23話
玲奈の目が揺れ、斗真の喉が苦しげに動く。
「どういう……こと……?」
「簡単に言えば、戻ったあと、あなた方は“忘れる”のです。
恋人だったことも、つらい一年の出来事も、全部」
玲奈の手が震え、斗真はその手を覆う。
「でも……助けたい。あの夜を変えられるなら……」
斗真が強くつぶやいた。
玲奈は葛藤しながらも、ゆっくり頷く。
「わたし……生きたい。
あの夜をやり直したい……。お母さんも……守りたい」
リュカは静かに微笑んだ。
「決心は固いようですね。
では――“時空への扉”を開きましょう」
リュカが深く息を吸い、低く、しかしはっきりと呪文を唱え始める。声は古い鐘の音のように空気を震わせた。
「時の流れよ、我が声に従い、迷いのない軌跡を示せ。
過去と未来を結ぶ道を、刻の裂け目に映し出せ。
光の輪が導くは、時空電鉄への扉。
今、現れよ、扉よ、我に開かれたる軌道の門よ。」
言葉が空気に落ちると、待合室の床に薄い輪が浮かび上がり、そこから光の階段が天井へと連なった。金属と紙の匂いが混ざり、古い駅の空気が呼び戻される。扉が開く音はしない。そこに「通路」があるだけだった——明らかに開いた道、行き先を示すだけの門が。
二人は互いの手を強く握り合い、門へと歩き出した。
すでにホームには列車が静かに停まっていた。銀色の車体は無機質に輝き、窓の中には微かな人影が揺れている。制服姿の少年、車掌のティオがドアのそばで待ち構えていた。彼の表情は柔らかく、それでいて仕事人の確かさが宿っている。
「切符、お願いします」
二人の手にはいつのまにか、金色に輝く切符が握られていた。二人の手は自然と切符を差し出した。
――過去へ戻るための、たった一枚の切符。
ティオは小さな銀色の鋏を取り出した。まるで古い駅の刻印を押すかのように、切符の端をそっと撫でる。刃先が紙ではなく光を撫でるような金属音を立て、切符は一瞬だけ青白く輝いた。
「有効です」
ティオの声は淡白で、それでいて確かな判定だった。指先で切符を折るのではなく、空間を軽く裂くような動作で“検札”を終え、切符を胸ポケットにしまう。二人は同時に、ホームの小さな階段を上って車両の乗降口に向かった。
列車の扉は、外側から見るよりも重厚に感じられた。金属と木の匂いが混ざる、どこか年季の入った内装。乗降口のステップを一歩ずつ上がると、靴底に伝わる振動が胸に微かに響く。ティオが一礼する間に、斗真は玲奈の手をさらに固く握った。彼女の掌は冷たく、少し震えている。
「こちらへどうぞ」
低く柔らかい声に導かれ、二人は車内へと入る。座席は革張りで、縫い目がしっかりしている。窓枠に映る自分たちの顔は、まだ火照っていて、涙の後に薄く光る。斗真は窓側の席を取り、玲奈を窓に近い方に座らせた。シートが背中に沈む感触が、なぜか安心をくれる。
深紅の座席に隣同士で座った途端、列車が静かに動き出す。ガタン――。
走り始めたというより、別の時代へ滑るように進んでいく。
その感覚に、玲奈は小さく息を呑んだ。
ふと、斗真が窓の外に視線を向ける。
「……玲奈、これ……」
玲奈もつられて外を見る。
窓の向こうに広がっていたのは夜の街でも空でもなかった。
そこには――二人の“過去”が映っていた。
幼い頃、河川敷で縄跳びをして笑う玲奈。
その隣で、全力で回数を競って負けて悔しがる斗真。
学校帰り、傘を忘れた玲奈に斗真が自分の傘を差し出しているシーン。
そして、もっと最近――
玲奈の家の前で、斗真が何度もインターホンを押し、
中から聞こえる怒鳴り声に動揺している姿。
まるで映画のように、二人の過ごした時間が映し出されていく。
玲奈の指が震えた。
「どうして……? これ……全部……」
斗真は答えられなかった。
説明できる言葉を持っていなかった。
そのときだった。
窓の映像が、玲奈の“部屋のドア”へと切り替わった。
中からすすり泣く声が聞こえているような錯覚すら覚える。
「……私……こんな顔してたんだ」
斗真は気づく。
映像だけじゃない。
玲奈の心を刺していた“秘密”が、一緒に溢れ出しそうになっていることを。
「玲奈……無理に話さなくてもいい」
そう言いかけた瞬間、玲奈が首を横に振った。
「違うの……斗真にだけは……本当のこと、言いたいの」




