それが信じられず、戸惑いと安堵が混ざり合った。
お千代は、膝に置いた手をぎゅっと握りしめて言う。
「どうすれば、元の世へ戻れるのか……共に考えましょう。
まずは、何がきっかけだったのかを。」
蒼真も頷いた。
「鳥居のある小さな神社で願ったとき……この世界に来たんだ。」
「やはり、鳥居……神社。そこに鍵があるのかもしれません。」
話を続けようとした時、外はすでに藍色に染まり始めていた。
お千代は立ち上がり、少しだけ不安を含む声で言った。
「今宵は……泊まっていってくださいませ。
父はしばらく国元へ、お母様もご実家へ戻られております。
客人を泊めても咎められることはございません。」
蒼真は“泊まる”という言葉に動揺しつつも、頷くしかなかった。
その後、見慣れない木桶の湯殿に通され、湯の香り、桶の音、薄明かりの行灯すべてが非日常だった。
浴衣のような着物に袖を通すと、布の感触が現代とまるで違った。廊下を歩けば、使用人たちがひそひそと話すのが耳に入る。
「若奥様のお気に入りかしら――」
「まあ、まあ……」
蒼真は耳まで熱くなった。
夕餉は豪華で、色鮮やかな料理が膳に並ぶ。
お千代は穏やかな笑みを浮かべ、蒼真の箸使いを優しく教えてくれた。
「いつも……家族は皆、忙しゅうて。
食卓の膳が揃ったことは、ほとんどございませんの。」
ぽつりと漏らしたその独り言に、蒼真の胸が痛んだ。
家族と離れ、寂しさを抱える少女の姿が、昔の自分と重なる。
気づけば、お千代と向かい合って話しているだけで、
心の奥の重たい鎖が少しずつ緩んでいくのを感じていた。
夜になり、蒼真が客間に通され、布団に腰を下ろしていると──
「蒼真、よろしければ……」
そっと襖が開き、お千代が顔をのぞかせた。
二人はしばらく他愛もない話をした。
未来のこと、江戸のこと、互いのこと。
気づけば、蒼真は笑っていた。そんな自分に驚いた。
翌朝。
「鳥居、がやはり鍵なのではないかと、わたくし思うのです。」
お千代が言った。
使用人に尋ねると、
「近くの山の奥に、小さな祠がございます」と教えられた。
蒼真は立ち上がった。
「……そこへ行ってみる。何か、分かるかもしれない。」
「そう、でございますか……」
お千代は目を伏せ、寂しげに言った。
「……短い間でしたけれど、お世話させていただけて……わたくし……とても……」
蒼真は胸が締め付けられるような思いで言った。
「僕のほうこそ……ありがとう。
助けてくれて、本当に……ありがとう。」
門の前で、蒼真は深く頭を下げた。
お千代は唇を噛みしめ、微笑もうとして微笑みきれない顔で、その背を見送った。
「どうか……ご無事で。」
小さく漏れたその声を、蒼真は振り返れずに聞いた。
朝の風が、二人の距離を静かに引き裂いていくようだった。




