10話
エマの肩が上下する。呼吸が荒い。
そして――はっきりと、初めて強い声で言い切った。
「全員に復讐したい。
苦しめられた人たち、裏切った人たち、全員に……!」
車内に、エマの声が響き、静寂が落ちた。
ティオはすぐには返事をしなかった。
真剣に向き合うように、エマの目を見つめる。
「……それが、君の望みなんだね?」
エマは涙に濡れた顔で、強く、首を縦に振った。
「うん……それがいい……」
その言葉は、弱々しくもあったが――嘘ではなかった。
電車がカタン、と音を立て、闇のトンネルをさらに深く進んでいく。
電車の揺れに合わせて、ティオの声が静かに響いた。
「復讐――それは、ただ怒りをぶつけるだけじゃない。
相手の弱さや傲慢さを知って、慎重に動くことが大事だ」
エマは息を整えながら、かすれた声で聞き返す。
「……慎重って……どういうこと?」
ティオは窓の外の闇を見つめ、ゆっくりと話す。
「力任せにやれば、自分も傷つく。
でも、相手の油断や弱点を見抜ければ……思い通りにできる。
復讐は、知恵と計画が命だ」
エマの目に小さな光が戻る。
心の奥でまだくすぶっていた憎しみが、少しずつ形を帯びていく。
「……なるほど……」
声に力が戻り、頷く。
「ただ……やみくもに怒るんじゃなくて、計画を立てろってこと……」
ティオは微笑むわけでもなく、ただ静かに頷いた。
「そうだ。焦らず、相手を知るんだ。
焦りは自分を傷つけるだけだ」
エマは握りしめた手のひらに、力を込める。
復讐への意志は、静かに、しかし確実に燃え始めていた。
エマは拳を握ったまま、視線を落とした。
胸の奥に、かつて失いかけていた熱が戻ってくるのを感じていた。
――逃げない。
もう泣き寝入りなんてしない。
奪われたまま終わってたまるもんか。
その瞬間、車内に低く響く電子音が鳴った。
《まもなく――時戻りホーム。降車するお客様は――お支度を》
アナウンスが終わると同時に、列車が速度を落とし始める。
窓の外の闇がほどけ、代わりに巨大な時計盤のようなホームが姿を現した。
無数の歯車がゆっくりと回転し、金色の粒子が舞っている。
ティオが立ち上がり、帽子のつばを軽く下げて言う。
「ここで降りるのは君だ、エマ。
君の“過去”はこの先にある」
心臓がどくんと鳴った。
怖さと期待と怒り――全部が混ざったような感覚。
「……本当に……戻れるんだよね」
声は震えていた。
ティオは頷く。ただし一切の感情を見せずに。
「戻れる。ただし、思い出すんだ。
復讐を果たすのは、戻ってからの“君自身”だ。
計画を立て、慎重に――望んだ結果を奪い取るんだ」
ドアが開き、白い光がエマの足元を照らす。第五章 復讐の始発駅
降りるべきか、やめるべきか。
それでも、エマの足は自然と前へ出ていた。
――あの日を変える。
あの日からすべてをやり直し、全部返してやる。
ホームに降り立った瞬間、背後でドアが閉まる音がした。
振り返るとティオの姿は遠ざかり、列車は静かに闇へと消えていった。
エマはひとり、巨大な時計盤のホームに立つ。
目の前には――「過去へと続く扉」。
復讐の火が、確かに燃えている証拠だった。まだ朝の光は柔らかく、誰もいない静けさが、かえって恐ろしい。ここが、彼女の復讐の始まりの場所——「復讐の始発駅」。
駅を出てから数日後、エマは復讐の設計図をノートに書き綴っていた。
そこには一つの単純な原理だけが記されている。
「相手に『安心』を与え、安心から『本音』を引き出す。
自分の口で自分を暴かせる。周囲はそれを見、聞き、判断する──それで十分だ」
直接的な暴力も、ありもしない動画を捏造することもない。
必要なのは時間と、相手が自分を信用してしまう環境、そして少しの演出だ。
標的は琴乃。
かつてエマが命を張って守った子。
あのときの琴乃の震える背中を、エマは忘れていない。
そして、エマがいじめられているときに琴乃が“見ないふり”をしたことも──忘れていない。
まずエマは、琴乃の“安全地帯”を一つずつ切り崩すことにした。
琴乃が頼る「仲間」たち、琴乃が自分を正当化するために使う「言い訳」、そして琴乃が一番嫌う「不確実性」。
それらを、時間をかけて一つずつ齧っていく。
仕掛けはシンプルだが冷酷だ。誰も怪しまない方法で、琴乃の“安心”を剥がす。
文化祭が近づくと、エマはボランティアとして裏方の仕事を引き受けた。
目立たない立場、でも情報の流れと会場の動線には詳しくなれる立場だ。
裏方の名札を胸に下げたエマは、笑顔を作り、軽口を交わし、琴乃の居場所を観察する。琴乃は不意に孤立する時がある。そんな瞬間に、誰かの耳元で「ねえ、知らない?」と囁かれれば、噂は歯車のように回り始める。




