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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第六章 時を超えた父の愛

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16話

「搬送しましたが、確認の結果、死亡が確認されました」


妻の体が揺れ、嗚咽が弾けた。隆司の視界は歪み、何かが砕ける音が胸の中でこだました。言葉は出ない。妻が震える手で隆司の指を掴む。彼女の掌は汗ばんでいて、力を込める。だがその問いかけは止まらない。


「どうして、どうしてなの」

妻の言葉は叫びにも似て、隆司の胸に深く突き刺さる。隆司は自分を弁護する言葉を探したが、喉の奥からは何も出てこない。過去の決断が、今、冷酷に跳ね返ってくる。

妻が泣き崩れる横で、隆司はゆっくりと立ち上がった。手元の空気がひんやりと変わるのを感じる。床の木目に沿って、いつの間にか淡い青い光が滲み出している。その光は渦を描き、空間の奥底に紋様を浮かべる。隆司はそれに気づき、視線が引き寄せられた。

「こんな――夢じゃないのか」

口にした言葉は、自己嫌悪と希望の混ざった呟きだった。妻の嗚咽は遠くなり、光の中心にだけ視線が集まる。魔方陣は静かに、しかし確実に広がりを見せていた。隆司の心は、娘にもう一度会いたいという渇望と、今までの頑なさに対する深い悔恨に満ちていた。

彼は震える手で一歩、魔方陣の縁に触れた。触れた瞬間、肌を走る冷たさと暖かさが同時に襲い、胸の奥で何かが弾けるような感覚に襲われた。後悔が叫びとなって噴き出し、同時にどこかから囁くような声が聞こえた。


「ここで、何かを決めるか――それとも、ただ後悔に溺れるか」


隆司は深く息を吸い、妻の方へ振り返った。妻は顔を上げることもできず、ただ彼の帰りを待つように無力に手を伸ばしている。隆司は妻の手をもう一度強く握りしめ、その感触を確かめた。愛していた。今さらながら、それが真実であると骨の髄まで響いた。


しかし、同時に彼の中で一つの決意が膨らんでいた。どんな方法でもいい、たとえ代償が重かろうとも、娘にもう一度会いたい――その思いが、静かに、しかし確実に隆司を魔方陣へと導いた。


床の光が渦を巻き、紋様がはっきりと浮かぶ。青白い輪郭が隆司を取り囲み、空間の奥に新たな穴が開いていく。病院のざわめきと妻の泣き声が遠ざかる中、隆司は一歩、光の中へと歩を進めた。第六章6

「ここは……どこだ?」


隆司の声は、思わず喉の奥から漏れた低い問いかけだった。床に反射する光は普通ではない青白さを帯び、周囲には古い掛け時計や埃をかぶった本、奇妙な歯車が並んでいる。壁に掛かった無数の時計の針は、それぞれが違う速さで時を刻んでいた――狂っているようで、しかしどこか秩序だった調和を見せている。


立ちすくむ隆司の前に、黒い燕尾服の男が静かに歩み寄った。黒色に光る髪の端が小さく震え、その瞳は冷たくも温かい。リュカ・ヴァンレオンだ。彼は言葉少なに、しかし確かな声で告げた。


「ここは、時空電鉄の待合室だ。君が今感じている戸惑いは当然だ。普通の場所ではない」


隆司は周囲を見回した。棚の片隅には、背表紙が光る小さな本が何冊も並んでいる。1冊1冊に、誰かの名前が刻まれているように見えた。胸の奥がざわつく。どう説明すればいいのか、言葉を探すうちにリュカがゆっくりと続けた。


「選ばれた者だけがここへ来る。強い願い、あるいは深い後悔が扉を呼ぶ。君の願いは――あの娘の命を救いたい、というものだろう?」

隆司の返事は、最初は出なかった。喉の奥で、あの病院の白い蛍光灯と妻の嗚咽、娘の沈黙が反芻する。やがて、小さく震える声で答えた。


「……ああ、娘を救いたい。またあの笑顔がみたい。たった一度でいい。せめてその姿を、この目で確かめたいんだ」

リュカは静かに頷き、店の奥へと向きを変えた。棚の一冊を指で軽く弾くように触れると、本が淡く発光した。隆司はそれを見て身震いする。


「まず、説明をする」リュカの声は説明的だが押し付けがましくない。

「ここで扱うのは“時間の扉”だ。過去へ戻ることができる。だが代償がある。時の規則は厳格で、誰にでも甘くはない」

隆司はその言葉を聞く間にも、胸の鼓動が速くなる。リュカはゆっくりと条件を列挙した。


「代償は、過去一年分の記憶だ。君が“支払う”のは、その一年に起きた出来事の感触や細部――記憶そのものだ。戻ることはできる。触れ、見て、会える。しかし、戻ってから七日後、君はその一年分の記憶を失う。失われた記憶は“メモリーズブック”という形になって、本棚に収められる。君はそれを手に取ることはできない。中の文字は、誰にも戻らない」


隆司は言葉を詰まらせた。失う――。一年分の思い出。妻と交わした些細な言葉、娘の寝顔を見た夜のこと、仕事での小さな出来事。それらが、代償になると聞くと、胸の中が冷たくなる。


「死そのものを容易に変えられるわけではない」とリュカは付け加えた。

「時の法則上、喪失した“死”をひっくり返すのは非常に困難だ。あるいは不可能に近い。だが、見届けること、あるいは微かな差を起こすことはできる場合がある。確率は場所と時間、そして運命の糸の絡み方による」


隆司の視線は床の光に落ちた。

そこには、先ほど見たあの小さな本棚と同じ棚が、まるで呼吸するかのように静かに光っている。妻と交わした言葉、「後悔しない」と誓った自分の言葉が頭の中で砕けていく。胸にあるのは、もう一度あの笑顔を確かめたいという切実な欲求――それだけだった。


リュカはゆっくりと一歩前へ出る。彼の声はさらに低く、しかし澄んでいた。


「君は、それでもいいのか?記憶を失っても、心の灯火は残ると信じるか?一歩踏み出せば、君の人生は変わる。だが、その代わりに何かを失うかもしれない」



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