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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第十一章 鳥居の向こうでまた君と合う

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28話

夏の終わり、祖母の田舎屋敷に来てから三日目の午後だった。


山の風が古い欄間を揺らし、日差しは田んぼの波を金色に染めている。蒼真は縁側にしゃがみ込んだまま空を見上げることもなく、ただ時の流れに身を任せていた。


蒼真は人間付き合いが苦手で友達ができない。そのせいで学校に行けていない。そんな自分を、どうにもできないまま祖母の家に連れてこられたのだ。


前の夜、襖の薄い部分から母と祖母の話を聞いてしまったことが、まだ胸の奥に刺さっている。


蒼真のことだった。蒼真の今後のことについて母が「どうしたらいいのか」と繰り返していた。


祖母は迷うことなく、静かに「山神さまの社へ行かせてみるのがいい」とささやいたのだ。


翌朝、母に促されるまま蒼真は山神さまの社へ向かった。小さな社で、鳥居をくぐる足に砂利が心地よく沈む。


手を合わせたとき、胸のどこかで「家族に迷惑をかける自分なんか、いなくなってしまいたい」とつぶやいてしまった。


願いというより、逃げのような思いだ。


帰る際、鳥居をくぐった瞬間──白い光が視界を満たした。


目を細める間もなく、世界は引き裂かれ、匂いも音も変わった。気づけば、蒼真は見知らぬ場に立っていた。空気は土と馬の鉄具の油の匂いで満ち、背後を行き交う着物の裾が視界に入り、現代の服装がぐっと浮いて見える。


「ここは、どこだ?」


僕の声は薄く震えた。通りの向こうから馬に乗った武士の列がやってくる。彼らの視線がこちらに刺さった。時代劇の絵に紛れ込んだようで、足がすくむ。


「おや、こやつ、何処ぞの者か」


先頭の侍が呼び声を上げる。声は低く、石を投げつけるように鋭い。


「奇妙な格好をしとる、怪しき者め、すぐに取り締まれ」


部下たちが一斉に帯差しの刀に手を掛ける。蒼真は言葉すら出ず、ただ息を詰める。頭が真っ白になって、どうすればいいのかまったく分からない。


背中に冷たい汗が伝う。捕まれば役所へ連行され、取り調べられ、最悪処罰されると聞いたことがある。現代なら考えられない恐怖が、ここでは現実のものとして迫ってくる。


そのとき、群衆のはざまから細い声がした。


「この者は、私の使用人にございます」


振り向くと、藍色の袖を纏った十七ほどの娘が一歩前に出ていた。頬は紅く、目はきりりとしている。見るからにこの地の者で、その口調は凛としていた。


「もしや、そなたは桐生家の──」


先頭の侍が名をたずねると、娘は一礼して答えた。


「桐生お千代と申します、この者は桐生家の使いでございます。御手を煩わせる必要はございません」


侍は一瞬眉を寄せたが、娘の言葉と所作を見て、表情を緩めた。


「なんと、桐生さまの使いであらせられるか、ならば取締りに及ぶまい、さあ、皆引き下がるぞ」


部下が武者震いをしつつも列を整え、散開していった。


蒼真は呆然としていた。お千代はにこりともしないで蒼真に手招きをする。


「お連れ申す、桐生屋敷へ参れ」


従うしかない。馬の道を避けるように、蒼真たちは屋敷へ向かった。

石段を上り、大きな門をくぐると、敷地の広さに息をのんだ。庭は広く、松が悠然と根を張り、池があり、鯉がゆっくりと泳いでいる。


屋敷は二階建ての大きな造り、板の間と磨かれた梁が歴史を語っていた。


部屋に通され、お千代に促されて「この辺に座っておれ」と案内される。畳の感触が素足にひんやりと伝わる。


座るように促された場所には、掛け軸と生け花が慎ましく飾られていて、静けさが支配していた。


「どうして、助けてくれたの?」と僕は震える声で尋ねた。


問いは自分でも突拍子もなく、でもどうしても聞きたかった。


お千代は視線を外さず、しかし声は柔らかく答えた。


「もしも、あのまま役所へ連れて行かれれば・・・・処罰されることもある。ここは、世情が荒れておる。怪しき者は即座に役所の御用掛へ差し出され、裁かれると聞く。故に、放っておけば、そなたは命を落とすやもしれぬからな」


処罰、命を落とす─その重みが、胸に鉛のように落ちた。


「処刑、されるって──?」


声が震えた。現代の常識では想像できない結末が、ここでは現実の寒気を呼んでいる。


お千代はふっと息を吐き、少しだけ目を伏せた。


「故に、私は放っておけなかった。運命のお導きかもしれないな。桐生の名にて申します。此処にて暫し休んでください」


その言葉を聞いた瞬間、僕は驚愕の中に立ち尽くした。救われた理由がもし役所に連れてかれていたら命が危うかったという事実が、目の前に突きつけられたのだ。


江戸時代、ここは一歩間違えれば命の色が変わる世界なのだと、初めてはっきりと理解した。


畳にすわったまま、蒼真は震える手で膝を抱えた。外ではウグイスの声がどこか遠くで鳴いて、屋敷の梁が静かに空気を割っている。

お千代の横顔だけが、決然として見守るように光を受けていた。


桐生屋敷の静かな座敷に、灯明がほのかに揺れていた。畳の上に座った蒼真は、まだ胸の鼓動が落ち着かずにいる。

お千代は座布団の端に正な姿勢で座り、こちらをじっと見つめていた。その横顔は凛として美しく、年齢よりずっと落ち着いて見えた。


「先ほどは、本当に・・・ありがとう」


ようやく絞り出した蒼真の声は頼りなく震えた。お千代は静かに微笑んだ。


「あのままでは危うかったから。それがひとつ」


そう言ってから、ふっと視線をそらし、小さく続けた。


「・・・それだけでは、ございませんけれど」


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