12話
最終幕――崩壊の夜。
文化祭から数週間後、琴乃は自主的に小さな会合を開いた。表向きは「仲直り」のためだと周囲に伝えたが、誰も本気にはしなかった。会場に来た数人の顔が冷たく、言葉は形式的だ。エマは遠くから、それを眺めていた。
会合の終盤、琴乃はついに声を上げる。小さな声で、震えながら。
「私は……怖かった。あなたたちに嫌われるのが怖くて……だから助けなかったの。わかってよ」
空気が止まる。返ってきたのは、慰めでもなければ赦しでもない。
「助けてもらったくせに、自分だけ逃げたんでしょ、最低」と、誰かが、冷たく言い放つ。
琴乃の顔が崩れる。すすり泣きが、誰の頬にも伝染する。けれど、そこには和解の温度がない。観客がいる演劇の最後のシーンのように、琴乃は自らの言葉で舞台を下りる。背後からは、静かに遠ざかる足音。扉が閉まる音は、彼女の世界の閉鎖を意味した。
エマはその場を離れ、夜空の下でひとり歩いた。冷たい風が頬を打つ。復讐は完成した。琴乃は崩れ、仲間は動揺し、かつての秩序は壊れた。だが満たされているかと言えば違う。勝利の余韻は、空虚と同化する。
中学の昇降口。
新しい春、何も知らない同級生の笑い声が響く。
エマはゆっくりスニーカーの紐を結びながら思った。
──この景色に戻りたかった。
でも、戻っただけじゃ足りない。
「奪われた時間は、奪った分だけ返す」
顔を上げると、加害者グループのリーダー・水城がいた。
去年エマを笑いものにし、無視し、靴を隠し、机に落書きまでした張本人。
けれど今のエマの表情は、あのときの怯えじゃない。
柔らかさに包んだ“完璧な笑顔”。
「おはよう、水城さん。今日もよろしくね」
水城は一瞬、戸惑った。
エマが笑っていることに。
それでもすぐに余裕の表情に戻る。
「……気持ち悪。媚びてんの?」いいよ。予想通りの反応。
エマは笑顔のまま去った。
彼女の中では、もうひとつの役割が始まっている。
【絶対に手を汚さない復讐】
・証拠は持たない
・脅さない
・暴力もしない
・表向きは「優しい友達」
ターゲットが勝手に壊れていくように
ひとつずつ仕掛ける。
最初の一手は「担任からの信用」。
授業後、エマは職員室にノートを持っていく。
「先生、プリントの番号水城さんが持ってるって聞いたんですけど…
私のお家少し遠くて、今日プリントないと大変だから……」
天然のように、偶然のように。
担任・田淵は眉をひそめる。
「水城が?配らなかったのか?」
「ぜ、ぜんぜんそんなことないと思います!
きっと、たまたま忘れただけで…!」
田淵に「水城は配布物の管理をサボる」と印象づける。
それだけでいい。まだ攻めない。
次の一手。
掃除時間、エマは雑巾をしぼりながら
わざと少し聞こえる声でクラスメイトに言う。
「最近、水城さん疲れてるみたい。
先生に怒られてたの、たまたま見ちゃって……心配」
心配してる“風”の優しい言い方で。
嘘は言っていない。
プリントの件で軽く注意されていたのは事実。
でも周囲の印象はこう変わる。
→ 水城は先生に目を付けられている
→ 水城はクラス運営のじゃまをしている
水城の表情が徐々に曇っていく。
まだ誰も自分をいじめていないのに、
周囲だけがなぜか少しずつ距離を置き始める。
水城は困惑していた。
人は説明のつかない孤立を最も恐れる。
──まだ序章。
エマは筆箱から小さな紙を取り出す。
裏には暗号のように細かい矢印と時間が書かれている。
それは復讐計画ではない。
その日の放課後。
エマは職員室の前で立っていた。
ふと、田淵がスマホで動画を見て笑っていた。
内容はクラスの生徒の悪口に近いもの。
──なるほど。
先生も壊すなら、順番はこうだ。
水城を追い詰める
→ 水城のせいでクラスにトラブル続発
→ 田淵は「管理できない無能教師」という評価へ
水城が壊れれば、田淵も巻き添えになる。
いじめを見逃した報いは、いじめの責任を押し付けられて終わる。
「ねぇ田淵先生。
先生は、生徒が困ってたら助ける人ですか?」
エマの声は柔らかいのに、なのに冷たかった。
田淵は笑ったまま答える。
「もちろんだよ?先生だからね」
──その言葉、壊してあげる。
エマは静かに踵を返した。
復讐の大時計は、もう動き出した。
崩壊はゆっくり始まる。
だが終わるときは一瞬──雷みたいに。
水城の崩壊は、周囲が気づかないほど静かに始まった。
──第二のターゲットは「仲間」。
水城の取り巻きは3人。
特に中心にいたのは、派手で噂が大好きな少女・黒江。
彼女は水城を好きで従っているわけじゃない。
「支配者の隣にいれば傷つかない」
それだけの理由で群れている典型的なタイプ。
だから壊すのは簡単。
昼休み、エマは黒江の隣にそっと座った。
「あのね、黒江さん。
本当に余計なお世話ってわかってるんだけど──
もし水城さんのことで困ってるなら、言ってね?
味方がいないのって苦しいから」
黒江は一瞬固まり、すぐにいつもの調子で笑った。
「別に困ってねーし。なんで?」
その声は強がり。でも目が泳ぐ。
えまは“驚いたような表情”をつくった。
「……あっ、やっぱ知らないんだ。
先生に呼び出されてたの、黒江さんの悪口についてらしい」
黒江の顔色が変わる。
もちろん嘘はひとつも言っていない。
呼び出されたのは水城。
“黒江の悪口の件”と言ったのはえまの推測という形。
つまり証拠ゼロ。罪にもならない。
けれど人間は
“最悪の想像を勝手に自分の中で育てる”
と壊れていく。




