24話
窓の映像は、さらに深い“家の奥”へと移動した。
食卓。散らばった皿。
父の怒鳴り声。
怯えて震える母の肩。
玲奈は、窓の向こうの過去に向かって話し始めた。
それはもう、止められないほど静かで、痛い告白だった。
「……ずっと、怖かったの。
お父さんが怒ると、壁に物を叩きつけたり……
小さなことで、急に怒りだして……
笑ってるときもあったのに、急に豹変したりして……
誰にも言えなかった。
友達にも、先生にも……斗真にも」
斗真の心が締めつけられる。
玲奈は震えながら、それでも窓を見つめ続けた。
「でもね……私が耐えればいいって思ってた。
ずっと我慢してれば……家族は壊れないって……
誰も傷つかずに済むって信じてたのに……
結果、だれ一人……私は守れなかった……」
窓の映像は、あの“最悪の日”へ移り変わっていく。
父の荒れた声。
投げられる物。
倒れる母の姿。
玲奈の涙がこぼれ落ちたその瞬間――
隣の座席から、柔らかいティオの声が流れた。
『……過去は、ただ流れるだけだよ。
だけど、向き合う勇気を持った人だけが、未来を変えられる』
玲奈は涙を拭き、震える声で言った。
「斗真……戻ろう。
あの時を変えたい。」
斗真は強くうなずいた。
「うん。今度は絶対に、守る」
窓の外で映っていた“過去”が、ゆっくりと白い光に溶けていく。
二人の視線はその光をまっすぐに見つめていた。
――変えるために。
――取り戻すために。
列車は、静かに目的地へと進んでいった。
列車の揺れが小さくなるころ、ティオが静かに告げた。
「人を頼ることは、弱さじゃない。むしろ、誰かの手を取る勇気は一番強い。」
その言葉は、いつもより少しだけ温かく、でも鋭く胸に刺さった。
斗真は握った拳を緩め、玲奈の肩に軽く触れた。玲奈の目が小さく揺れる。二人は無言で頷き合っていた。列車は、金属の低い唸りを残してホームに滑り込んだ。彼の目はいつもより少しだけ真剣で、まるで「ここから先は君たち次第だよ」と囁いているようだった。
扉がゆっくりと開くと、冷たい空気が車内に流れ込んだ。金属と油の匂い、遠くで聞こえる駅放送の途切れ途切れのメロディー、プラットホームに立つ人影のざわめき——それらが一斉に押し寄せ、玲奈の胸が小さく波打つ。
ティオは短く会釈してから、切符入れを胸にしまい、ふわりとした声で告げた。
「ここで降りるんだよ。気をつけて。急がなくていいからね」
その声は安心を投げかけるようで、けれど決して甘くはなかった。彼の目は、これから先に待つ選択の重さをちゃんと見据えている。
斗真がそっと玲奈の肩に手を置く。玲奈は小さくうなずき、二人で並んでホームを抜ける。風がふたりの間を通り、その冷たさが頬を撫でる。外の光は車内よりも鮮明で、遠くに見える街路樹の影がゆっくりと揺れていた。
「行こう。まずは児童相談所まで行って、ちゃんと大人に話をしよう」
斗真が低く囁く。声に確信が混じっていて、玲奈はそれだけで少しだけ背筋を伸ばす。
駅を出ると、外の通りが二人を迎えた。車の行き交う音、パン屋の匂い、遠くで子どもが笑う声——いつもなら何でもない音が、今日は決断の合図のように聞こえる。歩道を並んで歩くたびに、玲奈の心は小さく震えながらも前へ進む。
二人は顔を見合わせ、無言のうちにお互いの意志を確かめ合った。これから児童相談所へ向かうこと。そこで本当のことを話して、大人の手を借りること。どちらも怖くて大きな一歩だが、もう一人で抱え込むわけにはいかない——その自覚が、二人の足を速めた。




