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時間を巻き戻せる切符――代償は、君との一年分の記憶でした    作者: まなと
第一章 消えた日々の記憶

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1話

プロローグ

かつて世界はひとつだった。時間という概念はなく、過去と未来が絡まりあった混沌の海──そこに秩序を求めた者たちがいた。彼らは自らを「時の番人」と名乗り、次元を切り裂く「裂け目」を通じて時間軸の管理に着手した。




「時空電鉄」という名を与えられた巨大な機関。それは列車の形を模しながらも、魂を運ぶ箱舟として設計されていた。動力は人々の「未練」と「希望」。それを吸い上げ、燃料に変換するのが「時空管理局」の役割だ。




時空管理局は次元の狭間に浮かぶ古城で、歯車の音を奏でていた。主任である私は、今日もコントロールルームの大時計盤を見つめる。針が歪むたび、どこかで人生の軌道が狂っている証拠だ。




「主任」


部下が銀色の封筒を持ってくる。「新規案件です。本日分です」


封蝋には血のような赤いインク。申請書は依頼者の人生を一枚の紙に押し込めている。




「今回は五件か……ふむ」


第一案件:三十二歳・会社員。母親への罪悪感と借金問題。


第二案件:十七歳歳・女子高校生。いじめによる孤立。


第三案件:五十一歳・娘の結婚に伴う葛藤。


第四案件:十七歳・女子高生、男子高校生、家庭内での暴力。


第五案件:タイムバグによる問題


時空管理局が定めた規則はただ一つ──「代償として過去一年分の記憶を得る」こと。時間の流れに介入するには相応の犠牲が必要だ。この原則は、私たちにとって神聖なものであると同時に、人間には過酷すぎる枷でもある。




だが例外もある。心の底から他者を思う者は、たとえ時を逆行させても、記憶を失っても、なお価値を見出すことができる。私たちが求めているのは、そうした“真実”の瞬間だ。




「リュカを呼べ。準備させろ」


時空管理者リュカ・ヴァンレオン。黒い燕尾服に黒髪の青年は、今日もどこかの待合室で待っている。


第一章「消えた日々の記憶」

午前0時、東京郊外。雨粒が安アパートのベランダを叩き、蛍光灯の影を揺らしていた。二〇一号室のドアが軋んで開く。傘もささずに帰宅した悠真は、びしょ濡れの上着を脱ぎ捨てる。


スーツの内ポケットから取り出した給与明細は、毎月変わらない数字だった。手取り十八万。家賃七万五千円、残りは母への仕送りと返済に消える。


(今月も足りない……また借りないと)

机の引き出しには、消費者金融のダイヤルリスト。十社を超える契約。連帯保証人になってしまった悠真は利息を払い続けるだけで、本質的な解決など見えてこない。


スマホが震える。上司からの着信だ。「課長の案件を急いで提出しろ」と一方的に告げられる。通話終了後、拳で壁を殴った。

またスマホが震え、画面に母の名前が表示される。

「……またか」


指先は止まる。胸の奥で何かが疼く。しかし悠真は通話ボタンを押さなかった。忙しさと疲労に紛れ、無視することを選んだのだ。


(明日、話そう……いや、明日こそ……)


その「明日」は二度と訪れなかった。一週間後、母が倒れ、病院で息を引き取ったと知らせが届く。悠真はその場で膝をつき、雨のように溢れる涙を止められなかった。


葬式の光景は、時間の流れを止めたかのように重かった。白い祭壇の前に立つ母の写真、冷たい空気、香典袋の山――すべてが悠真の胸を押し潰す。

「ごめん……ごめん、母さん……」


声は出るが、空気に溶けるばかり。母への後悔、無力さ、すべてがぐるぐると頭の中で渦巻く。あの時、電話に出ていれば、少しでも話せていれば……。葬儀のあと。焼香の香りがまだ鼻に残る控え室。

ユウマの横に伯母が静かに腰を下ろす。



---


「ねぇ悠真くん……あの日の電話のこと、覚えてる?」


「……電話?」


「お母さんね、あの日……病気のことをあなたに伝えるつもりだったのよ」


「……俺、出なかった。忙しくて」


「知ってるわ。実はね、留守電にあなたの声が入ってたの」


「え……?」


伯母はスマホを取り出す。

音声メモを再生すると──確かに当時の悠真の声。

《今忙しいんだよ。俺今本当に大変なんだよ──》


母に向けた言葉ではない。

たぶん、仕事でのストレスで独り言で吐き捨てたもの。

だが、その言葉の直前に 母の声で「悠真、少し話せる?」という録音 が小さく重なっていた。


伯母は続ける。


「あなたに迷惑をかけたくなかったんだと思う。

病気のことを話すの、やめてしまったのよ。

“あの子には未来がある。足を引っぱっちゃだめ”って」


息が止まる。


「そんな……俺は聞いてもいないのに……」


「でもね、誤解しないで。

お母さんは最後まで、あなたの頑張りを誇りに思ってた。

甘えたかったけど甘えなかったの。

──あなたを想っていたからよ」

言葉は優しいのに、刃のように胸へ刺さった。


(母さんは俺に負担をかけないように死んでいった……

俺が“時間がほしい”って思っている間に──

俺は、母さんの時間を奪ったんだ)


涙が零れ落ち、止まらない。

通夜と葬儀が終わり、誰もいなくなった家は静かだった。

まるで時間が止まったような静けさ。

リビングの時計の針だけがコツ、コツと音を刻んでいる。


喪服のまま椅子に座り、ぼんやり宙を見ていた。

疲れたとか悲しいとか、そういう言葉で片づけられない感覚だった。

気持ちが追いついていないのか、現実が受け止められていないのか、自分でも分からない。


ふと顔を上げると、廊下の奥にあるドアが目に入った。

母の部屋のドア。

少しだけ隙間があき、中から暗闇がのぞいている。


行きたくない。

見たら壊れてしまう。

それが直感的に分かった。


でも、見なかったらもっと壊れる気もした。


椅子から立ち上がると膝がわずかに震えた。

歩き出すと足が重い。

一歩ごとに胸が締めつけられる。

ドアの前に立つ。

近いのに、触れられない距離。


(開けたら、母がもういないって現実を――本当に受け入れなきゃいけなくなる)


わかっている。

葬儀をした。火葬もした。

それでも、心のどこかでまだ「もしかしたら」と思っていた。

何も聞かされていない夢の中を歩いているような、そんな気がしていた。


ポケットの中のスマホが重く感じる。

母の名前の残った通知。

既読にできない未読のまま、時間が止まったように表示されている。

逃げたかった。

でももう、逃げ続けることのほうが苦しかった。


震える息を整え、ゆっくり手を伸ばす。

ドアの表面が冷たくて、初めて触れた家の中の温度に胸が痛んだ。


押せば開く。

それだけなのに、なかなか押せない。


それでも。


「………行くよ、母さん」


かすれて聞き取れないほどの声で呟き、ドアを押し開ける。


暗闇の向こうに、母の部屋が広がった。


――そこに、もう母はいないのだ。

暗い部屋の中、目が慣れると母の使っていたものが目に入る。

小さな机の上にはスマホが置かれていた。画面には開いたままのメモアプリ。

指でそっとスクロールすると、文字が目に飛び込んでくる。


> 「また電話しよう。迷惑じゃない時間に」

日付が何度も更新されている。

何度も、何度も、母は悠真の都合を気にして書き直していたのだ。




胸が締め付けられる。

そのメモの一行一行に、母の優しさと、自分の無神経さを思い知らされる。


さらに視線を移すと、部屋の隣のキッチンに繋がる小さな冷蔵庫が目に入った。

開けると、そこには母の気配がまだ残っていた。


中には、悠真の好きな料理の材料だけが残されている。

「食べたいだろうな」と思いながら、でも使えずに置いておいたんだろう。そして机の引き出しをそっと開けると、折りたたまれた手紙があった。

封も開けられていないまま、きれいに残されている。


> 「未来のために がんばれ悠真。

どんな未来でも、あなたは私の自慢です」


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